コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

 年明けて雪 朝明けて雪 そしてまた雪・・・

2022-01-03 | Weblog
年明けて雪 朝明けて雪 そしてまた雪が降り募る。
冬来たりなば・・・と思ひつつも雪国の冬は暗く長い。




本物の雪ウサギが来はしないかと。

老骨には除雪作業もしんどいものよ。
せめて雪ダルマでも。





遠出も出来ないがウインターラジアルの四駆が強い味方だ。



お店(本宅)は今年も正月休みが延長に。


そして今日も暮れてゆく。
吹雪が窓を打つ。
こんな夜は、いつも越後へ流された親鸞を思い、佐渡へ遠島の日蓮を思いつ起きている。
終の棲家は気候温暖な地にと思ひつづけて幾星霜、叶わぬままにこの地に果つるのか。このいのち今更何をあくせく。

近況・心境 凌霄花の花

2021-08-13 | Weblog

名の如く霄(そら)を凌ぎてあかあかと花咲きており夏の日高し 

 以前にも凌霄花(ノーゼンカズラ)について書いたことがあるが、この花は特に好きという訳ではないが、何だか懐かしい思いがする花である。

もう微かな記憶なのだが、昔、たぶん中・高校生の頃に読んだ短編、山本周五郎の「凌霄花」が、そのある種の懐かしさのルーツのようだ。

周五郎得意の武家物語だが、城代家老の一人息子と、城下の富裕な呉服商の一人娘の切ない恋の物語だったかな。その恋はともかくとして、二人が天神山?に凌霄花の花が咲くとき、その下での忍び合いを繰り返し描いている。

 

その後、その物語のことなど思い出すことはなかった。ここでも何度か書いているが、その昔、今は亡きヒトリシズカの君に植物園や野山を案内して頂いたことがある。たしか加賀方面だったと思うが、山際に咲く大きなノウゼンカズラがあった。彼女は「ノーゼンカズラですよ」と指差した。その時、何となく甘酸っぱい初恋のような雰囲気が漂った。そして例の短編のことが蘇ってきた。(画像は福井市で)

<閑話休題>

北よりのメロン届きぬ去年の如

前回も記したが、体調の整わないときは好物のフルーツがカンフルだ。今年もまた空輸の富良野メロンが届いた。

宅配の人徐にメロン置く

配達のS便さんには沢山の社員さんがおられるが、今年も昨年と同じ方であった。「今年も来ましたね」と言って大事そうに勝手口の上がり框にそっと置いてくれた。1週間の追熟を待って戴いた。寺坂農園さんの逸品のメロンだ。さすがに美味しい。好物はと訊かれると「メロン、メロンパン、メロンジュース」と答える私。お陰で元気を取り戻した。そっと手を合わせ贈り主に感謝している。

何となく銀の匙など取り出してメロンを掬うひとり居の夏

お見舞いメッセージなど感謝申し上げます。只今、9月からの研修や講演の準備を始めました。

yo-サンの近況・心境でした。今宵これにて。


お知らせ 今後の予定の件

2021-03-21 | Weblog
お問合せ有難うございます。
「参加させて頂ける研修や講演等がありましたら教えて下さい」とのメッセージを頂きました。
今までにも少し触れさせて頂いていますが、現状では全く予定が立たずにおります。講師を承っているカウンセリングを初め、文学関係の会(啄木・短歌・読書)もそれぞれお休み状態です。
状況が少し落ち着きましたら小人数のグループ学習は再開したいとは思っています。
 
前回も記しましたが、今月27日(土)に金沢で開催されます「あすなろ会」さんでの講演(北陸中日新聞共催)が本決まりになりました。コロナ禍で1年ぶりの例会になるそうです。
講演内容は主として不登校や引き籠りに関するものですが、カウンセリングや家族システム、或いは生き方・人間関係に資するお話をさせて頂きます。1、2名でしたらご参加出来ますようにお取り計らいをさせて頂きます。(事前予約が必要ですので私の方へご連絡下さい)会場は金沢市の中心部です。
 
