風の旅人
おくのほそ道
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ馬の口をとらへて老いをむかふる者は、
日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいずれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂白の思ひやまず、・・・・・
松尾芭蕉

芭蕉の言葉-「おくのほそ道」をたどる-
ソメイヨシノの魅力は、なんといってもその花付きの良さです。
枝が見えなくなるぐらいにビッシリと咲く花、その群を成した美しさはまさに圧巻です。
厳しい冬を乗りこえた喜びを、痛いほど満面にたたえて咲く花。
そして、やっと咲かせた花を惜しげもなく散らしてしまう潔さ。
日本人の心情にこれほど映える花はやはり他にはありません。
やっと咲いた庄内地方の桜も、そろそろ散りはじめの頃。
ソメイヨシノの花吹雪は、まるであの冬を 春の光の中に再現してくれるように、
きれいです。
-さくら-SAKURA-
日本人の死生観に深く結びついているといわれるサクラ。
満開の桜を見ていると、
亡くなった命がこの世に戻ってきたように感じることがあるのです。
少年兵の ままに還らぬ人が顕(た)ち
ソメイヨシノは 今年も咲きぬ
~ 鳥海昭子 ~
「ラジオ深夜便誕生日の花と短歌365日」より
鳥海さんは、私と同郷の
山形県遊佐町 鳥海山麓出身の歌人です
残念ながら平成17年10月9日に急逝されました
合 掌
前回に引き続き、インディアンの言葉です。
「父は空、母は大地~インディアンからの手紙~」という素晴らしい詩絵本に出会いました。
この本は、1854年にアメリカ政府との3年におよぶ戦いの末、土地の買取と居留地を与えられることを承諾せざるを得なかったインディアンの部族の首長「シアトル首長」が、土地への強い思いを演説した時の言葉を書き留めたテキストをオリジナルとしており、そのオリジナルテキストが長い年月を経て人々の間に伝えられたものを翻訳したものです。
この翻訳テキストは、シアトル首長の演説を書き留めたオリジナルテキストとは違う部分もあるのですが、その原文が人々の心を打ち、それに触発された人々の心の中から生まれた言葉として、シアトル首長の言葉の精神を汚すものではないとのことから、現在に語り継がれているのだそうです。
「ワシントンの大首長へ そして 未来に生きる すべての兄弟たちへ」と呼びかけ、
「はるかな空は 涙をぬぐい、きょうは 美しく晴れた。・・・」と始まるシアトル首長の言葉。それは一言一言が本当に結晶のように美しいのです。
大地への思い、草原のこと、川のこと、動物や虫たちのこと、風や光や水や空気がいかに人が生きるために大切なものか、人間のエゴや驕りに警告を与え、未来の子供たちのために祈る真実の言葉がとても心に響きます。
寮 美千子さんが訳されたネイティブアメリカンの魂の言葉とともに、篠崎正喜さんの感動的なまでに雄大で美しい絵が一緒になって心を揺さぶります。
いつまでもずっと大切にしたい詩絵本です。
水面を駆けぬける風の音や 雨が洗い清めた空の匂い
松の香りに染まったやわらかい闇のほうが どんなにかいいだろう
ヨタカのさみしげな鳴き声や
夜の池のほとりのカエルのおしゃべりを聞くことができなかったら
人生にはいったいどんな意味があるというのだろう
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あらゆるものがつながっている
わたしたちが この命の織り物を織ったのではない
わたしたちは そのなかの一本の糸にすぎないのだ
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だから 白い人よ どうか この大地と空気を
神聖なままに しておいてほしい
草原の花々が甘く染めた
風の香りを かぐ場所として
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あなたの子どものそのまた子どもたちのために
この大地を守りつづけ
わたしたちが愛したように 愛してほしい
いつまでも
どうか
いつまでも
□全文はこちら↓をごらんください□
「父は空、母は大地~インディアンからの手紙~」
寮 美千子(翻訳)、篠崎正喜(絵)、出版社: パロル舎
「インディアンの言葉」という本に感動しています。
いのちとは何か
春の草花が次々と芽生え、うらうらとした良い天気が続くと、
どこからともなく春の歌声が聞こえてきます。
ピチクリパチクリピチピチュピチピチ・・・。
雲雀(ヒバリ)の鳴き声は、まさに春の喜びそのものです。
その歌声は驚くほど息が長く、いつまでもいつまでも途切れることを知りません。
それはまるで永遠に続く喜びを歌っているようなのです。
散歩の途中で突然の歌声に振り返ると、ヒバリは一直線に太陽に向かって舞い上がって行きます。そしてそのシルエットを目で追っていくと必ず光の中に入って行き、思わず目を細めてしまうのです。
長い冬に、忘れていた太陽のまぶしさをヒバリが思い出させてくれる瞬間、それは目の奥がツーンと痛くなるほど強烈に春を感じてしまう瞬間でもあります。
ところで、ヒバリといえば昔話でこんな話を思い出します。
『ヒバリはお日様にお金を貸していて、「ヒイチブ(日一歩)」と言いながらお日様のもとに舞い上がり、「ツキニシュ(月二朱)」と利息を確認して降りてくる。』のだそうです。
何か世知辛いようなお話ですが、そんなことを聞かされると確かにそう聞こえるような・・・。
でも、ヒバリを眺めてそんな想像をはたらかせる ゆとりは現代人には無さそうですので、世知辛いのはやはり現代人の方でしょうか。自然とじっくりとつき合えた良い時代のお話です。
子供の頃、友だちと春野でひとしきり遊んだ後は、ハアハア息を弾ませて土手道に寝ころびました。まだ少し冷たさが残る春風が汗を拭ってくれて、呼吸も徐々に整ってくる頃、目を閉じ深呼吸すると、土と草の良い香りがしました。
心地良い疲れが全身を覆い、春の日だまりの中で広い空と大きな雲をただ眺めていました。
好奇心に溢れ、やりたいことがいっぱいあって、無限の時の中にいた少年の頃・・・。
ヒバリの歌声は、そんな何気ない夢のような日の情景を心に甦らせてくれる魔法の呪文のようです。
今年もまた、ヒバリが忙しくさえずる春野に つくしがひょっこり顔を出し、
いよいよ春は本番を迎えます。
雲の名前
早春に、花火を見ることが出来ます
小さな小さな花火
気をつけていないと見過ごしてしまうほど小さな花火です
冬枯れた林床の中、じっと目をこらすと
ぽつ、ぽつ、と見え始め
やがて一面に群生している姿に気づくのです
セリバオウレン(芹葉黄連)
早春の林床にどの花よりもいち早く咲き
木立から差し込むわずかな光に揺れ
あっという間に消えてしまう
まるで線香花火のように儚く美しい花
春の花火は、山蔭にひっそりと花開く春の妖精なのです
( 山形県酒田市-八森自然公園-で撮影 )
自然のことのは