週五日記

ボチボチがんばります

ライブ

2011-07-29 10:29:12 | Weblog

ap bank fes

見てても思うが

『ライブ』は、

ネットでは味わえないと書こうと

思ったが、YOUTUBEで

『クーラー』の聞いた部屋でも味わえるが、

虫にさされたり、暑かったり

腰が痛くなったり、

ふとした出会いがあったり

のコミコミは、ライブでしか、

味わえない。

 

長い時間を過ごす、、、、難しいことだが

けっこう『福祉』の根源的なこと

だと思う。

 

むしろ『長い時間』さえ過ごすことを第一義に考えて、

いろいろな教育とか、福祉の『プログラム』は考えるべきだろう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々の会食

2011-07-28 09:02:28 | Weblog

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん

 

書けない。でも、『書けない』ことが、なんだろう、

こころの『勉強』になる。

 

『こころ』とかいうと、夏目漱石が思い浮かぶ。

 

夏の一冊的な、季節。

 

しかし、夏の一本的に、そろそろ『文章』のアウトライン

を考えないと、とブログで書いてる時点で、

考えてない証拠。でもほんと-----------------------------------に、忙しい。

『ほんと---------------------------------------------に、忙しい』実感を、文章にのっけようと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リトルヘルプ

2011-07-27 09:19:16 | Weblog

この言葉がけっこう好き。

藤原ヒロシさんの『丘の上のパンク』に

出てくる言葉。

『リトルヘルプ』しながら、

思考の枠組みや、プロセス、あるいは経験だけは、

いただけるものな。

 

『小さなハードル』でも、その小さなハードルを

『見つけて』、飛ぶかどうか『決めて』、意外に

じゃり道で『やめようかな?』という心の葛藤があり、

違うハードルに『心変わり』したり、という

もろもろコミコミで、やっぱり『飛ぼう』と思って

飛んで、そんな『楽しくもないな』と思うことを

『リトルヘルプ』しながら、得られるものな。

 

若者の苦悩を、少しリトルヘルプする、というのが

年老いていきつつある、おっさんのメインの仕事に

なっていくのだろう。

フィールドに行くときの、荷物持ち係と、

計画表ぐらいは、むしろ、やらせてください。

財布係は無理ですよ、神戸でヤッテしまったので。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもの宿題

2011-07-26 08:57:49 | Weblog

かなり

子どもが夏休み家にいることが

うれいいというよりも、大変そうである。

『どこどこ連れて行って』とか、『○○していいですか?』とか、

ダラダラ朝ごはんを食べて、食器が片付かないわ、

寝る前におもちゃで遊んで片付けないまま寝て、

家が片付いてないことにキレている。

 

その上、亭主の本棚と、書類入れがグジャグジャで

なおのこと怒りがフルスロットル。

さらに、ダラダラ夏休みの宿題を、信じられないぐらい

グジャグジャにやっているらしい。

 

ちょっと責任を感じる。

 

そのタイミングで、『家で飲み会していいですか?』と

言ってしまった。

 

家の温度が5度下がった。・・・

 

まあ、夏休み中に一回ぐらい我が家でやりましょう。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソーシャルメディアの可能性

2011-07-24 10:53:33 | Weblog

最近、YOUTUBEを見る時間が増えている。

大手マスメディアからの情報が『断片的』、且つ『大人の事情』がありそうで、

辟易としていたところに、どんぴしゃな感じである。

 

特に『内田樹』でYOUTUBEで検索すると出てきますが、

6/12のチャリティーシンポジウムは、かなり自分の『分析視角』が

研ぎ澄まされた気がしました。

 

要約したいところですが、前半6本、後半8本に分かれていますので

ご興味のある方は、ぜひご覧ください。

 

情報ソースを多様に持つことも大事だし、

その多様なソースを持って、いかに自分の頭で考えるか?

