★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

ネガティブな感情から気づく

2024-03-20 | 最近おもうこと
人によって感情の起り方は違う。
特にネガティブな感情。

例えば喧嘩して、怒る人もいれば悲しくなる人もいる。
同じ現象が起こっても
人によって別の感情が発生してしまうのだ。

これをよくよく考えると
その感情の発生の仕方は、
その人自身にとって新しい発見や改革を促すのに
一番いい方法、やる気を起こさせるものとなっているのだ。

私たちはネガティブな感情が沸き起こるとそれに溺れて
単に自分への言い訳としてその感情を使い続け
もっと深い取り組みをしない。

本来、その感情は
バネとして使うようにできているのだと私は思う。

何か滞りがある時
もっともっと、その感情を深掘りしてみると見えてくる。
無理にその感情に蓋をしたり誤魔化し続けると
よりこじれていき、とても根が深くなってしまうのに
多くの人はそんな風にして
自分で気付けなくなるほど根を深くしていく。

でも、どんなに根を深くしても結局は人生のどこかで
その根を掘り出さなくてはならない時が来る。

「もうやめた」
「無視しよう」
そんなことをしても、何度も何度も取り組まなくてはいけない
と教えてくれるのに蓋をする。
それは同じことを繰り返す。。。

少しづつでもいいから掘っていこう。
どん場面で、どんな状況で、どんな感情が発生するのだろう?
何についてその感情が起こるのか?
それを単に表面的なその物事ではなく、
その奥に隠れた感情を探していくことをする。

「そこで我慢していた自分を解放すること」
「やらなくてはならなかったことを取り組み始める」
「受け入れるものを受け入れる」
そうやって、変えていく事ができる
滞っている感情を教えてくれる。

人生を最大限に豊かに幸せに過ごせるよう
平等に与えられている道具なのだろう。








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エネルギーの管理

2024-03-19 | ちょっと、ひとりごと
急に身体のどこかが痛くなったり
感情が理由もないのに打ち込んだりした時
よくよく観察すると自分のものでない事がある。

そんな時はしっかり自分からそのエネルギーを離すことで
その痛みや気持ちが変化する。

そのエネルギーを持っている人の意識が
自分に向いているのかもしれない。
または、自分の意識が相手に向いているのかもしれない。
すると、本来そこから発生していないエネルギーを
感じることになる。

理由もないのに突然起こる変化の場合
一度自分の身体をスキャンするようにして
チェックしてみるといい。

すると、「自分のものでない」
または「どこから来たもの」か分かったりするので
その場合はきれいに離し、
改めて自分のエネルギーの管理をする。

不思議だけれど効果絶大。



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必要

2024-03-18 | ちょっと、ひとりごと
一昨日の夜、何だかアイスが食べたくなって
コンビニまで散歩しながら行く途中
そこの駐車場が私が歩いている道の坂の上にあり
ちょうど私の目線くらいに来た時に少し光るものが目に入った。
よくみると100円だった。

ポケットに入れて買い物をして帰ったのだけれど
昨日の夜、コインランドリーに行くと
100円玉しか使えないのに100円足りない。
両替機も使えないし、近所に両替ができそうなお店も何もない。
ポケットを確認すると何と昨日の100円玉が出てきた。
必要になるのが分かってて必要な分手に入れたかのよう。。。

ちなみに、引っ越してきて洗濯機を買いたいのだけれど
置き場所の洗面所の修繕が相変わらず終わらないので
まだ、買う事ができないのだ。
そんなわけで、週末はコインランドリーへ行かなくてはいけない。

必要な物事はちゃんと必要な時に、必要な分
手元に来るのかもしれないと感じた。
やはり、今ある状態も全て見合っていて、
全て必要なものなのかもしれない。


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人間は情けないもの

2024-03-17 | 最近おもうこと
つくづく幾つになろうが中途半端でダメダメだなと感じる。

肉体ばかりが年月を表して
このマインドは残念ながらそれと比例しないのだ。。。

一歩進んでは二歩下がる〜
なんて歌があるけれど人生自体
そんな風にじっくりとしか進めないのかもしれない。
それくらい、一般の人間は気づいては忘れる生き物なのだろう。

