コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

短冊の一句 旅だよりと素敵な友 (補筆・修整)

2019-05-26 | Weblog
筑紫路は花ぐもりかな旅の空



旅先から絵葉書などを書くようになって、かれこれ半世紀になる。
今度の長崎、福岡の旅からも何人かの友に一筆認めた。
博多のホテルで、長らくご無沙汰している関東の畏友にも、拙い俳句を添えて投函した。私は俳句は、ほんのお遊びに詠む程度である。自称・俳人たちや、テレビで騒がしい先生などには、まるで関心もないのがホンネ。

旅から帰って数日後、1通の長方形の郵便が届いた。私が書き送った拙い句を短冊に、流麗な仮名で認めて下さった。短冊掛けまで添えて下さり感激であった。
彼女とは古いお付き合いであるが、お会いしたことはないがお写真は拝見している。手紙の遣り取りは何度もしている。彼女はある名刹のお裏様で、深窓の麗人とでも言おうか。私の仕事にも関心を持って下さる。書をよくなさり、とても素敵な方である。

ネットのようなバーチャルというか、謂わば「匿名性の交流」が盛んなこの頃であるが、お互い、肉筆での便りを出し合えるところに、人間としての温かさをしみじみと感じる。そのような友が多いことは有難いことである。
本ブログは、そのルーツにも記しているが、不特定多数の人々が読んで頂くことは当然ながら、主たる目的は私の講演や研修の受講者、主宰する文学やカウンセリングなどの研究会の方々に対する、私の「心境・近況」のメッセージである。読者の方々と出先でお会いしても「ブログ拝見しています」と言われるとラポールが深まる。


今宵は、相次いでいた講演や講義を無事熟して、ほっと一息。
独り盃を傾けながら、歌など歌い、初夏の夜を楽しんでいるyo-サン。


  酔うほどに歌う我が愛唱歌♪(クリックして一緒に歌ってネ)

   あゝわれダンテの奇才なく バイロンハイネの熱なきも
   石を抱(いだ)きて野にうたう 芭蕉の寂(さ)びをよろこばず・・・

 これぞyoーサンのyo-サン的こころ。(昨夜半に記す)
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畳一畳分 又は モモとぺっぽじいさん そして エンデと禅

2018-09-29 | Weblog
(画像はこの夏に撮影した我が畑の一部です)

今年の夏野菜は概ね良い収穫だったが、一人や二人の家族には過ぎる程であった。農村地帯ではないが、畑や家庭菜園を持つ家も比較的多くあり、近隣から頂けるような環境なので、他にあげることも出来ず、勢い余剰なものは再び畑に返す有様であった。

そのような夏も逝き、台風や大雨も重なって、我が畑は今、草に覆われている。少し遅く植え付けたサツマイモだけが秋草を草マルチにして、葉を一面に延ばしている。毎年思うことなのだが、「来年からは畑は止めよう」などと考えながら縁の石に腰かけて眺めていた。

すると、ふいに後ろから「おあんさん」と呼ばれた。振り向くと、母がまだ元気で畑仕事に精出していた頃、母の畑友達だった老婦人であった。母よりは一回りぐらい若くて八十前半だろう。彼女は昔から私のことを「おあんさん」と呼ぶ。「おあんさん」とは、この辺りでは男性に対する尊称だが、たぶん「お兄(あに)さん」から転化したのだろう。女性には「おあね(姉)さん」と呼ぶ。彼女は「どうしなさったかのう?」と心配げに尋ねてくれる。私の後ろ姿は、肩を落とし、よほど寂しげに見えたのだろうか。
「いやぁ、この草ぼうぼうをどうしたものかと・・・。」と応える。すると「こんな広い畑をいっぺんにと思いなさらんと、今日は畳一畳分だけにしなさると、ようござんすわね。」と。私はとても驚いた。「ホント、お母さんの仰る通りです。」と応えた。(私は彼女のことをお母さんと呼ぶ。)

実は、私はカウンセリング研究会や読書会などで何度も、ミヒャエル・エンデの「モモ」について講義をしているが、その一節に、道路を掃除するペッポじいさんが出てくる。


(画像は「モモを読む」学習会。「モモ」と拙著「あのの・・・カウンセリングに学ぶ人間関係」)