  新年度に入りますと幾つかの講演依頼を頂いております が、いずれも、組織や機関の総会や内部研修なので公開型ではありません。私もこの1年半ぐらい皆さまにお話をさせて頂くことが殆どなくなり、また声も出にくくなったりして、とても心寂しく思っております。陸に上がった河童みたいです。(w)
上述のように小さなグループの学びは私宅(カウンセリングセンターの方で)実現したいと思っています。ご関心をお持ちの方のお力をお借り出来ますれば幸甚です。企画、準備、案内、運営等ひとりでは無理ですから。
 
まずは取り急ぎお返事に代えさせて頂きます。それではまた。

 

 


俳句と短歌 & 友よりの便り

2021-02-15 | Weblog
白梅やひと日南をあこがれぬ  啄木

物心ついてから啄木(或いは彼の短歌)に傾倒しているが、啄木と言えば短歌であろう。勿論彼は詩や小説、或いは論考も書いている。ところが彼は俳句も僅かではあるが残している。
私は俳句の素養はないので、しいて言えば手慰みに詠む程度である。なので啄木の少ない俳句にもさほど興味はない。しかしながら、冒頭の一句には共感しきりである。
彼は東北は岩手・渋民(過去記事・クリックOKです)の人である。東北は勿論だが、ここ北陸も雪国で春は遅い。彼は白梅(たぶん、シラウメと読ませると思う)が咲くのを見て、温かき南国に思いを寄せたのだろう。
私自身、終の棲家は気候温暖な地に、と思いながら生きてきた。でも、それは遂に実現せずに終わるかも知れない。(一縷の望みは捨てきれずにいるのだが・・・。)

啄木は歌人であるが、世の俳人に(啄木忌を季語にして)詠んだ句が多いのも面白い。句も歌も5・7・5つながりで親戚のようなものだからかも。

いのち長き花買ひ求め啄木忌      鈴木真砂女 
真砂女 については以前にも記したことがあるが、この句にも啄木短歌に通じるものを感じる。彼女は恋多き往年の俳人であった。

閑話休題
達筆の便りとともに届きたる君の秀句を味わひて読む  筆者拙詠

 長年、交流頂いている方から便りが届いた。昔、講演にお呼び頂いた遠方の方である。たまには、メルのやりとりもあるが、お互い時々は手書きの便りを認める。
と言っても一筆箋が多い。一筆箋は気軽に書ける。頂いたのは箋3枚とプラス1枚である。その1枚に5句の俳句が書かれていた。達筆は元より、いずれも素敵な句であった。俳諧誌の入選作なのでご紹介は出来ない。検索すればヒットしてしまうので、個人情報が洩れもれになるのでネッ。
その巧拙はともかく、歌や句を詠めることは人生の彩の一つでもある。
最近の引き籠り生活で啄木を【情熱的に】!(^^)! 語る場が無いので、何だか寂しい。私はカウンセラーとして【聴くこと】に精進出来たのは、やはり講演・講義を通じて、思い切り【話すこと】が出来たからだと、今更ながら思う。
以前にもupしたが、啄木講座の時のyo-サン。
いつも「文学に触れずしてカウンセリングを語るなかれ」から始まる。そして自分が楽しんでいる。自らが楽しくなければ、参加者も楽しくならないよねぇ。勝手にそう思っている。
今宵はこれにて。







友・朋あれこれ・・・。 再編集

2021-01-24 | Weblog
有朋自遠方来、不亦楽乎 
  元はと言えばブログで知り合った方、所謂ブロ(グ)友であったが、ほどなく本物の友となった方である。以前にも書いたが、リアルな畏友として交流頂いている東京の、
くりのみさんこと鈴木新太郎氏クリックOKです)からニュースレター「落穂拾い」が届いた。便宜上「友」と記しているが、彼と私は「朋」である。共通点が多い。とてもよく似たことをやっている。彼の主催するワークショップにも伊豆は稲取へお招き頂き一宿一飯の恩義(ちょっと使って見たかった言葉です)でもある。
敢えてお名前を記したが、彼は(私も同様だが)ご自身のブログでも、お名前やお住まい等も公表されている。カウンセリングをする人間にとって【自己開示】は極めて当然である。何処の誰だか分からない他人(ひと)に、自分の人生や心を語れないからである。また、匿名で書いているカウンセラーなんて私は信用しない。たまにそのようなものに出くわしても、大したことなど書いていない。何処かで聞いたような受け売りばかりである。