そういうものだと思えば、
がっかりしながらも「また立ちあがろう」という気にもなる。
自分に期待しすぎていると立ち上がれなくなるものだ。

「とても落ち込んでいる」
「ネガティブな思考のループに陥っている」
そんな時は自分を見直してみると気づけると思う。

「情けない」と思うのは自分への期待が大きいせいで
「そんなもの」なのだ。

そんな自分なのだからダメダメで当然でもある。
行ったり来たりしながらでも、
結果、前進できていればいいのだ。















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可能性を広げるには

2024-03-16 | 最近おもうこと
いつも書いているけれど
人は自分が信じたい未来を作ろうとする。

それが家族や小さな集団の中にあると
常にそれぞれの「信じる」ものを
押し付け合うかもしれない。。。
大きな集団の方が直接的でない分問題を避けやすいかも。

この場合は常に何かしらの問題が起きやすい。
「信じる」ものは自分で決めた枠なわけで
絶対的な真実でも可能性でもなく他人の枠とも違うから。
その枠がもう少し広い人の「信じる」は
きっと、何か言われても自分では信じられず
それを取り入れることは難しい。
自分が認めた人のみの「信じる」だけは
受け入れるという枠もある。
結局、これも自分が「信じる」ものだけの
自分の枠から成り立っている。

枠の小さなもの同士がお互いにストレスを抱え込んでいる。
そのストレスが大きくなると
ピリピリ陰湿な状況になってしまう。

他人の「信じる枠」は変えられない。
けれども、唯一自分の「信じる枠」だけは変えられる。

何かしら滞りや上手くいっていない事があるのなら
まずは「自分の信じる」を見直していく事が必要だ。










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信じたいことを選んでいる

2024-03-15 | ちょっと、ひとりごと
私たちは多くの物事を見て聞いているにも関わらず
それらの物事を自分の物差しの中で
ふるいにかけ切り捨てて日々過ごしている。

もちろん、全てを見聞きはできないけれど
何となくの好き嫌いからでもふるいにかけてしまう。
その上、自分の物差し自体があてにならなず

何かの肩書きがある

ある専門分野の人

この学歴だから

そんな理由で信じるという物差しにつながる。

けれども、そこに何かの理由が加わると
急に手のひらを返し信じるに値するものへと変わる。

それくらい、自分の物差しは曖昧なものなのだ。
自分の物差しに値するからと言っても
実際はそのようにあてにならないものなのだ。

私自身は無知だし、頭も良くないという自覚がある。
そんな人の物差しは本当にあてになっていないのだ。
自分が吸収するもの自体が
あてになっていない可能性も高いのだから。。。

結局、なるべく自分の物差しを広げていくしかないのだ。
やはり、これも思考、マインドの柔軟性に関わっていく。








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人生

2024-03-14 | 最近おもうこと
『人生』は何とも興味深いものだ。


親、容姿など自分が選んでいないと思うもの

自分が特に選択していないけれど何となく流されてやること

自分から選択していくもの


どれをとっても、期待や予想しない結果になっていたり
何かしら繋がって今を作り上げたりしている。

どうして自分は恵まれていないのだろう?
どうして上手くいかないのだろう?
どうして、どうして。。。

何かを悲観的に見ようが、何かのせいにしようが意味がない。
実際、それを持っているのが現実なのだから。。。

『人生』は自分にとって完璧なツールを持たせてくれている。
私自身は今ではそう解釈している。
そう考えていくようにしているのかもしれない。

どう考えようが、人それぞれ元々持っているものや
今あるものが土台になっていくのには変わりない。
悲観的に言い訳に目を向け続けるより
楽観的になっていけるものに目を向けたほうがいい。