ということの大切さを改めて認識した。

 

自然科学者と社会科学者の『対話』も、かなり重要。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界認識の方法

2011-07-23 08:01:03 | Weblog

吉本隆明さんと、フーコーの対談が出ている

文庫本。

本のタイトルからして、かなりイッテいると思う。この本を

読もうと思った自分も、かなりタイトルのインパクトに

やられたのと、フーコーと、吉本隆明さんの対談をのぞいてみたい

、理解してみたいという『身に余る』欲望からだろうか、精神の自由の

欠如からだろうか?(笑)

 

『マルクスに始末をつける』というところがスタートで、

『マルクス自身』と『マルクス主義者』は分けて議論されている。

マルクス、あるいはマルクス主義が、なぜ『始末をつけないといけないほど』の

壁であったかというのは、(1)科学性が存在する(私が想像したのは、

例えば、労働価値説が、かなり数式っぽく現在でも理解可能な説である点)

(2)予言性(かなり、はずれた予言もあるらしいが、予言するという『かっこよさ』とか

『覚悟』がすごいからか)

(3)政治性(まあ、これは説明いりませんね。国家をつらぬくイデオロギー?だったりするので)

が要因ではないか、とのこと。なるほどなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

 

あとは、マルクスの『資本家 VS 労働者』の図式が、なぜ二項対立なのか?という

問題で、『意志』をめぐる二人の議論が、白熱している。

 

二項対立という図式で簡単には、語れない。なぜなら、個人、個人が『意志』を

持っており、『○○せねばらない』というヒトもいれば、『おなかすいたなーー』のヒト

もいるわけであり、そんな簡単に『個人』の意志はまとまらない。

フーコーさんは、意志の問題について、『○○党』の問題を指摘しており、

集合的に団結して『党』を結成したら、『おなかすいたなーー』は『党』の団結を

優先事項として切り捨てているから、個人の意志は、問題としていないと

いうニュアンスだったが、吉本さんは、それでもなお、個人の意志は、『いずこへ?』という

ことをフーコーさんと議論したかったのではないか?、と栗本慎一郎さんの解説で

を読んで思った。

 

たぶん、フーコーさんが最後に触れていたように思ったが、吉本さんの

お仕事のうち、フーコーさんが感嘆しているのは、

『共同幻想』のあたりのことだと思うが、まあ、ここからは、

わたしも、ふわふわした理解でしかないが、(ブルータスの雑誌の拾い読み程度の理解)

『個人の幻想 VS 国家の幻想』というか、『個人 VS 国家』の『相互作用』とでもいおうか、

その辺も視野にいれて考えるべきではないか?ということではなかったのか?

これは、直感的に、『ギデンズの構造化理論』と関係するかもしれない、もっといえば

この辺を踏まえて、ギデンズは理論化したのでは?と直感的に思いました。(思いましたは、

科学的な態度ではないですが。月曜の若人たち(笑い))

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラジオ体操

2011-07-22 10:23:29 | Weblog

ピーマンの花と、ピーマンの

写真を撮り忘れました。

またの機会にのせます。

 

21日からラジオ体操へ。

いまのところ皆勤賞である。

ラジオ体操に参加すると、

肩こりが治りそうな感じがする。

 

今朝は、二時半に起きて『子どもへのまなざし』読了。

あとがきで、佐々木先生の講演をまとめられた方が、佐々木先生自身の『子どもへのまなざし』の

あたたかさと、熱心さが書かれていた。

この本は、佐々木先生自身が出版されたのではなく、佐々木先生の考え方を育児に

悩むご両親に知ってほしいという、熱心な方々の『思い』から出版されたようである。

 

すごいな。

 

難解な技術や考え方を、いかに読者を想定して、

『わかりやすく』伝えるか?

