随分前に読んだ誰かの本の中に書いてあったことで
「無用に喋りすぎるのは悪い、
けれども必要なことを喋らないのはもっと悪い」
といったようなことがあって印象に残った。
その頃、ちょうど人間不信で
人の感情や思考が分からなかった。
今でも分からないけれど。。。
喋らなくても喋っても人は勝手に話を作り上げるし
嫉妬や攻撃も個人の欲から勝手に他人に向けることがある。
「火のないところに煙は立たない」
という諺もあるけれど、
無くても自分が優位に立つと思えば
誰かを陥れるため、または潰しにかかるような時は
いくらでも勝手に最もらしい話を作り上げるものだ。
表面的に、ただニコニコして何も言わない人は
あまり攻撃される対象にならない。
意見を求められても考えるフリをして何も言わない。
相手に安心感を与えるのだろう。。。
けれども、よっぽど無関心か感覚がずれていない限り
喋らない人でも感情と思考はあり
内心では多くのことを喋っていて
単にその人の前で発言しないだけのこと。
不当な状況の中にいても上手にやり過ごす術を持っているだけ。
出る杭にもならず、
足を引っ張る対象に見せない。
それなら、適当にやり過ごして
何も聞かない、喋らないに徹した方が
いいのかも知れないと思っていた。
そんな時に読んで印象が残ったのだろう。
その時はよく意味が腹落ちせずに
「そうは言っても実際彼らの方が得をしている」
と、思っていた。
ただ今ならその意味の深さがよくわかる。
特に日本人の性質は
人前で自分の考えを発言をする、自分から話題を提供する
と言ったことが苦手だ。
苦手というよりしたくないのだろう。
人からどう思われるかをとても気にしている。
例えば、何かの講義や大勢がいる場で質問があるか問われた時
手を挙げ人前で話す人は少ないのに
終わった後に多くの人が駆け寄って個人的に質問をしたがる。
または、本人には言わず陰で色々言う人も多い。
人の話は根掘り葉掘り聞きたがるけれど
自分の話はなぜか隠す人もいる。
「喋る人」は、要するに開けっぴろげで計算が少ないのだろう。
隙をを見せる人だ。
「喋らない人」はいい人かも知れないし、
自分の腹を見せない注意した方がいい相手かも知れないわけだ。
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