「有朋自遠方来、不亦楽乎」は論語の「学而編」の中にあるが、一般的な読み下しは「朋有り、遠方より来たる、また楽しからずや」なのだが、便りが届くのも「朋来る」と同様に楽しいものである。
「友」と「朋」とは少しニュアンスが違っている。「友」とは気が合う、趣味が同じなどの感じ。つまり、友人、お友達である。
「朋」は同門、或いは「志を同じゅうする仲間」って感じかしら。まあ、その両方合わせて「朋友」なんて呼んでいるが。(出来の悪い元・束の間の高校国語教師の成れの果て。漢文は苦手ときているからご寛容に。)

親鸞聖人は常に「御同朋」「御同行」と呼びかけて下さった。同じお念仏に生かされているからに他ならない。ということで、くりのみさんと私は「同朋」「同行」であり「一味同心」とも言える。

いずれにしても英語ならfriendだろう。
友、友人、とてもいい言葉だ。私のカウンセリングも常にfriendlyな姿勢でやってきた。それはまたrapport(ラポール)でもあるから。
ブログのご縁で、友子さんという方との交流もある。とても佳いお名前だといつも思う。名は体を表すと言うが正にfriendlyな佳人である。

名前に因んでもうお一方。本ブログと他の会員制交流サイトでの「友達」に幸子さんと言う方がある。そちらでは本名や顔写真もupするシステムである。そのお顔が頗るいい。にこやかで幸せそうで、さすが!
「幸子」さん。
長年、講演や法話の中で【幸せそうなお顔でいると幸せになる。反対に不幸せそうなお顔だと幸せはやってこない】と話してきた。この幸子さんはお名前やお顔は勿論のこと、生き方もとても素敵な方だ。
それでは今宵ひと時、頬笑みのレッスンなど如何かしら。

ようやく雪害から解放されて、久々にゆっくり日曜を過ごしたyo-サンでした。 Let's take a tea break.



感謝!雪害お見舞い

2021-01-13 | Weblog

どうも有難うございます。
沢山の方々より温かな応援メッセージを頂戴致しました。心より感謝申し上げます。 
若干の不自由はありますが無事に過ごしておりますので他事ながらどうぞご安心下さい 
少しばかり近況をup致しました。(画像は2、3日ぶりの新聞です)
 






 幹線道路も少しずつ復旧しております。しかしながら路面状況が極めて悪い上に、放置車両(立ち往生でドライバーが脱出)もあり渋滞は顕著です。
  私も4駆ジムニーで数日ぶりの外出をしてきました。ふ だんなら10分程度の道のりですが、1時間ほど掛かりました。脇道に入ると、車は荒波の小舟のようです。でも、さすがジムニーです。雪路の段差も難なく乗り越えます。雪国では冬には4駆は必要です。私は56豪雪以来、冬期間はずっと4駆です。 
                                 
私宅は昔から食料や様々な物の備蓄が多い家なので特に困ることはないのですが、生鮮食品や日配物は限度がありますので、早い回復を願っています。   
大切なことはBe prepared 、「備えよ常に」という意味です。ボーイ・スカウトやガール・スカウトのモットーです。長年、そのリーダー研修等をさせて頂きましたが、私の方が学ばせて頂くことばかりでした。「いつ如何なる時・場所で、如何なることが起こった場合でも対処出来るように、常々準備を怠らないこと」なんですね。   


私の事務所前(本宅のお店の駐車場と併用)も重機が入りきれいに除雪されました。
スタンバイOKのジムニーとタント(フルタイム4駆・通年街乗り乗りです) 
今回の大雪は18年以来約3年ぶりですが(クリックしてみてね)
私の場合38豪雪(昭和38年)、56(昭和56年)豪雪も経験して来ました。38の時は家の2階の窓から出入りしたほどの積雪でした。   
56の時には、その前年に初めてジムニー(4駆)を買いました。冬用なのであまり乗らない(3シーズンはセダンに乗ります)ですが3度入れ替えています。   

  

  この道路状況では常用のセダンはしばらく乗れません。








           


 お店(本宅)の前はまだ雪がいっぱいです。当分は休業です。







    ということで、
    近況でした。今宵はこれにて。Thank you again.



