子供のころから釈然としない文章、何か違和感を覚える文章の
一つに
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」
と言うのがある。
広島にある原爆死没者慰霊碑に書かれてある有名な一文だ。
やはり当初から色々論争があったようで、一応は、
”個人個人のことを述べているのではなく人類全体でこのような
悲惨な出来事を繰り返してはいけない”、と言うことを着地点として
納まっているようだけど、その説明はなるほど辻褄が合うけど、
第一印象、直感がどうも違和感を覚えていたわけなんだ。
なぜ、被害者である日本の慰霊碑に”過ちは繰り返しませぬから”と
あるのか。仕掛けた戦争とは言え、市街に原子爆弾を落とすと言う
暴挙をしたアメリカが”このようなことはもうしません”と刻むのなら
合点が行くのだが、なぜあたかも日本のみが反省しているような
文章になっているのか・・・。
自分は年齢も年齢なのでそれほどの強い愛国心も持ち合わせていなければ、
極右でも極左でもない。
きわめてのほほんと平和に平和な国、日本で育ってきた人間なのだけど、
子供の頃にこの一文を読んだか(習ったか?)のときに何か変だぞと
思ったものである。
前途した通り、そう感じた日本人も多くいたようで論争となった
ようだが、海外にもいたようである。
チェ・ゲバラ。
その人も広島訪問の際に、この刻まれた文章を訳してもらうや否や
すぐに質問をしたそうだ。
「この文章にはなぜ主語が無い?」
日本には曖昧にする文化と言うか、いい意味でも逆に作用するにしても
明言しすぎないところがあるようで、この文章はまさにそんな感じだよね。
実に日本らしい表現の仕方だと思う。
こんなの血の気の多いラテンアメリカ人気質だったら、
「北アメリカによる惨劇、ここに記す」みたいに明確に書くだろうね。
まあ、色々を忖度した結果、この文章になったことは想像に難くない。
これならかなり広い意味で広い層を傷つけないと言うか、顔を立てる
ことが出来る秀逸な文章なんだろうなとは思う(苦笑
当時チェは帝国主義の権化であろうアメリカを嫌っていたので、特に
こういった行為が我慢がならなかったんだろう。
自腹で広島や病院なども周り、病人に語りかけたりもして随分と
悲しみや深い感銘を受けたようである。
チェ・ゲバラの支持者などと言うと共産主義者かと言われそうな謝った側面も
あるのでデリケートなお話でもあるんだけど、(私個人の持論ですが)
実際彼は資本主義や帝国主義を嫌っていて結果として共産主義に傾倒していくわけだが、
おそらく彼の理想とする共産主義とは近年のソビエトや中国などの独裁政治的な共産主義
もしくは社会主義ではないことは明白だと思う。
私利私欲を肥やしたいと思っている人間が共産主義を唱えても結局は独裁政治に
なってしまう。
彼は少数のブルジョワジーから不当に搾取されるだけの大部分を占める
プロレタリアートと言う国家のあり方を変えたいと思い、武力革命しか
ないと信じカストロとともにキューバ(バチスタ政権)を転覆させたわけだが、
おそらくその先には国民をももう一段階上の思想、個人だけでなく全体を鑑みる
国民にしたいとの思いもあったのだろうと思う。
自分だけのことならそのままカストロに賛同していい暮らしをしていればよい
だけの話だもんね。
ま、しかし、これは今もって全人類がかなわぬ夢でもあるよね。
言うまでもなく共産主義国家はことごとく失敗している。
もしくは粛清の嵐で多くの血を流している。
と言うか、地球上に資本主義国家が存在する限り太刀打ちできるわけがない。
人間はなかなかどうしてチェのように朝4時に起きて無償で肉体労働してから
そのあとに自分の仕事に取り掛かりましょうなどと言う高尚な精神の持ち主は
滅多にいない。自分の農地じゃないのに管理しましょうと言う農民も少ないだろう。
対価が支払われない限り労働などしたくはないと言うのは当然で、やはり
行きつくところは資本主義、自由にお金を儲けてもいいですよと言う競争社会に
なってしまう。
高尚な精神より、お金が一番強いのだ、と言う世界なので当然だよね。
お金が無ければ尊敬もされないし、結婚も出来ないし、ギターも
買えないのだ(笑)。
嫌ならお金を儲けろ、と。
で、これはこれで国が発展する可能性が一番高いだろうが、貧富の差や
いわゆる勝ち負けみたいな現象が起こってきてしまう。
打開策は全く持って何も浮かばないボンクラな私だが、資本主義の限界
みたいなものは昔から感じている。
アメリカ帝国主義的な価値観を明治以降、持ち込まれた日本は武士道や
高尚な精神、みたいなものをどんどんなおざりにされて発展してきて
いるように感じてならないのだ。(三島のようになってきたが)
おそらくチェもそういった精神論も国の発展とともに考えていたように
思えてならない。革命だけをしたい人、私腹を肥やしたい人、には見えない。
個人的見解だけど(笑)。
もちろん、かと言って、今の日本のありがたさはよくわかっている。
自由にお金を得られ、自由に発言でき、好きな服を着られ、好きな音楽を
聞ける。何も制限はないし、法律もある。徴兵制度もない。
タトゥーも入れられれば髪も伸ばしたい放題だ。
働かない人がお金を得られないのは至極当然で。理由により働けない人を
国が助ける制度は最低限必要なのは言うまでもない。
だがしかし・・・お金が頂点に立っているけど果たして大丈夫か?日本。
お金の関係なしに人と人の間に尊敬や感謝の念はあるか。幸せはあるか。
昔より随分と少なくなってきた気がしてならないのだ。
非常に小さな例になるけど、例えば、自分より年上の人が部下になったとして
その方に平気で命令口調で話せるか。「お前、これやっておけ」と言えるか。
そんなの社会では当たり前だとは思うが自分は気が引ける。
”気が引けるけどそうせざるを得ない”ならまだマシだとは思うけど、”そんなの
なんとも思わない、自分の方が偉いから”と言う考えの人が増えてくるのが
怖い気がするんだ。お金の有無=上下関係、それだけってのが怖いと言うか。
精神論になっちゃうけど。
またお金持ちの家に生まれた子供がずっとお金持ちってのも気に入らない。
芸能人にもいるけど。(あたしんち、お金持ちだからって言ってた)
あ、単なるひがみになってきた。心が狭いな。
では”全員平等で財産もみんなに平等に分け与えましょう、はい、財産を
国に全部出して”、となれるか。
否、無理だ・・・。
では中間の(乱暴にそのように定義する)思想として社会主義はどうだ?
まあ、日本も国鉄や郵便など国が運営していたわけでそのような側面も
あったけど、もっと進めてほとんどの事業が国営化することになると、
やはり”労働意欲”は落ちてくるだろうなあ。
結果、他の国に負けると。
なんかうまく締めくくれないな(笑)。
と言うか今もって世界中の英知をもってしても解決できないことだからね。
ライブハウスのオーナーが答えを出せるわけがないわな。
せいぜいm7♭5の使い方でも勉強しておけって話で(笑)。
さしあたって第一世界であるアメリカが強力になってくれて傘下である
日本も潤えばそれでいいと言う一番チェが嫌いそうな事態になれば
一番の近道か。元も子もないな。
にしても不景気すぎる。
いい大人が車はおろか、楽器もおいそれと買えないようになるなんて。
せめて自由に歌いましょう!
是非、T☆ROCKSで!
国民党・TOSHIゲバラ