親と子どもの良好な関係性でさえ、かなり『しっかりとした』考え方を持ってないと

難しいと感じた。いや、むしろ、その関係性の努力は、『当たり前』のことかもしれないが、

いろいろな『環境要因』に親も子どもも影響されており、

『当たり前のこと』が難しくなっているような気がする。

 

高度資本主義(あるいは金融資本主義)は、社会システムの枠組みで、

貨幣とか、物流に影響を与えているだけでなく、

ヒトの『OS』に、かなり影響を与えており、

教育=ヒトのOS、だとすれば、『教育』にも多大な影響があるのかも。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脱施設化と地域生活のコメント考察

2011-07-21 08:50:01 | Weblog

コメントありがとう&読者の皆様への

感謝の気持ちで、プチトマトの画像をプレゼント。

明日は気が向けば、ピーマンの花と、小さなピーマンの

画像をプレゼントいたします。たぶん。

 

コメントの中で、『都会から脱施設化がはじまる』というのは、

都会に正に、中央集権しており、『地域福祉で医療費削減』的な政策の理解が

早いからという理解でよろしいでしょうか?なるほどなあ。

 

確かに、『国家政策』や『地域政策』と関連するが、ホッコリした地域福祉が根付きそうな

自然豊かな『田舎』は、『国家政策ってなんじゃらほい?』な感じで(というと失礼か)

いや、頑張って国家政策等を理解しようと、けっこう真面目に、直接処遇の各国家資格の

研修会に『自腹で』出てるにもかかわらず、ちょっと『歪んで』国家政策が伝えられたり、

『国家政策』そのものが、地域という『多様性』を反映していない『政策』になっているばっかりに、

『政策って、現状にあってない、プンプン(怒)』となって、

『まあ魚と米はあるから、貧しいけれども、汗水たらして、支援する側が多少、辛くなっても

がんばろう』という、かなり『尊い』精神が、現在の『地域福祉』を支えているのかもしれないな。

でも、たまにはおいしい○○牛のステーキ食べたり、海をみたり、プールで泳いだり、

スパにいったりしないと『支援する側』もカラカラに干からびてしまう。

(conclusion)

田舎で地道に福祉をやっている人たちと、政策立案する人たちの『対話』の場は、あるのだろうか?

と考えました。(ある論文の受け売りですが)

 

やっぱり、夏はフィールドワークでしょう。

水着は買ってもらったし、日焼け防止のシュプラッシュガード?

も買ってもらいましたし。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脱施設化と地域生活

2011-07-20 08:33:52 | Weblog

脱施設化を推進する場合に

たぶん一番ネックになるのは、

施設という『職場』を失う人たちの

サポートだろう。

施設運営は、かなり『組織構造』をどうするのか、が

重要であるし、脱施設化を前提にするならば、施設運営を支えている人たちが、

いかに『地域生活』を支える人材になれるのか?という

ことと、『地域生活』あるいは『地域福祉』とは何ぞや?という

新鮮な『しじみの味噌汁』のごとく、『こころ』と『からだ』で受け止めるように

理解することが大事だろう。それも、ラフな感じで。

 

ただ、脱施設化は、国家政策や、地域政策と、かなり関連する問題であるが、

一般の人たちは、地域に根差したNPO法人からスタートして、

自分なりの距離感で、『ホームヘルプサービス』を実践するしかないような気がする。

 

鯛のお刺身もおいしかったし、カツオの刺身&たたきは、メチャクチャおいしいし、

昼の三時から、いい感じだし、『福祉の現場』を学べるし、

月曜日の若人たち、いかがですか?

そういえば、島で○りもしないと、なんちゃって。○りしながら、

『地域福祉』を学ぶのもありだと思うがなあ。○ールも持っていかないと。

島は、自販機がないので。

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最終講義

2011-07-19 09:51:10 | Weblog

三連休は、野外活動センターで

バーベキュー。

テンションはあがるが、暑い。

鶏肉はよく焼かないと、『危険』ということを

勉強した。普段、料理やらない人が、『焼き係』にしゃしゃり出てくると

マズイ、、、、そうだと思います。

 

ママ友から変な目線で睨まれること・・・・・・・当然だと思います。

 

最終講義の本。

人文科学に未来はあるのか?

と投げかけられた時点で

マズイと思う。

まだ、気にかけてもらっているだけ

幸せなのか?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする