週五日記

ボチボチがんばります

貴族と大衆&トランプ考察 の続き

2010-12-09 09:24:43 | Weblog
先ほどの続き。


そして、現代では、大衆が『自己決定権』を持っているが、

『自己決定権を持っている』大衆は、複合的な他者を内在しておらず、

『自己決定権』という刃物を振り回している感じなのだろう。


※ちょっと、はさむと、『大衆』という言葉づかい自体が『危険』だが、

自分が『大衆』であるという『自己反省』もありつつです。



大衆は、砂粒化して、『自己決定』しまくりで、まあ、『他者』を

切り倒す、切り倒す、すごい勢いで。

でも、しょうがないよな、とめることも出来ない。

使い慣れない『自己決定権』を振り回すヒトがいたら、『逃げる』しかない。



つまり、かかわらないということになるんだろうな。



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貴族と大衆&トランプ考察

2010-12-09 08:47:14 | Weblog
3時に目が覚める。早く寝すぎか?

風邪気味のせいか?


贈与論の本を家に持ち帰るのを忘れ、

内田先生の『知に働けば蔵が建つ』を再読。


これが、なかなか飽きさせない。



東アジアの安全保障について。C・J・K。


Aは、C・J・Kが、東アジア共同体をつくることに否定的である。

適度にハレーションをおこしているのが、Aの覇権戦略にとって有効である、と。

3年ぐらい前の内容だが、今いまにおいて、リーダブルである。

あと、北が、そろそろクラッシュするのではないか?という推察。トーブさんの

説を引きながら。北がクラッシュするという『危機感』は、『団結』にむかい、

団結する際に、A・Jなのか、C・J・Kなのか?

そこで『儒教』と『漢字』という共通項は、バカに出来ないのではないか?とのこと。


そうだよな、Aに対する反感の感情の噴出は、特に、日本の知識人みたいなヒトからも

聞こえてくる。


上記の地政学的見解。怖いぐらいにリーダブル、ワンダフル。


話変わり、『貴族』と『大衆(奴隷)』。ニーチェとか引きながら?だったような。

貴族は、大衆と異なり、自己決定権を有している。そりゃそうだ、大衆(奴隷)は、

エライひとの傘のもとで、おびえているしかない。

しかし、貴族と大衆の関係性は、共依存的でもある。大衆がいるからこそ、えらそうに

ふんぞりかえっていられるわけで、大衆がいなくなったら、貢物がなくなり、食うにも

困る。大衆は、大衆で、傘がなくなる。


だが、貴族が自己決定権を有するためには、貴族自身の中に『他者』を取り込んで

複合的な『自己』でなければ、『貴族』たりえない、と。そりゃ、そうだ、大衆の気持ちを

つかまない限り、貴族自身は『貴族』たり得ない『共依存的』関係性なのだから。


大衆は、自己決定権が無く、大衆間で『参照』しながら、生きているところが弱いのではない

か?

水のないところにいるなら、水を引いてくるか、井戸をつくらないと生きていけないのに、

そのような『自己決定』をしないわけだからなあ。


そう考えた時に、タイトルとつながったのだが、ロビーや、講義前後に『トランプ』を

しているヒトは、小さな、小さな、正に『サークル』のなかで、『参照』しながら

過ごしている感じがしてならない。そりゃ、自分も、ゴルフや、ぷよぷよをするが、

『優先順位』があるし、その『優先順位』の一点で、なんか、違和感を感じる。

そして、なんとも、負のオーラが出てて、『排他的』なんだよな。


うん、そうだ、『排他的』なところが、気持ち悪い。(言い切ってしまった)


他人に優しく振舞ってもらうことばかりの『要求』や、『承認欲求』むき出しの

ヒトに触れると、イラッとする。


それで、三時に起きたのだろうか?起きたら、風邪気味で頭イタイが、

とんぷくをヨメに渡され、仕事にいけとのこと。ヨメは正しい。

寝間着でコタツあたりで、ごろごろされないために、とんぷくを

渡したのだろうか?怖い。



















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