風の記憶

the answer is blowin' in the wind

潮騒の音

2006-01-30 | 


庄内には、海があります。

だから、みんなそれぞれ海に思い出を持っています。


故郷を遠くはなれて暮らす友たちに・・・、

『 今でもあなたの耳には、

あの潮騒の音が聞こえていますか 』




「瞳を閉じて」

風がやんだら 沖まで船を出そう

手紙を入れたガラスビンをもって

遠いところへ行った友だちに

潮騒の音が も
う一度届くように

今 海に流そう

今 瞳を閉じて


- 作詞・作曲 荒井由実 -

Yumi Arai 1972-1976



「瞳を閉じて」誕生秘話

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母の味

2006-01-25 | 


自宅から車で20分と近いせいもあり、実家にちょくちょく寄っては野菜を分けてもらったりする。
そんな時、母はいつも夕飯を食べていくように勧めるのだが、自宅で食事の準備をしているので食べる機会はほとんど無い。
そんなこともあり、久しぶりに夕飯を実家で食べるとなると、母は私に何を食べさせようかと大思案となる。
とは言っても、特別な料理が出るわけでもなく、卵入りの野菜炒めだったり、おでんだったり、焼き魚だったりするのだが、気づくとその料理はほとんどが私が子供の頃に好きだった料理なのである。
そしてこれがやはり妙に美味い。

世の中は、グルメブームとか言う風潮で、やれ厳選素材だの、至高の味だの、何処其処の何々が最高だのと、とかくやかましい。
母親が作ってくれる料理は、高級素材でも無ければ、究極の味でもない。イタメシでも無いしフカヒレなんか出てはこない。しかしその味は、そんな浮かれた風潮の高級料理と見事に対峙してひけをとらないほど力強く、暖かく、そして美味しい。

母は、ただ子供の喜ぶ顔のために、そして子供の栄養が偏らないように嫌いなものを食べさせるための工夫をし、家計を考えたりして料理を作ってくれたのだ。
この日のおでんの大根も、わざわざ雪の畑を掘り起こして悴む手で採ってきてくれたものであった。
幾つになっても子は子で、親は親なのだと思う。
そして、そんなふうにして私はこの母に育てられてきたのだと思う。

それを思うとき、

切ないほどの美味しさが、母の味にはある。



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冬の海

2006-01-23 | 



冬がきても、怖れることはない

空は見えず、太陽が輝かなくても

昼と夜の区別がつかず、道に迷い

感覚を失おうとも


自分を、取り戻すんだ


明け方には雨が降るかもしれない

けれど頭上には虹が架かるのさ


誰かに愛してもらうんだ


手遅れになる前に・・

before it's too late



-1973-
「DESPERADO」~EAGLES~

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冬茜

2006-01-14 | 


久しぶりの冬茜(ふゆあかね)の中、雀たちが冬木立に群れていました。

野に生きる鳥たちは、体一つで飢えと寒さに立ち向かっています。
食料の少ない冬。彼等は一粒の糧を探すにも雪をかき分け必死です。
時には危険を冒し、人間の近くにも接近しなくてはいけません。
そして夕方には、凍てつく冬の夜を越えるために安全な宿を探さなくてはならないのです。

冬は、成鳥だけでなく幼鳥や老鳥に対しても容赦なくその厳しさを与えます。
その冬の厳しさに耐え、過酷な状況を乗り越えたものにだけ、春が訪れるのです。

そんな鳥たちは冬の束の間、時折見せるこの綺麗な冬茜をどのように感じているのでしょうか。
人と同じく、冬を越える勇気をもらっているのでしょうか。

冬はまだまだ続くことを、鳥たちも知っているのです。



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雪道を歩く

2006-01-06 | 


雪道は、危ないのです。
一歩一歩、歩みを慎重に進めましょう。
転ばないように全ての神経を足先に集中させましょう。
偉そうにふんぞり返って歩いてはいけません。
颯爽と歩いてはいけません。
大切なものを抱くときのように、神様にお祈りするときのように歩きましょう。
でないと、すぐに自然からしっぺがいしがきます。
雪国では、いい気になって雪道を歩いて転んだ人は
「罰(バチ)が当たった」と言われます。
罰(バチ)が当たらないように、謙虚に歩きましょう。

しかし、慎重に歩かなくてはいけませんが、
道に足跡が無くて誰も通っていないからといって、歩みを諦めてはいけません。
その先に行かなくては、時は進まないのです。
勇気を出して一歩を踏み出しましょう。
誰も足跡を付けていない道を歩くのは、
何か自分が道を造っているような気がして気持ちが良いものです。
それに、子供たちやお年寄りが安心して歩けるように、
道を造って上げましょう。

でも、あまり張り切ってもいけません。
無理に進もうとしてはいけません。
雪は全てを包み隠していますので、
見えない溝に はまってしまうかもしれません。
雪庇に上がったりしたら崖下まで落ちてしまうかもしれません。
とても危険なのです。
慎重に、慎重に、雪がなかったときの その道を思い出して、
予測して、確かめて、安全に歩みを進めましょう。

ぐぐっ、ぐぐっと、自分の一歩を確かに感じて、
確実に雪に刻むように歩きましょう。
そして時々、後ろを振り返り、自分が歩いてきた道を確かめましょう。
もしかしたら、獣道に迷い込んでいるかもしれません。
迷った、と思ったら躊躇せずに後戻りしましょう。
間違いは誰にでもあるものです。
もし滑って転んだとしても、立ち上がればいいのです。
恥ずかしがることはありません。
雪国に住んでいる人は多かれ少なかれ滑って転んだことがあります。
雪の深みにはまったことがあります。
だから誰もそれを責めたりはしません。
責められるとすれば、
自然を侮り、自分を過信したときです。
雪国庄内ではそのような人を「ほじなし」と言います。
「本地なし(正気を失った者)」と言う意味です。
雪国では自然に畏敬の無い人は、正気を失った人なのです。

慎重に、安全に、しかし大胆に勇気を持って、
自然を畏れ、感謝する気持ちを持って、
時には後に続く誰かのために、
そして、自分の目的を遂げるために、

「雪道を歩く」

それは、何かしら「人生」に似ています。




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迎春

2006-01-01 | 季節


「明けましておめでとう」「賀正」「謹賀新年」「恭賀新年」「新春」「頌春」などなど、
新年を祝う言葉はたくさんありますが、
私は『迎春』と言う言葉が好きです。
年賀状には毎年必ず『迎春』と書くことにしています。

『迎春』 ~春を迎える~

1月1日、今の歴ではまだ冬です。特に北国はこれからが冬本番です。
それでも、新しい年の初めの言葉として春を迎える心で祝いたいと思うのです。

雪国に生きる人間として、
東北の地に生を受けた人間として、
北国の人間の春を待つ特別な気持ちを、
便りにして贈りたいと思うのです。

雪を割って春を告げる、
この福寿草のような春の喜びを・・・。


迎春、
新しい季節が始まります。
今年もよろしくお願いいたします。

 

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