昨夜、夜中に目が覚めて寝付けなかった。
考え事をしていると余計に目が冴えていくものだ。
頭の中でグルグル考え事をしていた。
そんな時にフッと諭されたように感じたこと。
善や悪
光と闇
そんな風にどちらかに定義しようとするのは違う、と言うこと。
悪がないと善はない。
暗闇があるから光に気づく。
それも個々が自分の意識で善や悪、光や闇を
定義もすれば、それらの行動をする。
周りも同じようにどちらかだと批評する。
光しかなければ光の存在自体を意識しないだろう。
暗闇しかなければ暗闇にも気づかない。
そんな風に、当たり前になっていくことが自然なことだ。
それも全体も見ず、外野も含めた人々が
善悪を決めつけるのは全くもって論外。
物事はシンプルであるけれど
複雑に絡み合ってしまっているのだから・・・
世の中は善と悪だけでなく
どちらかに物事を定義したがる。
人はまだ、どちらも自分の中に持っている。
それを個々がどちらを出しているのか?
出そうと選択しているのか?
それだけのことだ。
人が善だ、光だと語れば語るほど
その逆も強まるのかもしれない。
いつか、善と思って善を行うのではなく
当然のことで善を行うようになること。
光だ善だと言うよりも
少しずつ自分の中の光や善で心を占めていくことが
自然なことではないか・・・
それは当然、自分にとっての善になるだろう。
他者に論じるより、まずは自分の中で行っていく。
言葉や態度に見せなくても
自分の心は自分だけが知っていることなのだから、
静かに自分の心を見ていくことが
変化を起こせることに繋がる気がする。
それぞれが自分が信じたいものを信じ
そこから、それぞれの世界をつくっているわけだ。
誰かと真実が交わらないこともあるのは
つくっている世界が単に違うからに過ぎない。
自分しかつくれない自分の世界を
どのようなものにしていて、どのようにしていくのか
自分の心の在り方によることになる。
自分だけは常に真実を知っているのだから
そこは、ごまかしはきかない世界だ。