「悲劇喜劇」4月号は音楽と舞台の特集号だった。
日本が世界に誇る演出家「宮本亜門」の執筆がある。
彼は今回「三文オペラ」を上演する。
ジュリーファンには聞き覚えがあると思う。
『クルト・ヴァイルという作曲家は「三文オペラ」では、当時の流行歌のような楽曲を作曲しています。つまり、意図的に曲として独立させているのです。ですので、ロンドンやブロードウェイ・ミュージカルのような、話とドラマが結びついたようなやり方をするつもりはありません。僕にとって「三文オペラ」の魅力は、ドラマと演劇性がスムーズに情緒的に結びついていくことを、あえて拒否している点にあるからです。』
『歌にしても、普通だったらミュージカルは情緒が高まってきて気持ちが入って歌うのに、独立した歌謡ショーのように歌が始まる。曲によっては感情的につながることもできるし、ポリーとルーシーが言い合う場面はミュージカル的な流れでいけると思うんですが、「くたびれもうけの歌」や「ソロモン・ソング」など、舞台の流れを意図的に切っている歌は、歌として完結する。でも、歌の中身はそのときの内面を別の方法で見事に表しているんです。そういうことをなるべく大切に演出できればと思います。』
このようにプレヒトとクルト・ヴァイルの作った「三文オペラ」は、今、ジュリーがやっているような「音楽劇」なのだ。
ジュリーはその昔、串田和美演出でこの「三文オペラ」の主演をした。その時に得たいろんな経験、そしてACTで培った演劇のノウハウ、そういうものの総集編が今の「音楽劇」だと思う。
ジュリーが本当にやりたかったものは、この「音楽劇」ではないかとさえ思えるほどだ。
演劇がある、音楽がある、歌がある、そして踊りもあり、人情悲喜劇もある、なんて贅沢だろう。ジュリーはこれを全部いっぺんにやりたかったのだ。
そしてそこに重要な音楽がある。
これは毎年COBAさんが作曲担当している。COBAさんは偉大な作曲家だと思う。その演劇のイメージだけで、シーンにぴったりの曲がかけてしまうからだ。
特にメインになる楽曲は、リフレインが癖になる、誰でも口ずさめるメロディになっている。
毎年の舞台を思い出してみると、COBAさんの曲なしではジュリーの舞台はありえないと思ってしまう。
いつも楽しい振り付けは南流石さんだ。
ジュリーは毎回同じ方に仕事を頼む。それだけの信頼を受けた彼らは、尊敬とまごころで作品を作ってくれる。
そんな幸せなめぐり合わせをジュリーは常に持っているのだ。
そうやって舞台はできあがっていく。
生の舞台の魅力は、それを体験したものでないとわからないと思う。
観る側も観られる側も同じ、同じ緊張感で、まなざしを向け合うのだ。
日本が世界に誇る演出家「宮本亜門」の執筆がある。
彼は今回「三文オペラ」を上演する。
ジュリーファンには聞き覚えがあると思う。
『クルト・ヴァイルという作曲家は「三文オペラ」では、当時の流行歌のような楽曲を作曲しています。つまり、意図的に曲として独立させているのです。ですので、ロンドンやブロードウェイ・ミュージカルのような、話とドラマが結びついたようなやり方をするつもりはありません。僕にとって「三文オペラ」の魅力は、ドラマと演劇性がスムーズに情緒的に結びついていくことを、あえて拒否している点にあるからです。』
『歌にしても、普通だったらミュージカルは情緒が高まってきて気持ちが入って歌うのに、独立した歌謡ショーのように歌が始まる。曲によっては感情的につながることもできるし、ポリーとルーシーが言い合う場面はミュージカル的な流れでいけると思うんですが、「くたびれもうけの歌」や「ソロモン・ソング」など、舞台の流れを意図的に切っている歌は、歌として完結する。でも、歌の中身はそのときの内面を別の方法で見事に表しているんです。そういうことをなるべく大切に演出できればと思います。』
このようにプレヒトとクルト・ヴァイルの作った「三文オペラ」は、今、ジュリーがやっているような「音楽劇」なのだ。
ジュリーはその昔、串田和美演出でこの「三文オペラ」の主演をした。その時に得たいろんな経験、そしてACTで培った演劇のノウハウ、そういうものの総集編が今の「音楽劇」だと思う。
ジュリーが本当にやりたかったものは、この「音楽劇」ではないかとさえ思えるほどだ。
演劇がある、音楽がある、歌がある、そして踊りもあり、人情悲喜劇もある、なんて贅沢だろう。ジュリーはこれを全部いっぺんにやりたかったのだ。
そしてそこに重要な音楽がある。
これは毎年COBAさんが作曲担当している。COBAさんは偉大な作曲家だと思う。その演劇のイメージだけで、シーンにぴったりの曲がかけてしまうからだ。
特にメインになる楽曲は、リフレインが癖になる、誰でも口ずさめるメロディになっている。
毎年の舞台を思い出してみると、COBAさんの曲なしではジュリーの舞台はありえないと思ってしまう。
いつも楽しい振り付けは南流石さんだ。
ジュリーは毎回同じ方に仕事を頼む。それだけの信頼を受けた彼らは、尊敬とまごころで作品を作ってくれる。
そんな幸せなめぐり合わせをジュリーは常に持っているのだ。
そうやって舞台はできあがっていく。
生の舞台の魅力は、それを体験したものでないとわからないと思う。
観る側も観られる側も同じ、同じ緊張感で、まなざしを向け合うのだ。