忙しい中、ボチボチ。
おっ、と思ったのは、ある民族では、
売るとか、貸すとかの概念が無く、
『贈与』と『返礼』しか概念が無いのだと。
つまり、今日の売るとか、貸すという『経済行為』
は、『贈与と返礼』をベースに、制度的あるいは法形式的なものとして
成立しているのではないか?と思った。
しかし、今日では売るとか、貸す行為に『貨幣』がかまされて、すんごいスピード
で行ったり来たりしながら、欲望が満たされていく。
『贈与』して、『お魚たくさん採れたので、おすそわけして』、かなりの時間を
経過して、『お米』が届くという、長ーーーーーーーーーーーーーーーーい、
時間のサイクルは、現在からすれば、ある意味、『郷愁』さえ感じる。
昨日、下関の親戚から大量の魚が届き、お隣さんに配ったら、
立派なカキをいただいた。
『贈与と返礼』は、いまも生きている一方で、
どこにでもコンビにもあるが、
態度の悪い店員だと、『イラッ』とするし、
でも、釣りにいくときに、船の上で食べるコンビニ弁当も
おいしいし。
おっ、と思ったのは、ある民族では、
売るとか、貸すとかの概念が無く、
『贈与』と『返礼』しか概念が無いのだと。
つまり、今日の売るとか、貸すという『経済行為』
は、『贈与と返礼』をベースに、制度的あるいは法形式的なものとして
成立しているのではないか?と思った。
しかし、今日では売るとか、貸す行為に『貨幣』がかまされて、すんごいスピード
で行ったり来たりしながら、欲望が満たされていく。
『贈与』して、『お魚たくさん採れたので、おすそわけして』、かなりの時間を
経過して、『お米』が届くという、長ーーーーーーーーーーーーーーーーい、
時間のサイクルは、現在からすれば、ある意味、『郷愁』さえ感じる。
昨日、下関の親戚から大量の魚が届き、お隣さんに配ったら、
立派なカキをいただいた。
『贈与と返礼』は、いまも生きている一方で、
どこにでもコンビにもあるが、
態度の悪い店員だと、『イラッ』とするし、
でも、釣りにいくときに、船の上で食べるコンビニ弁当も
おいしいし。