週五日記

ボチボチがんばります

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2011-03-31 09:33:18 | Weblog

忘れたバックをとりに

岡山へ。とほほほほほ。

あまりに疲れたので

〇〇10年をいただく。

(プレゼントしていただいた方々ありがとうございました。

今度焼肉いきましょう。おごれないけど)

さすがに〇〇10年。豊穣な香りで、ほんのり甘い

香りがする。これは、うまい。

一瞬だけ、ツライことを忘れられた気がする。

 

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カズゴーーーーーーール

2011-03-30 08:50:50 | Weblog

今朝、めざましニュースで。

あまりに興奮して首の筋を

ちがえそうになってしまった。

でも、昨日の夜岡山で食事して、

昼の弁当箱と水筒を忘れて帰ること・・・・・・・あると思います。

ヨメに相当怒られてしまった。

 

でも、カズのゴールは希望である。

カッコよすぎる。

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国際会計基準はどこへ行くのか

2011-03-29 08:46:08 | Weblog

国際会計基準といえども、

日本人の多くは、日本語で考えて

いるわけで、「英語」のものを、

「日本語」で理解しないといけない。

つまり、会計教育においては、「ある程度」は

日本語で普及するだろうな。「ある程度」ということは、

一部、ダイレクトに「英語」で学び、「英語」で財務・経理

の仕事をする若者が出てくるだろう。そうなると、

財務・経理の仕事は、日本人でなくてもよくなるだろう。

 

本当に国際会計基準は、必要なのだろうか?でも、

その必要性は、「国際」的に考えることになり、

今日までとかなり事情が違う気がする。

 

「経済のグローバル化」の是非や、今後の行方を

自分なりにつかんでないと、翻ろうされるだろうな。

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大前研一さん 再掲

2011-03-24 09:38:53 | Weblog

原子力の知識と、マネジメント能力

の両方を持っている人材は、そういない気がする。

大前先生の理論を検証してみたいが、

直感では、ほぼ合っている気がする。

 

 

<p>
<object width="480" height="390">
<param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/8GqwgVy9iN0?fs=1&hl=ja_JP" />
<param name="allowFullScreen" value="true" />
<param name="allowscriptaccess" value="always" />
</object>
</p>

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国際会計基準はどこへ行くのか

2011-03-24 09:16:51 | Weblog

ぼちぼち読んでて

前に読んだ内容を忘れそう。なので、ブログに書きとめ。

 基準設定する人の多くは、産業界の代表、あるいは

会計士など。あとは、証券会社系の、いわゆるお金で

お金をもうける人たちが理事になっていることも、

なにかを物語っている。

 

ストックオプションとか、先物取引とか、

どうなんだろうなあ、としかいいようがないが。

日本での、国際会計基準の採用(アドプション)

のやり方も交渉次第で、①全面採用、②一部採用、

③両論併記の三パターンのうち、①を採用すると、

もう、会計基準というヒモでがんじがらめになって、

少しずつ「国のリソース」が収奪されるような

会計基準という「ヒモ」になって、

「ツライ」ことになってしまうかもしれない。

 

なんだかな。

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大前研一さん

2011-03-23 14:02:53 | Weblog



さすが、の一言。

原子力とマネジメントの専門家。

企業参謀をはじめとして

必読です。

 <object width="480" height="390"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/8GqwgVy9iN0?fs=1&hl=ja_JP"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/8GqwgVy9iN0?fs=1&hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="390"></embed></object>

 

 

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僕なら言うぞ(・・・しかし、ぼくなら言えないけど、・・・)

2011-03-23 08:47:11 | Weblog
吉本隆明さんの本。

明治6年の地租改正は、

貢納(物納)?から、貨幣による納税に改正され、

いわゆる貯蔵可能で、決済が便利な「貨幣」による

納税であった、とのこと。


その改正は、前近代的な制度から、近代的な経済制度

(あるいは、近代資本主義経済)への移行を示す改正で

あったことになる。


あと、戦後のドッヂラインとか、自分に馴染み深い

シャウプ勧告とか、よくよく考えてみると、

アメリカによる日本の近代化の側面があり、

アメリカが乗り込んできて、経済的に支配されそうだ

ともいえる。

つまり、太平洋戦争後は、「経済」をどちらが牛耳るか、

という今日までつながることになるのだろう。


日本の教育や、医療を語るときに、その辺は、かなり

根本的にかかわる問題で、石井十次さんの偉業も

その根本的な問題ごと捉えないと、なかなか理解出来ないだろうな。


日本人独自の教育観や医療は、儚いもので、

それに、どのようにアプローチするか?



