人は言葉でイメージを作り上げる。
呼び名、分類分け
それこそ時代によって言い方が変わったり
使っていい言葉、使ってはいけない言葉など
または傷つけ無いよう、失礼の無いよう、差別の無いよう
こういった言葉や呼び方をしましょうと言う。
私はこういった事にいつも違和感を感じる。
単に物事をオブラートで包んでいるだけで
分離した捉え方は一緒のままだったり
悪い、恥ずかしいことなどを悪い恥ずかしいと
あまり本人や他人に思わせないように
誤魔化すための言い方をして
イメージを和らげたり変えたりしているだけに過ぎない。
言葉が変わっても、
やっていることなどは何も変わらない。
単に、言葉が軽くなることで行いやすくなるだけだ。
そのものの状態も行いも何も変わっていないのに
言い方や言葉が変わる事によって
受け手のイメージが柔らかくなるだけという
トリックを使っている。
でも、それは根本的な解決になんてならない。
言い方、呼び名を変えようと思うのは
受けとる側の感情を変えたいのだろう。
当の本人が呼び名を作り出すこともあれば
受け手側が良かれと思って変えようとすることもある。
けれど、呼び名が造られる時点で
その分類分けしたり、区別しているとした
考えは変えることはできない。
逆に呼び名がない方が区別の意識は無くなると思う。
時代とともに変化する道徳もあるのかも知れない。
けれども、残すべき道徳があって
本来の私たちの奥にある本質が
生かされていくような気がする。
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