初めてのテレビ撮影に応じた時、一番驚いたのは撮影時間の長さと、合理的でないスタッフの動き。僅か5分のシーンに、わざわざ富津の現場まで撮影に来た事もすごいし、終わったかと思ったら、自宅での子供たちの映像も欲しいという事になって、富津から船橋に大移動…ところが余りの急な話に子供たちが拒絶して風呂場に逃げ込んでしまい、結局撮影出来ず、家族写真を使うことになった。収録が終ったのが真夜中だった。
この後、思いがけず20年もテレビの仕事に関るようになって、テレビ業界が見えるようになった今想い出しても、不思議でしょうがない。あの時台本はあったのかなぁ。
一番大変だったのは。ゼネコンの撮影許可を取る事。カメラに入ってしまうと困るという訳ありの職人さんも結構いて、皆さんに自腹でお酒を振る舞ったり、頭を下げてお願いに回ったりした。確かギャラが無かったような気がするから、すんごい赤字だったね。
この後、思いがけず20年もテレビの仕事に関るようになって、テレビ業界が見えるようになった今想い出しても、不思議でしょうがない。あの時台本はあったのかなぁ。
一番大変だったのは。ゼネコンの撮影許可を取る事。カメラに入ってしまうと困るという訳ありの職人さんも結構いて、皆さんに自腹でお酒を振る舞ったり、頭を下げてお願いに回ったりした。確かギャラが無かったような気がするから、すんごい赤字だったね。