淡い溜息

2021-01-11 | Weblog
(画像はWikipediaより拝借)

五十年経てなお慕う人がありスノードロップの淡いためいき       海昭子 
               
「雪の花」の別名を持つ、かれんな花です。半世紀を経てもなお大切に想う人がいます。うつむいた優しい花の姿は「初恋のため息」をついているようにも見えました。

再び(2018年2月以来の)大雪に振り込められて途方に暮れ、或いは寂寞感を覚えた昨日今日である。そんな時、ふと脳裏をかすめたのが冒頭の、ラジオ深夜便の誕生日の花と短歌の故・鳥海昭子さんの歌である。
このような歌を想ひ出すというのも、ほんのちょっぴり心の余裕が出てきたのだろうか。

それは、拙ブログ開設以来、互いにフォローしあっているM.mさんから大雪お見舞いのメールが届いたことに起因するのかも。
彼女は折々にお手紙やお心尽くしのお品を頂く。他のSNSでも交流があるが、未だお会いしたことはない。でも本当にお心のやさしい方である。
私が生涯かけて提唱してきたカウンセリングマインド「他人(ひと)の痛みの解る」心をお持ちの方である。とても感謝している。
北陸の大動脈である北陸道も国道8号もストップ、鉄道もバスも運休、昨日も今日も新聞は来ない。スーパーもコンビニも商品棚はガラガラだと言ふ。されど人々は黙々と除雪作業をしている。

冬はまだこれからなのだが、ひたすら春を待ち侘ぶyo-サンでした。
しんしんと雪降る夜に。




歌えるカナリヤに オンライン・リモート講義

2020-11-06 | Weblog

黙の半年間、唄を忘れたカナリヤでひたすら執筆であった。ようやく100枚を脱稿した。季節はもう秋も深まりゆく。
取り敢えずは、やれやれ、ホッとしている。未だ創作のパワーが残っていただけでも良しとしよう。
今回は上梓は考えていないので、推敲も適当だ。そのうちまた気が変わってガラリと内容を変えてしまうかもしれないが。



閑話休題
ようやく研修・講義が再開した。寡黙の時が長かったので声も出にくくなっている。やっと歌えるカナリヤになり、久々のボイストレーニングをしているが、なかなか美声が戻らない。(-_-;)
幸か不幸かオンラインのリモート講義なので、講演のように大きな声は必要がない。私はマイク利用の講演会などでも比較的大きな声で話すことにしている。小声でぼそぼそ話すことは自信無げで好きではない。第一迫力もない。私は話すこともプロを任じている。
★画像は、講義の前に係の方が機器の調整をして下さっている。向かって右側、テーブルには私の講義のレジュメが置いてある。ホワイトボードには、ご参加の5つの会場が写し出されていて、臨場感もある。このような講義は初めてであったが、まずまずの出来。yo-サンのyo-サンたる所以である。






ニュース記事から (前回のつづきに代えて)

2020-03-09 | Weblog
  ご来訪謝し奉る涅槃西風
相変わらずの緩慢な更新ですが、ご来訪並びにメールでのメッセージなど痛み入ります。

遅れ馳せながら、前回末尾に記した、ある「ニュース記事」とは、元毎日新聞の記者であったジャーナリストとの尾中香尚里さんのものである。彼女自身、この国会質問に「久々に感銘を受けた」と書く。A4にして4枚ぐらいになるので、ほんのそのさわりの部分を以下に転載しておきたい。

 >立憲民主、国民民主、共産、社民の野党4党は27日、森雅子法相に対する不信任決議案を共同で衆院に提出した。黒川弘務・東京高検検事長の定年延長を巡り、国家公務員法の法令解釈を変更したなどの対応が「司法制度の根幹を揺るがす」(安住淳・立憲民主党国対委員長)と判断したのだ(不信任決議案は同日、反対多数で否決された)。政界では「不信任決議案の扱い」ばかりが着目されがちだが、ここでは時計の針を1日戻し、この問題をめぐる26日の衆院予算委員会集中審議を振り返ってみたい。森法相の不安定な答弁をあげつらいたいのではない。この問題を取り上げた立憲民主、国民民主、共産の質問の「流れ」に、久々に感銘を受けたからだ。(ジャーナリスト=尾中香尚里)

