週五日記

ボチボチがんばります

白熱JAPAN

2011-02-28 08:44:21 | Weblog
NHKの放送。


聖路加病院のサリン事件への対応を

事例として。大学院のビジネススクールなので、

元勤務医や、元自衛隊の学生さんもいて、議論が深い。


成功した要因として以下の点が挙げられていたように思う。

(1)キリスト教の精神の共有

(2)危機対応の設備が、そもそも充実していた

(3)トップの危機宣言の意思決定があった

(4)現場の職員が自律的に行動した

(5)現場とトップをつなぐ指揮命令系統があった

(6)医療組織の場合は、営利企業と比べて、使命が明確

など。


しかし、特に(4)と(5)については、そもそも『自然発生的』な

ものだったのだろうか?という、するどい投げかけ。


『自然発生的』なものでなく『醸成』されたものではないか?

では、なぜ『醸成』されたのか?


『情報共有』がキーになるのではないか?


では『情報共有』出来る組織と、出来ない組織の違いは何か?


(1)情報を発信しようとする人間がいるかどうか

(2)情報を受容する人間がいるかどうか

(3)情報を発信した場合に、仮にミスを犯したとしても

責められないという『組織風土』が存在しているかどうか


まあ、間違いない結論だと、過去の人生経験から深くナットクして

しまった。


神戸の先生の本のうち、『組織シンボリズム論』等は、

このケースとつながるだろう。


子どもが見ているチビまるこちゃんと、サザエさんを見せられなかった。

あと、私のカレーが冷めていたが、

まあ、見てよかった。

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心の余裕

2011-02-26 08:52:06 | Weblog
心に余裕があるような、

環境作りをすることこそ、

リーダーの役割ではないのか?


環境には、お金と時間と、なんといっても

マンパワーとしての人材が必要。


リーダーは何もしてないようで、

何もかにもしている。


リーダーなのに、リーダーの役割を

放棄して、不平不満を言うのはもってのほか。




政治にもリーダーが不在。『にも』が意味深・・・・・・・・・・・・・・

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日本人は思想したか

2011-02-25 08:43:00 | Weblog
吉本隆明さんと、中沢新一さんと、梅原猛さんの

対談本。

『日本人は思想したか?』で対談する時点で、

対談が成功しているような気がする。


思想=西洋哲学のような気がするが、

仏教、神道は日本における思想ではないか?と思った。


『村の鎮守の神様の~』って、確か、幼稚園で歌って、

いまでも覚えてて、この本で、『鎮守様』という言葉に出会って

自分の中にある『日本的な思想では?』と大げさに思ってしまった。


日本における思想を語るときに、マルクスさんの考え方を

駆使して語っていた。


日本の思想は、村単位ぐらいで、五穀豊穣を願ったり、

大漁や、狩猟がうまくいくように、また、魚や、熊さんを

殺生してしまうことを感謝するために、『思想』あるいは『神』が

必要だったのでは?と理解した。


上記の『マルクスさんの考え方』と、土着的ともいえる『日本の思想』

の不一致を起こす点として、『「自然」考慮しているかどうか?』という点が

問題になるとのこと。

ただ、マルクスさんの時代では、無理もないことで、それで、マルクスさんの価値

が損なわれるわけではない。


あと、生産技術の向上が『自然』を壊すので、『生産技術が悪ではないか?』というのも

問題だと思った。『生産技術の向上』は、『現在より未来がよく変わる』とも捉えられるし、

自然の崩壊を出来るだけしないような、『生産技術の向上』になることを志向するべきでは?

と思った。



医療技術が発達していって、『医療費の上昇』が国民的な課題であれば、

医療費の抑制までも包括した『医療技術の向上』を期待したいなあ。
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上部構造と下部構造

2011-02-21 09:04:21 | Weblog
心が疲れ気味で

吉本本を再読。

高度消費社会では、精神と肉体の成熟度

がズレて、それが結構問題になる場合があると。


なんか分かるなあ、と。たぶん、高度消費社会は、

『便利』すぎて、肉体の苦痛を伴った『精神活動』が

無くなり、『精神』が問われるような『状況』がないために、

精神だけ『幼稚』になるということだろうか?

