私たちは多くの物事を見て聞いているにも関わらず
それらの物事を自分の物差しの中で
ふるいにかけ切り捨てて日々過ごしている。
もちろん、全てを見聞きはできないけれど
何となくの好き嫌いからでもふるいにかけてしまう。
その上、自分の物差し自体があてにならなず
何かの肩書きがある
ある専門分野の人
この学歴だから
そんな理由で信じるという物差しにつながる。
けれども、そこに何かの理由が加わると
急に手のひらを返し信じるに値するものへと変わる。
それくらい、自分の物差しは曖昧なものなのだ。
自分の物差しに値するからと言っても
実際はそのようにあてにならないものなのだ。
私自身は無知だし、頭も良くないという自覚がある。
そんな人の物差しは本当にあてになっていないのだ。
自分が吸収するもの自体が
あてになっていない可能性も高いのだから。。。
結局、なるべく自分の物差しを広げていくしかないのだ。
やはり、これも思考、マインドの柔軟性に関わっていく。