<中略>
>民主党政権時代に「法令解釈担当相」を務めた枝野氏らしい理詰めの質疑だったが、議場を沸かせたのはこの後だった

 >「法曹三者の中で、検察官を選ぶ方のほとんどの理由は社会正義の実現だ。権力の不正があった場合、そこにメスを入れられるのは検察しかない。その誇りが、検察官を目指す人たちの大きな理由だった。官邸に忖度(そんたく)して人事までゆがめられているという印象を(持たれ)、検察まで権力に忖度するものになってしまったのでは、優秀な人間が検察官にならなくなる。日本の司法制度の崩壊だ。こんなことをあなたはしているんだという、その自覚を持っていただきたい」

 「あなたは」で、心なしか語調が強まったように聞こえた。枝野氏と森氏は東北大法学部の同期生で、ともに弁護士。それまでの理詰めのやりとりからうって変わった、若干感情がほとばしったような質疑に、かつての「仲間」に司法を担う人間としての誇りを取り戻してほしいという、願いにも似たものが感じられた。
<後略>以上一部転載終り。

書き手の尾中さんの臨場感溢れる記事に、私も感情移入して一気に読了した。全文転載したいが長いので割愛した。
フリーだから書けるのかも知れないが、その心意気がうれしい。政権と馴れ合いの記者クラブとは違う。彼女や東京新聞の記者・望月衣塑子さんも好きだ。本当の平和と民主主義を子や孫の時代にも伝えるためには、無関心が一番の悪であると思う。
yo-サンのyo-サン的 こころ でした。










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終活の旅路 6 因幡路へ

2019-08-25 | Weblog

   躊躇わずさっと為したることこそが やむごとなしぞ一隅を照らす

乗換えばかりしているので、記憶が曖昧だが、浜坂駅だったろうか。跨線橋の階段を下りてホームへ出ると、少し前方に一人の女性がキャリーケースを引いて、ゆっくり歩いている。ケースはやや小さ目だが、持ち手が長いのか、ケースはやたら後方に見える。何だか足もわるそうだ。後続の人の流れも悪くなる。乗換えの始発駅なので、電車は既にホームに入っている。すると、一人の年輩の女性が駆け寄って「持ちましょう」と声をかけて、そのケースをひょっと手に下げた。
電車のドアの前で「これに乗るのですか」と言って、そのケースを電車にポンと載せて、自分は出札口へ向かって行った。何とも瞬く間の鮮やかな出来事だった。当に私の座右の名 「一隅を照らす」ではないか。私は傍観者でしかなかった。

敦賀から小浜線で西舞鶴へ。丹後鉄道に乗り換えで宮津泊。
そしてまた普通電車を乗り継いで、豊岡、浜坂(いずれも兵庫県)と途中下車しながら2日がかりで鳥取に。
鳥取へは以前に1度来ている。その時は京都から特急「スーパーはくと」に乗り、智頭急・智頭線を経由して鳥取に着いた。「はくと」のネーミングは「白兎」、そう、「因幡のしろうさぎ」が由来だ。たしか、車内のテレビで進行方向の景色が映る。運転席にいる感じがして退屈しなかった。京都~鳥取3時間ほどだったと思う。車両も素敵で、機会を得てもう一度乗ってみたいと思っている。


この日はまだ梅雨明け前で、鳥取は小雨に煙っていた。鳥取泊にしたのは理由(わけ)があった。
JR山陰線・鳥取と倉吉の中間辺りに青谷(あおや)がある。その青谷へ行ってみたいと思ったからだ。
青谷は昔は青谷村、大正時代に青谷町、その後、平成の中頃に鳥取市となった。
なぜ青谷なのかは次回に記したい。
小雨そぼ降る中を早足で数分のホテルへ。大手の全国チェーンだし、会員にもなっているので便利だからである。
今宵、しろうさぎさんの夢でも見ましょうか。


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