「なあ、モモ」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。

 「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」
 ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。

 「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな? つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」 また一休みして、考えこみ、それから、
 「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」

ペッポじいさんの言葉は、まさに禅、三昧の境地である。畑で教えてくれた彼女の「畳一畳分」と軌を一にするものであった。「モモを読む」私なのだが、「論語読みの論語知らず」もいいところであった。まことに恥ずべし痛むべし。
元より畑全部などとは努々(ユメユメ)思ってもいなかったが、せめて秋野菜を植えられる場所を、なんて考えていた。それで、今日はきっぱりと「畳一畳分」を、と決めてやり始めた。「自己忘るる」境地で、あっけなく完了した。もっとやりたい気分でもあったが、体調も考慮して、この日はこれでお終いにした。

作者のエンデは禅にも通じていた人である。ぺっぽじいさんの件の言葉は、まさに「無我」である。
それは、まだ分かりもしない先を案ずるのではなく、はたまた、過ぎてしまった過去を悔やむのでもない。私たちのカウンセリングでいう「いま、ここで」に生きるだけである。エンデはシュタイナー思想の影響も大きいが、難しくなるので、ここでは割愛する。清沢満之先生は「仏教は学問ではない。実践である。」と遺されている。然りだと思うことしきりの私であった。
それでは、今宵はこれにて。
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芙蓉の花の咲きたれど・・・。 

2018-09-23 | Weblog
拙詠二首
 去年(こぞ)の如 芙蓉の花の咲きたれど 今年ばかりは何故か寂しき 
 花の精そっとお出ませ薄紅のその顔(かんばせ)のいとも清らに  
  
こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の
米沢豊穂です。

庭先の百日紅の花が過ぎて、芙蓉の花が咲き始めた。優雅で美しい花だ。雨上がりの朝、近づいて眺めていると、ふと、花の精が現れ出てきそうな気がした。



鳥海昭子さんのお歌にも
 なんとなく泣きたいような優しさの芙蓉の大きな花咲きました   がある。
直径が十センチ以上もある花は、早朝に開いて夕暮にしぼむ一日花です。その大きな花を見ていたら、限りある命の優しさが胸にしみてきました。と記されている。
(「泣きたいような優しさ」とは、彼女の感性ですね。一日花ゆえに、ある意味美しい無常観を感じさせますね。)

閑話休題
暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもの、日中の残暑もやわらぎ、朝夕は肌寒く感じる頃である。昨日はお墓参りをすませ、彼岸会のお話に出かけた。「抹香くさくなくて、聞き終わるとホッとして、そしてやっぱり、有難いなぁ。」なんて感じて頂けるようにと気を遣った。
お話しすることには慣れてはいても、私よりも年長の方が多くおいでになると緊張も一入。帰宅するとそれなりに疲れが出る。でもそれは心地よい疲れでもあった。
どんな内容のお話かって?それはやはりお参りしてお賽銭を。なーんちゃって。
     彼岸花 浄土と穢土の際に咲き
     どの墓も皆懐かしく秋彼岸     お粗末でした。それではまた。                   






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禅と念仏 (道元と親鸞) ある仏教者の端くれの夜話

2018-09-13 | Weblog

【本日は小難しい仏教の話なので、興味無き方はどうぞスルーされたし】

元はと言えばブログで知り合ったのだが、私の畏友であり、法友でもある、くりのみさんこと、釈真聴さんという方がある。彼が先日、下記のようなコメントを残してくれた。
>こんにちは。ご講演のテーマ、「生きる力を育むお念仏」の由。ボクも、聞いてみたい内容です。先日、東京新聞《今週のことば》で安田理深師の言葉が引かれていました。
「生活の中に念仏があるのではなく、念仏の中に人間生活があるのです」と。ボクは、くりのみ会のお仲間に、
「念仏は 声のある坐禅(只管打坐)
 坐禅は 声のない念仏(念仏三昧)」と、お伝えしています。
講演会の成果を、ブログで更新してください。楽しみにしています。なむあみだぶつ
(以上、コメント欄:2018.8.02より転載)

