ダイナミックな人の動きが
先というか、優先されるべきことで、
法律は、ただ法律書に書かれているだけ
の場合もある。まあ、それぐらい
法律でがんじがらめになっているということだろう。
年をとって「頑な」になることと、年をとって「安定感」が
出てくることと、年をとって「体力」や「気力」が落ちていくこと
が、いっぺんにやってきた時に、いかに落ちていく「体力」と「気力」
でベターな判断をするか?これにつきるのではないか?
ダイナミックな人の動きが
先というか、優先されるべきことで、
法律は、ただ法律書に書かれているだけ
の場合もある。まあ、それぐらい
法律でがんじがらめになっているということだろう。
年をとって「頑な」になることと、年をとって「安定感」が
出てくることと、年をとって「体力」や「気力」が落ちていくこと
が、いっぺんにやってきた時に、いかに落ちていく「体力」と「気力」
でベターな判断をするか?これにつきるのではないか?
ドナルドダック、ならぬ、ロナルド・ドーアさんの
「金融が乗っ取る世界経済」に出てくる
「証券文化」という言葉が印象に残る。
確かに、証券投資というか、株取引というか、金融取引というか、
個人株主レベルでもパソコンがあれば、というか、携帯やスマホがあれば、
通勤時間中も株が買えるようになったことを考えれば、
「証券文化」といっていいかもしれない。しかし、「株屋」というような言葉でも
明らかなように、「虚業」だった時代から考えると、なんとも「スタイリッシュ」な
文化となって、むしろ、やっていると流行に敏感とさえ思われるかもしれない。
一方で、アジアの通貨危機を引き起こしてしまうほど、「金融」は、破壊力を
持っており、おそらくITや金融の知識がないことによる「情報の非対称性」により
、ますます「ブラックボックス」化して、一部のヒトのみが、あえていうが「不労所得」
というか、「資産性所得」を獲得してしまう。
しかし、「金融」は虚業で、勤労の精神が大事です、といったところで、
もう「金融」が、何をやっているかさえ、大部分のひとがわからなければ、
いや、大部分のひとがわからないことよりも、政治家がわからなければ、
手の打ちようがないところまできている。
金融資本主義、、、、、という言葉づかいを聞いたり、自分も使ったりしているが、
世界中の一部のひとしかわかっていない、「フロンティア」であるが、
もう目に見えて認識できるような世界ですら、ないのではないか?
スンゴイ時代だ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
楠木建先生のツイッターで知り、
最近、マネックス証券の松本大さんが気になるし、
好きな存在で、たった今、USTREAMで拝聴。
金融、あるいは金融業って、何だろう?という疑問が
かなりフツフツとわいている。
そりゃ、確かに組織への資金供給をすることぐらいは、わかるが
金融派生商品が、『実体経済』に与えるインパクトとか
(これは、ドーアさんの本を読んだから、ドーアさんの発想だろうが)
金融業自体が、GDP?、GNP?で結構なボリュームになっていて、
金融業に従事するひとが、かなりの人数になっていたり、
そのひとたちが、どのような理念や、ビジョンを持っているのか、
なども含めて考えると、かなり、金融業のボリュームが大きくなっている
問題は、世界の進展をを『非連続』にしてしまったような気がする・・・
それにしても、松本大さん、、、かっちょいいな。マークXの役者さん
以来にあこがれる。わたしも、毎日、スーツ着ようかな?はるやま、だけど。
榊原さんの「経済の世界勢力図」。
「ナショナルミニマム」という言葉が印象に残る。
いま、話題になっている給付付き税額控除や、
国民全員に必要最低額を給付するという「ベーシックインカム」と話がつながるのか?
自由競争で、びっくりするような格差を認めるような社会は、もう日本では
無理だと思う。
「社会保障費」、具体的には、医療・年金の費用は、病院や福祉施設が、効率化しても
、これからの時代は、いままでと同じ条件で保障できないと思う。
日本国債が売れなくなるような条件ばかり満たされていくことが、こわい・・・
雨が降っているのに岡山へ。
飲みながら、『北風小僧の寒太郎』の歌詞
について話していると、『ヒュルー・・・』という部分は、
宮沢賢治さんを参照しているのではないか?との仮説を
立てた。今朝、ググッてみると、そんなブログを発見。
その仮説が真実かどうかよりも、日本語が示す概念というか、
なんというか、『多義性』を有しているところが、なんとも、
情緒があって、『日本人』を特徴づけているとさえ思える。
それで思い出したのが、英語を日本語にする苦労、具体的には
「Accountability」に「会計責任」をあてるのか、「説明責任」をあてるのか、という
恩師のお話を思い出した。「辞書に出テルよ」という若造には、そのお話の
「ありがたみ」がわかりませんでしたが、少しだけ、昨日、飲みながら、
その意味が分かった気がします。感謝しております・・・
『ヒュルー』の意味合いは、幼少期には、分からなかったけれども、
宮沢賢治さんの背景を知って、やっと、『東北地方』の世界観に思いを馳せることが
出来る四国出身の『わたくし』といったところだろうか?
高橋源一郎さんの『「悪」と戦う』を読んで、「詩」に代表されるような
「行間」の意味合いは、かなり心の琴線に触れるんだな、と
殺伐とした今、少し興味がわく・・・
今朝の8時過ぎにテレビから
流れてきて、朝の身支度そっちのけで
聞いた。
子ども心に、いい曲だな、と思い、
いまだに40前にしても、いい曲だな、と思う。
確か、も○○だ君の家のレコードで、聞いて、
かなり、うらやましく思ったのを覚えている。
そんな幼少期の思い出さえも、YOUTUBEに
アップされている・・・
幸せなのか?不幸せなのか?
朝4時に起きて書くことではないが、
気にしたら負けなのはわかっているが、
腹が立つな・・・。
自分を『神』or『被害者』のポジションに
ポジショニング(マーケ用語?)して、
まあ、強引に、なぎ倒す。
あと、面と向かって言わないのが、きたない・・・。
まあ、こういうことに腹を立てないのが、リーダーなのだろうな。
この年になって、腹は相当立つけれども、
なんとか、『かかってこいやーーー』と、不良高校生のような
態度を、ギリギリ押し殺している自分が好き。
でも、いつか、仕返ししようと思っていることを、
日本人の『反米感情』にたとえて自慢げに話している自分は
どうだろう?
日本の経済が縮小した時に、
社会保障は機能するのだろうか?
経済が縮小すると、法人税とか所得税は
減収になって、財源が不足してしまわないのだろうか?
全員が幸せになるような社会は、実現可能性のある
ものなのだろうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・。
成立しているのか?
わたしが悪いのか?
仮に、私が悪くないとしたら、
誰が悪いのか?・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
悪いのが誰なのか、誰が判断するのか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○うべきなのか?
何と○うべきなのか?
利害関係者が『砂粒化』すれば、
それはそれはそれは、大変なことになり、
『擦りあわせ』コストは、膨大になるが、
意外に、その『擦りあわせ』コストは、砂粒化した利害関係者各人が
認識していない場合があり、大変である・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もっといえば、そのコストを『ゼロ』評価しているヒトもいて、
大変である・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その利害の具体的内容が、『お金』なら話がはやいが、
『時間』、『労働』の場合は、もっと大変である・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上記のために、『犠牲』を背負うリーダーが必要。