さっきまで幸せだったのに、ちょっとしたことで心がかき乱されたりする。
自分にはない何かを誰かが持ち幸せそうだと想像するとき
特に自分が欲したのにも関わらず手に入れられず
誰かが手にして幸せそうならなおのことかもしれない。
中には達観できる人もいるだろう。
けれども、多くの人は何ともないフリをして
実際には内心かき乱され折り合いをつけの繰り返しだ。
みんな他人の幸せそうなところしか見ていないから
余計に自分の不足部分や嫌なところをを比べて動揺したり
悲しくなったり何かしら動揺してしまうのだ。
人はよく見えるだけで、みんな大差ない。
問題は違っても、同じように不足するものがある。
同じように問題を抱えるときもある。
要は、どこに意識を向けているのか?
そこだけの違いだ。
いつだって自分の今あるもの全て、
やること一つづつに意識を向ければ
動揺した心が自分の軸に戻ってくる。
動揺する必要もないことに気づく。
味けない
実際に自分で経験すること…
聞いたり見たりすることと
本当に自分で体験することとの違い。
人それぞれ感じ方は違うので
何の加工もしていないリアルなものを
自分で聞いたり見たり体験すること。
自分が聞きたいこと見たいもの調べたいもの何でも必要なとき、
興味があるものを見ることができる時代になった。
その一方で、実体験指数は上がったのだろうか?
個人的には逆なんじゃないかと思う。
本当に体験したつもりになるような錯覚を
表面的に知ることで得て満足してしまったり
飽きてしまう。
その「つもり」になってしまうのが落とし穴だ。
せっかくの機会に恵まれても
動画を撮ることに気が向いて
実際を体験することや見ることに意識が集中できない。
細かな部分まで動画に取ることができないこともある。
それよりも、今、そこに集中することで意識の中に残るものもある。
さらには、機会をも自ら棒に振って
後で動画を見ればいいからと思ってしまう…
これは、若い世代のことを言っているわけじゃない。
全てお手軽に、表面的に得られるようになったぶん
時間をかけて得ることが億劫にもなっているような気がする。
効率悪い…?
そうあるものもあれば
そうでないものもある。
全てが効率的であって得られるものばかりではない。
それに、人間の感情自体非効率的なのだから
人間が作り出しているもの全てが効率的であるだけでいい
とはいかないわけだ…と私は思う。
個人的には感情が動く実際の体験を人生の中で
沢山経験した方がいいと思う。
もちろん、良いものだけを選ぶことはできない。
好んで嫌なことを選びはしないけれど
実体験をすれば良いことも嫌なことも起こってしまうもの。
そこも、「実体験」と「知っているつもり」の差になる。
「知っているつもり」だけなら嫌なものは体験しなくてすむ。
自分で選べばいいのだから…
人間の感性や価値観も二極化が進んでしまう時代なのだろう。
様々なモノは進化して使用が便利になっていく。
それも、扱いも簡単で失敗も少なくなったり…
生活も仕事上でも。
お料理だって材料はカット済みで
味付けも付属のモノを混ぜれば出来上がったり
仕事上もどんどん便利になっている。
便利で失敗知らずになる一方
簡単に上手にできると言うことは
少し取り組めばそこそこモノにできるということ。
努力も練習も調べることも
全てのそこにかける時間も気力も減った。
勉強の教え方も変わった。
そして、様々な失敗が減ったり無くなったりして
プロセスから学んでいたモノも抜け落ちてしまった。
簡単に身につけられたり手にすることができる分
応用が利かなくなっていると言うこともある。
遠回りしたものは
時間がかかった分だけ違う景色も見て、感じているのだ。
どちらがいいのかは分からない。
ただ、要領が良いことだけが得だとは言い切れない。
一見、弱いように見える立場を過度に保護しようとすること。
一見、強いように見える立場を過度に期待しようとすること。
本当に、外から見えることって
当事者みんなに同じように当てはまるのだろうか?
一見、外側から見て感じたことで
どちらかサイドに立って擁護したり批判すること
これはまた正しいように見えるけれど
本当にそうなのだろうか?
もしかしたら、その瞬間だけはあてはまるかもしれない。
もしかしたら当てはまらないかもしれない。
どうしても「今」ばかりに目が行きがちだけれど
10年、50年、もっと先の世代が変わる時まで
考えてのことなのだろうか?
無関心ではいけないこと
でも、正しと思うことも果たして正しいことなのか?
様々な世代、
様々な自分の置かれた環境
様々な立場からでの思うこと
正しいかなんてずっと先にならないと分からない。
自分の主張なんて、偏った見方の一つにしか過ぎない。
だから、難しいけれど
別の方向からも物事を考えてみることも必要だろう。
最近、グアム生活に必要なものを色々買い込んでいます。
しばらく日本を離れていたので
便利さや良さに目も行きます。
逆に周りの人と同じようにする必要もないとも感じます。
みんな同じような服装、お化粧などの流行り
思考など同じようにしたがる部分が日本にはある。
同じようでなければいけない感じもある。
幼さも感じる。
人の目を気にしすぎるのかな。
良い意味で、もっとマイペースで自由になっていい。
私も真面目にきっちりやろうとする部分があるので
少しいい加減くらいで、肩の力を抜いくことを学んでいる。
何かに行き詰まったり
ストレスを感じているときは
その物事や人との距離が近すぎるのではないかと思う。
そんな時は、少し立ち位置を変えて見ると
見え方も変わってくる。
好奇心は人生を豊かにする。
自分優先
自分にできることって何だろう?そんな事を思ったとき
ちょっと待ってよ、そんなたいそうなことを思う前に
まず自分のために自分ができることじゃないか?
そんな風に感じた。
これから、自分のためにできることを考えていきたい。
自分のためにできること。
自分にためになること。
自分のこと。
いろんな経験があって、まず自分が体験し学ぶ。
もしかしたら、そこから何か発信できることもあるかもしれない。
でも、それはあくまでオプションに過ぎないと思う。
人生に積極的であることが新しい発見や
興味深い体験をさせてくれる。