3月、4月は若者の旅立ちの季節だ。
かくいう私も、ん十年前、この熊本の片田舎から東京へと上京した。
3月の下旬、研修センターで1週間の研修があった。
社会人としての常識や、接客、マナー、いろんな事を教わった。
あまり覚えていないけれど、接客のロールプレイングをしたことはよく覚えている。
ああいう実践的なセミナーがおもしろかった。
ただ聞くだけの、学校の授業のような勉強ほど面白くないものはない。
晴れて社会人になった私は、不安と期待でいっぱいだったが、ほどなくして、仕事とはなんなのか?という疑問にぶちあたった。
要するに、私は子供だったのだ。
まず、会社組織というものがどういうものか全然知らなかった。
普通高校で、簿記のボの字も学んでこなかったので、売り上げ、仕入れという言葉さえ知らなかった。
帳簿?それなんですか?
売掛金?なんですか?
状態の私を、怪訝そうに見つめる先輩女子社員。
「ほんとにこの子は大丈夫かしら?(バカなんじゃないかしら)」と思ったそうだ。
最初に与えられた仕事は伝票を綴じること。
これさえまともにやれなかった。
そんなこと初めての経験だったからだ。
穴を開けて、とじひもを通すことさえできなかった。
それから数字を書く練習。
毎日、プリントにお手本どおりの数字を書く。
まるで小学校の書き取りだ。
だけど、先生がいない。
仕事は自らが探してやっていくものだということを、少しづつではあるが、学んでいった時期だ。
私がいた部署の先輩女子社員は、半年ほどすると別の部署に配属になった。
先輩とは仲が良かったが、彼女はとても暗かったので楽しくなかった。
なので、実はちょっとだけ一人になることを喜んでいた。
彼女は先輩ではあったけれど、教えるという経験がなかったために、何も知らない私をどう扱っていいか悩んでいたようだ。
それから、私は一人で仕事をするようになり、水を得た魚のように、仕事を覚え楽しみこなしていった。
それから一年もしないうちに、オールマイティな女になっていた。
受身から自発的に仕事ができる女に変わったというわけだ。
若いって素晴らしい、と今から考えれば思うけれど、
本当に吸収力がハンパじゃなく、仕事が面白くて仕方がなかった。会社に行くのが楽しくて、たくさんの人と出会うのが楽しくて、
上司からもとてもかわいがってもらった。
あの頃に培われた仕事への想いは、今も懐かしい。
精神は忘れていないつもりだ。
18の時に出会った上司とは、その後も長い間年賀状のやりとりもしたし、
今もいろいろなことを思い出す。
あの時、あの会社で出会った人たちは、実はどんな宝石よりも私の心の中で輝き続けている。
18の春は旅立ちのとき、そしてターニングポイント、桜の花とともに、毎年私の心にいろんな熱い想いがよみがえるのだ。
かくいう私も、ん十年前、この熊本の片田舎から東京へと上京した。
3月の下旬、研修センターで1週間の研修があった。
社会人としての常識や、接客、マナー、いろんな事を教わった。
あまり覚えていないけれど、接客のロールプレイングをしたことはよく覚えている。
ああいう実践的なセミナーがおもしろかった。
ただ聞くだけの、学校の授業のような勉強ほど面白くないものはない。
晴れて社会人になった私は、不安と期待でいっぱいだったが、ほどなくして、仕事とはなんなのか?という疑問にぶちあたった。
要するに、私は子供だったのだ。
まず、会社組織というものがどういうものか全然知らなかった。
普通高校で、簿記のボの字も学んでこなかったので、売り上げ、仕入れという言葉さえ知らなかった。
帳簿?それなんですか?
売掛金?なんですか?
状態の私を、怪訝そうに見つめる先輩女子社員。
「ほんとにこの子は大丈夫かしら?(バカなんじゃないかしら)」と思ったそうだ。
最初に与えられた仕事は伝票を綴じること。
これさえまともにやれなかった。
そんなこと初めての経験だったからだ。
穴を開けて、とじひもを通すことさえできなかった。
それから数字を書く練習。
毎日、プリントにお手本どおりの数字を書く。
まるで小学校の書き取りだ。
だけど、先生がいない。
仕事は自らが探してやっていくものだということを、少しづつではあるが、学んでいった時期だ。
私がいた部署の先輩女子社員は、半年ほどすると別の部署に配属になった。
先輩とは仲が良かったが、彼女はとても暗かったので楽しくなかった。
なので、実はちょっとだけ一人になることを喜んでいた。
彼女は先輩ではあったけれど、教えるという経験がなかったために、何も知らない私をどう扱っていいか悩んでいたようだ。
それから、私は一人で仕事をするようになり、水を得た魚のように、仕事を覚え楽しみこなしていった。
それから一年もしないうちに、オールマイティな女になっていた。
受身から自発的に仕事ができる女に変わったというわけだ。
若いって素晴らしい、と今から考えれば思うけれど、
本当に吸収力がハンパじゃなく、仕事が面白くて仕方がなかった。会社に行くのが楽しくて、たくさんの人と出会うのが楽しくて、
上司からもとてもかわいがってもらった。
あの頃に培われた仕事への想いは、今も懐かしい。
精神は忘れていないつもりだ。
18の時に出会った上司とは、その後も長い間年賀状のやりとりもしたし、
今もいろいろなことを思い出す。
あの時、あの会社で出会った人たちは、実はどんな宝石よりも私の心の中で輝き続けている。
18の春は旅立ちのとき、そしてターニングポイント、桜の花とともに、毎年私の心にいろんな熱い想いがよみがえるのだ。