彼と私とはやっていることが、とても良く似ている。まずは、長年に亘り、カウンセリングの実践(臨床というとメデイカル的なので)と、カウンセリング研究会を主宰していること。次いで、彼も私も得度をしていて僧籍を持っていること。それもお互い、在家者(寺の人間ではない)であること。そして何と言っても親鸞に傾倒していることである。彼は真宗大谷派(東本願寺)、私は、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、いずれも親鸞を開山とし、教義などもほぼ同じである。今の私にとっては、もう宗派はさほど意味を持たない。親鸞宗、いや親鸞は宗派など作ってはいない。親鸞教に帰依する者とでもしておきたい。

でも、ちょっと違うところがある。彼は、お念仏の人(浄土教の流れは全てそうである)であるとともに、道元禅師の禅の世界にも造詣が深く、坐禅の実践もされていることである。
ふつう、禅と念仏は相反するもののように思われているが、極めると(私なんぞ極めていませんが、インスピレーションで解るのです。w)同じところに行きつくのである。

あるとき、道元さんは「念仏を唱えているのは春の田んぼで、蛙が鳴いているようなもの」と言われた。(・・・とか、言われないとか。w)親鸞さんは「禅のような聖道門にあっては、なんぼやっても致し方ない」と言われた。(・・・とか、言われないとか。w) まあ、後世のたとえ話でしょうが・・・。
道元さんは親鸞さんより20年ぐらい後にお生まれになり、親鸞さんよりも10年ぐらい早く遷化されている。当時(12c~13c)と言えども53歳は早い。もう少し長く生きて頂きたかったと思う。
道元禅師の大本山・永平寺は隣町、私の家より車で30分もあれば楽に行ける。小学校の遠足に初めて参詣し、以来数えきれないほどに。勿論、少しばかりは坐禅も体験した。私は道元さんも親鸞さんも好きである。

そこで、お二人の共通点であるが、道元さんは、くりのみさん仰るところの「只管打座」つまり、ただ坐ることのみである。不立文字と言い、経典なども重要視はしない。
親鸞さんは「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」 と喝破される。
つまり、ただ一つの道を一心に進まれたことは当に共通点である。更にはお二人の仏教の根本は「無我」にあることだ。
以前、くりのみさんとも話したのだが(先年、伊豆稲取で、くりのみさん主催の夏季ワーク:クリックしてみてね:に参加させて頂いた。)、道元さんは「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。」と言われている。私たちは如何に「自分が、自分が」と「が・我」から離れられないことか。(蛾から蝶にはなれぬものだよねぇ。w)

親鸞さんは、小賢しい人間の計らいを超えた仏の眼差しから見れば、自分は自我にとらわれて、何とあさましい存在なのか、と、改めて我(わ)が身を凝視された。この、我が計らいを超えた不可思議光のはたらきの中に我が生命(いのち)があるということへの、気づき、いや、気づかされである。結論として、「我」の否定なのだ。

先日、偶然あるブログを見た。「あるお寺の奥さんの・・・」なんて銘打ったものだった。「仏教によって如何に私が幸せになるか」的な、仏教とは対極的なことや、聞いたふうなことばかりを連ねている。「無我」どころか「有我」そのものだ。まあ、実名を書かないのはいいとして、せめて何処のどういう寺なのかぐらいはあってもよさそうなもの。都道府県は設定しない、コメントも受けないことになっていた。だったら「お寺の奥さんの」とは書かなければよいと思うのだが。私も、くりのみさんも、きちんと名を名乗っている。書いた内容にもそれなりの責任を持っているからである。
秋の夜長と言うにはちと早いが、最近感じていたことを記してみた。今宵はこれにて。

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真夏の昼の夢 凌霄花の 花の咲く頃・・・。

2018-08-28 | Weblog
(Wikipediaより拝借)

 西近江 凌霄花(ノウゼンカズラ)咲く道を一人行きしはいつの日のこと(筆者近詠)

こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。

この頃よく夢を見る。まあ、人は毎日夢を見ているのだが覚えていないだけだが。(夢についての心理学的考察はまた別の機会にしたいと思う。)

お盆(旧盆の8月15日前後)の午後のことだった。特にすることも無くて(やれば色々とあるのだが、何もやりたくなく)久々に書斎に入り、積読の書物など「眺め」ていて、ふうっと睡魔に襲われたのだった。1時間ほどで目覚めた。