株式会社の教育とか、医療とか、あまりにもアメリカナイズされた

もので、もうちょっと、アメリカナイズなものを「留保」する気持ちが

あってもいいのではないか?







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高等遊民

2011-03-22 08:46:26 | Weblog
吉本隆明さんの

『僕なら言うぞ』という本。


自分では、どうしようもないが、自分の人生そのものを

根本からくつがえす事象を、どう自分の中で消化するか?


A・・・自分では、どうしようもないから、従順になろう。

B・・・従順になるとあまりにも、しんどいから、一応考えておこう


A,B共に、その事象を『どうしようもない』けれども、

Bの方が、『冒険心』とか、『欲望』に忠実なのだろう。


みんなが、みんな、高城剛さんや、藤原ヒロシさんのように

『精神の自由』を謳歌することは出来ない。謳歌するためには、

ある程度の努力も必要。


高等遊民は、まあ、高等遊民の定義はさておき、

職業的視点に押し込まれていないことが、高等遊民としての

唯一、社会貢献出来ることではないか?


職業的視点を持たないという一点で、社会に生きていてもいいような

気がする。


じゃあ、どうするの?といわれると、

Aを採用。









その理由は、家族。
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国際会計基準はどこへ行くのか

2011-03-16 08:43:48 | Weblog
連結か、個別か?


連結しかないだろうな。

個別は、各国の税法等と密接にかかわっており、

言い方をかえると、税法は、国家の課税権に

かかわることで、そこに、国際会計基準という

いくつかの国の思惑がまじった『国際会計基準』を

割り込ませることは、ないだろうし、いたずらに

苦労するだけだろう。



あと、連結財務諸表といっても、いわば『ガッチャン』した

だけで、そのような連結した実体としての企業は存在せず、

その実体を反映した『株』も売られていない。

じゃあ、連結って何なんだろうな?




昨日は、卒業生来訪。かなりまくし立てる様に

一方的にしゃべってしまった。

正直に、久しぶりに元気な姿を見せてくれたことが

うれしい。こういう時期なので。


今度は、タテのつながりを作ろうかな。
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つらいこと

2011-03-15 08:44:49 | Weblog
小さなことから、

大きなことまで

いろいろある。


なさそうで、あるし、あるいようで、

ないかとおもいきや、ある。


なんだかな、、、、、。



『「学び」から逃走する子どもたち』岩波のブックレット?

を購入。ある先生の本からインスパイアを受けて、購入。


東アジアは、産業的に、欧米にキャッチアップするために、

教育では『詰め込み式』になったのかもな。

詰め込み式=お勉強で、身体と精神に良くないことは、身をもって

体験している。


学びとは、積み上げ方式でなく、機能的、あるいは有機的に

ある一点から、くもの巣のように広げていくことが大事だと思う。

つまり、段階的に積み上げなくても、思い立ったところから、

各人が自由にくもの巣を広げるように、学んでいくことが大事だろう。


積み上げ方式は、楽しくないし、すぐに崩れてしまいそう。

一回積み上げるのをミスったら、取り返しがつかないが、機能的、あるいは

有機的な学びは、『いつでも』スタート可能な学びとなる。


ただ、積み上げ方式は、専門家の知識水準を『管理』することには、

優れているのだろう。分業された業務をやる場合には、『せまく、深く』

勉強していただいたほうが、効率よく業務が進むだろうし。


『勉強は楽しいですよ』という理念が、現実問題として、週5で22時まで

塾の場合もあり、現実的に『楽しいわけ無いじゃん』と、みんな思っており

誰のせい?ともいえず、週5で塾に行くうちに、病んでしまうこと、、、、、、、

、、、、あると思います。


自由でいたり、楽しんで生きるのには、パワーや、戦いが必要。
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