Nikon D200 Nikkor ED70-300□□
山形県真室川町□□
地球温暖化、オゾン層破壊、大気汚染、酸性雨、水質汚染、土壌汚染、砂漠化などなど、地球は今、深刻な問題を抱えています。
最近は特に急激な環境悪化による影響が顕著に出て、ニュースは連日そのことを伝えています。そして、残念ながらこの地球環境の悪化はすべからく人間の所業が原因であることは明らかです。
テレビのコメンテーターは叫びます。『地球を救え。』、『地球を守ろう。』
そのことの主旨についてはまったく異論がありません。今、何とかしないと取り返しのつかない事態が地球に起こるのだと思います。
ただ、最近のこの表現、私にはどうもしっくりこない部分もあるのです。
『救え』、『守れ』・・・・・。
言葉尻を非難するつもりはありませんが、何か人間の傲慢な部分が垣間見えるような気がする、と言ったら考えすぎでしょうか?。今風の表現を借りれば『上から目線』と感じてしまうのです。
そもそも、こうなった原因は私たち人間なのに・・・。
日本人は古来から自然と共生してきました。
自然の恵みへの感謝、自然を畏敬する謙虚さ、八百万の神というあらゆるものへの信仰、そして四季の移り変わりを愛で豊かな叙情性や情緒性を育んできたはずです。
私が子供の頃は、ゴミなんてほとんど出ませんでした。食べ物を粗末にしたら親からひどく怒られ、わずかに出た残飯は家畜の餌になり、その家畜の糞尿は畑の肥料になったのです。無駄なく資源を生かす精神、などと言う格好の良いものではありません。ただ、無駄なことは罪悪で、神様(自然)から罰(バチ)をあてられるのではないか、といった感覚、自然を畏敬していたのです。
人間は自然の中で生かされている、という感覚が最近の日本人には無くなってきたのでしょうか。
『救え』『守れ』と言った言葉は、自然を征服の対象物と捉えた欧米人の感覚に近いものの考え方のように感じてしまうのです。
地球環境の悪化は、人間の驕りやエゴがまねいたものです。
自然と共に生きるという意識が大切なのではないか、と感じています。
大地は わたしたちに属しているのではない
わたしたちが 大地に属しているのだ
あらゆるものが つながっている
わたしたちが この命の織り物を織ったのではない
わたしたちは そのなかの 一本の糸にすぎないのだ
インディアンの首長シアトルの言葉
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Nikon D200 Nikkor ED70-300□□
山形県鶴岡市羽黒町□□