そうだよな、生命の『危機感』こそが、ヒトを成熟に導くような

気がする。その危機感は、生存本能を目覚めさせ、『成熟』していかざるを

得ないと思う。


しかし、外題では、生命の『危機感』は先延ばしされて、80歳でも、

『老化』をあまり感じさせないような、便利な時代であるとも言える。

お金があれば、日常生活の苦労から、すんごい開放されるだろうな。

毎日、お風呂にいれてくれたら楽だな。髪の毛を洗ってもらって、

身体洗ってもらったて、

湯上りのビールももってきてくれたらいいなあ。

それか、毎日、超高級な高専賃のように、温泉でジャグジーで

ビール飲めたら最高だろうな。



閑話休題。


下部構造は、大事。

下部構造は、けっこう強いなあ、と。






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教科書的な言葉遣い

2011-02-18 09:11:54 | Weblog
教科書の言葉遣いは、

確かにキレイに整頓されて、

万人が受入れ可能で、真実であるけれども

『おもしろくない』。


おもしろい講義とは、グジャグジャなフィクションを

作り込んで、クリアな教科書のロジックの視点から、

グジャグジャを眺めてみて、『まあまあ』適合していて、

でも『ちょっと』グジャな部分が残っています、という

風にやるのが、おもしろいなあ、と思う。


正しいことは、『現実』でもなくて、『教科書』でも

なくて、『現実』と『教科書』のミートポイントを

探そうとする『覚悟』ではないか?


リアルな現実をヒトは見たい訳でないし、

まったく空虚な理想を見たい訳でもなく、

現実からちょっとだけ浮いている『心地良い場所』を

いかに努力して作るのか?ではないか?

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覚悟

2011-02-16 08:43:27 | Weblog
要は、覚悟があるかどうか、

で、何をやるかは、関係ない。

頭で考えたぐらいで、5年先の計画

が立つ訳が無い。


どろくさいし、手垢がついているが

『心持ち』が大事だろう。


覚悟が無ければ、ただのヒトになる、

いいも悪いも無し。


自分の覚悟はといえば、坂本龍一さんもラジオで

いっていたが、『いい仕事して、よく遊んで

おいしい酒を飲むぞ』ぐらいか?

これは、覚悟ではないか?

ドドスコスコスコ、ドドスコスコスコ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


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生産スピード

2011-02-15 08:51:38 | Weblog
吉本隆明さんが、確か次のような

ニュアンスでいっていたが、

生産スピードが、会社のスピードを

決定し、さらに、そのスピードは、

その会社の子会社のスピードを決定する。

また、会社で働く人たちは、そのスピード

について行くために、カツカツになり、

ちょっと街で肩がぶつかったぐらいで、

○○までおぼえてしまう。


組織の慣性という言葉でいうと

簡単だが、けっこう上部構造としての

社会の仕組みの問題と、組織人ひとりひとりの

問題と、組織のトップの問題とが絡み合う複雑な問題だろう。




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関係ねえや

2011-02-14 09:01:31 | Weblog
この言葉が

気に入っている。


『関係ねえや』と思えば

楽になるし、腹も立たない。

何でもかんでも、引き受けたら

身体が持たない。


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総長賭博

2011-02-10 08:47:53 | Weblog
これ以上書けない。



閑話休題。


ゴルフ練習。

『調子上向きかも』と

思い込んで練習終了。

さて、恥ずかしくないゴルフが出来るか?
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胆力

2011-02-09 08:43:53 | Weblog
胆力とは、

『もう自分が組織や世の中から抹殺

されてもいいや』という認識の下に、

『自分が考え抜いた信念』をつらぬこう、という、

尊い精神状態というか、なんというか、

そこまでいかないと『信念』は実現出来ないこともあり、

しかし、その信念は間違っている場合もあり、

長い時間軸や、大きな範囲で検討した時に

はじめて『考え抜いた信念』だったな、と

みんなが思えるようなことであるかもしれない、という

大変なことなんだな、ということが分かった。


例えば、あるヒトの身体を『国民生活』に供して、

あるヒトの身体あるいは全人生全てで、

説得出来るものでないと、『信念』の実現は

難しいだろう。




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