久しぶりの、本当に久しぶりのエントリーです。
気がつくと季節は秋。
私事ですが、7月に母を亡くしてしまいました。
親の死はいずれはやってくるもの とそれなりに覚悟はあったのですが、それはあまりにも突然やってきてしまいました。
悲しさは一瞬ですが、その後の喪失感といおうか寂寥感はその覚悟を超えて如何ともしがたいものがありました。いまでもその寂しさは続いています。
親の死は覚悟していたとしても、その存在が現実として今はもう無いとあらためて突きつけられたときの寂しさがこれほどのものとは思いもしませんでした。
それは日に日に薄らいではいくのでしょうが、無くなることはきっとないのでしょう。
人は皆、親を亡くします。
親よりも先に逝ってしまう、という最大の親不孝をおかさない限り、親の方が先に旅立ちます。その覚悟は誰しもしなければならないと思います。でもできるなら、それは穏やかに自然にやってきてもらいたかった。私たち子どもや孫たちが見守る中で、ありがとうという言葉に包まれながら旅立ってほしかった。
7月、今年もまた暑い夏が始まろうとしているさなかに、母は突然、誰にもさよならを言わずに旅立ってしまいました。
“ おかあちゃん、でんぶ ちゃっちゃど逝てしまたなだの。おかーの口癖「じゃぁね~♪」ぐらい言て欲しがったのぅ。 へばの、まだの、ありがどの。 ”
季節はもう秋。
庭には母が植えた秋咲きの花たちがきれいに咲いています。
母の味
撮影DATA
Nikon D300s
TAMRON SP 180mm F3.5 MACRO