家族であろうが、夫婦であろうが
自分と同じように『人生』がそれぞれに必要なツールを与えている。


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雑な仕事

2024-03-13 | ちょっと、ひとりごと
同じことをしているとどうしても慣れが起こる。
人間関係、仕事などは比較的慣れが出るもの。

慣れてよく作用するものもあるけれど
慣れが悪く作用することもある。

最近長く使うものを買ったり、家の修繕をしたりして
人の仕事を見ていてとても感じる。
10年、20年使うようなものでも
それらに携わる人からしたら日常なので単にその日の仕事になる。
けれど、それらを購入する人からしたら大きな決断になる。

使う年月、金額を考えたら「嫌になったら取り替える」
という発想の人は少ないだろう。
すると慎重になるのだけれど
それらを仕事にしている人はとっとと終えたいだけだ。

サッサとサインに繋げればオッケー。
家の修繕ならちょっとくらい傷付けても曲がっていても
気にせずとっとと終えて帰ればオッケー。
これは性格もあるけれど全部慣れからきていることじゃないかな。

日本の使い捨て文化をとても感じてしまう今日この頃。。。









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柔軟性

2024-03-12 | 最近おもうこと
私が人生で気をつけようと思う事の1つに柔軟性がある。

柔軟性。。。
単に無責任やいい加減、頑なさや頑固さ
それぞれに上手く使えば必要であるけれど
度を過ぎれば全く人生を幸せにはしない。

思考が、性格が現実を作り出す。
柔軟性はこの肉体という道具をうまく利用することにつながる。
スピリチュアルなことを意識する人は
マインドの柔軟性を考えるけれど
考えてみれば肉体も柔軟性が大事なのだ。
結局、心身ともに柔軟性を意識したほうがいい。

特に、日本人は真面目だし集団意識も強いので
合わせることを意識したり、達成しようという意識から
「こうあるべき」
「こうしなければならない」
と言ったような考え方によりがちになる。
それは、頑なな時もあればいい加減になり過ぎることもある。

中庸であること自体がどこなのかも分からないかもしれない。
それでも、意識しているとだんだん変化していける。
また、自分だけでなく人と関わることで
彼らからいい意味でも悪い意味でも学べる。
年齢が上がると頭も身体もまた良くも悪くも硬くなりやすい。

真面目だという自覚があるのなら
いい加減くらいがちょうどいいかもしれないし
いい加減だという自覚があるのなら
責任を意識するとちょうどいいかもしれない。





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自分の道を探す

2024-03-09 | 最近おもうこと
人それぞれ、その人にとって「腑に落ちる」
本や話しなどがある。

これはその人の経験から実感できるものや
スッと内面に入ってくるものなど
もしかしたら過去性などの経験も
関係しているのかもしれない。

「人のために全力で奉仕する」
私にとって何の計算もなく
その人のため、
その人の夢のため
に単に全力で協力をした後
心が折れるような仕打ちを受ける
と言うことを何度も経験してしまうと
もう誰かの夢のため、快適な暮らしのために
「自分をさておいてする行いは止めよう」
と言うことを学んでしまう。

誰かの成功体験や学びが自分が
しっくり自分と合うかは経験からくるもので
それぞれの人生においての学びや使命の違いから
経験させられる物事にも違いが出るのだと思う。

最もな話のようだけれど、
自分にしっくりいかない物事を
聞く必要も実践する必要もない。
もしかしたら自分に合うやり方じゃないかもしれないし
もしかしたら単に今の自分には理解できないこと
なのかもしれない。

人生に起こる出来事や出会いが違うように
それぞれのやり方という違いもあるのだろう。
あまり人と関わらないでいく人
多くの人との関わりで道が開ける人
人生はきちんといくべき道へ運んでくれる。
それを聞き、取り入れていくだけでいい。


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