1日2時間で、年間約700時間×5年間=3,500時間。
とあるヒトによれば、これで自分のモノにならないはずが
ないらしい・・・。
けっこう、大変。中学生から1年700時間やってれば、
よかったなあ、といっても仕方ない・・・。
1日2時間で、年間約700時間×5年間=3,500時間。
とあるヒトによれば、これで自分のモノにならないはずが
ないらしい・・・。
けっこう、大変。中学生から1年700時間やってれば、
よかったなあ、といっても仕方ない・・・。
100億ユーロ??。
キプロスに限定できない大問題。
責任の所在を追求できないぐらいの金額。
キプロス。
欧州経済、、、、、。
目が離せない・・・。
『自己愛』について心療内科の現場から
考察された本の感想ブログを読み、
タイトルがヤバいので、ヨメに見られるのもいやなので
買うのやめよう、と思ったけれども、日々の『人間模様』を
理解するうえで、かなり必要だろうと思ったので購入。
まだ読んでないが、感想ブログから思うことを以下で書いてみたい。
『自己愛』。
1.直感的に、狩野さん的なナルシズム?。
2.『自己愛』とは、自分が傷つきたくない、ということだろうか?
そして、『自己愛』の結果として、自分で『自己愛の対象としての現在の自分がベスト』
なので、『一歩踏み出して、自己改革した自分』は認められないから、
『他人に改革してもらいたい』という状態だろうか?
(というか、自分自身も、切羽詰って、ヨメ等に当り散らしているときは
まさに『自己愛まみれ』になっていると、書きながら感じる。少しだけ、反省。)
3.他者とのかかわりそのものが、『自分』だという認識を持てば、『過剰な自己愛』は、
解決されそうだけれども、『激しい他者』と向き合うのは、かなり大変なことではある。
4.『自己愛』のグラデーションというか、自己愛の質というか、
多少、『ゆるゆる』の自分を含めた自己愛であればいいのではないか?
厳しすぎてもダメであるし、甘すぎてもダメだし。
他者を自分の中に取り込んだり、他者との関係性を大事にする『心持ち』であろうとしても、
というか、他者がいて、はじめて自分が成り立つという『経験』を『論理的に』考えられなければ、
永遠に『他者』を自分の中に取り込めないのではないか?それって、ただ単に、
年齢に応じた経験値の問題?
話変わり、昨日の友達の電話での話し。
『人間が一番難しい』、なるほど。