それは、西近江はマキノ町(現在は高島市マキノ町)辺りを車で走っている。マキノと言えば、四季折々に美しい風景を見せるメタセコイアの並木が好きだ。その界隈、カタクリの花咲くところへも見に行ったことがある。元気な頃はよく訪れたものだが、近年は行けずにいる。
ところが、夢に見たのはメタセコイアの木に絡みながら、橙色の凌霄花の花がが木洩れ日の下で咲き誇っているのだ。この並木道には凌霄花などは無い筈だ。夢はふつうはカラーではないのだが、私は時たま総天然色の夢を見る。この夢も、まことに美しい彩であった。

私はフロイディアンでもなければユング派でもないが、カウンセリング研修で夢分析の講義もするし、カウンセリング中に、クライエントさんが見た夢の話を聴かされることもある。夢は過去の経験に由来するものであり、又は願望の充足を求めるものである。そう言えば、ずいぶんと昔、マキノ町の旧道を走っていた時、沿道の何軒かの農家の庭先に凌霄花が咲いていたのが記憶に残っていた。潜在意識の底に今一度凌霄花の咲く頃に西近江を訪ねたいと思っていたのだろう。(夢分析については稿を改めるので、この夢判断は表面的?なものにしておく。)今もあの道に凌霄花は咲いているのだろうか。どなたかご一緒してくれないだろうか・・・。

ふと思い出したのだが、鳥海昭子さんのお歌に、        
 古里の杉にからまりあでやかなノウゼンカズラ母亡きあとも    がある。
本当にノウゼンカズラは「あでやかで」あり、インパクトが強い花である。 

閑話休題
書斎の本箱から、昔、新聞に書いていた「随想」のコピーが出てきた。当時は講演や研修の合間を縫って、随想の連載、人生相談や教育相談の回答、或いは、保育研究会の会誌「ほいく・ふくい」への出稿など、日々慌ただしく暮らしていた。振り返ってみると、遅筆の今の私にはちょっとコワい気がする。ロクに推敲もしなかったのだろう。若いってことはコワいもの知らずだったと恥ずかしい・・・。


「旅とふるさと」今読んでみると、あの頃は母も元気だった。「お盆」には、大阪の妹や京都の弟たちの「里帰り」で賑わった。今はもう、弟は逝き、妻も冥界を異にして久しい。子どもたちは巣立って、お墓参りに顔を見せる程度である。


長女がメロンと葡萄をお仏壇に供えてくれた。「美味しい間に食べてね」と。お仏壇やお墓にお供えしても仏様や故人には食べられない。子どもたちが幼かった頃から、珍しいものや頂き物は、まずお仏壇にお供えしてから戴く。必ず「お下がり頂戴します。」と言ってリンを叩いた。子どもたちはその頃から「正信偈」や「阿弥陀経」は、すらすらと読誦した。
私が子どもの頃、母方の祖母が「仏さま食べはらへん、ちょっとだけお見せするだけやから。」と言っていたことを想い出す。


今更ながらふたたび「時は過ぎてゆく」を実感しているyoーサンでした。これも「無常」。称名

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女人哀歌 吉崎御坊と蓮如の愛娘 見玉尼のことなど 補筆修整

2018-08-02 | Weblog
 本文は文芸誌出稿のため補筆・修整しました    

   思い出の道も失せたり草いきれ

こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。実は私め、3足ぐらいの草鞋を履いています。今日はまた別の1足で。お坊さん?知る人ぞ知るかしら。非僧非俗、いやいや俗そのもの、ゾクゾクしてきます。

 



   
先日、長年お付き合いを頂いている、ある真宗寺院の坊守さんから電話があり「今年も婦人部のお話にいらして下さいね」とのことであった。私は思わず「もう長いこと寄せて頂いていますし、何をお話ししたものやら・・・」と、婉曲にご辞退しますと、「先生のご専門のカウンセリングとお念仏、なんてのは如何でございましょっ」と。思わず苦笑した私であった。

彼女はある時期、電話相談員をしていたので、私のカウンセリング研修を何回か受講している。私の話の中で「黙っていてもお念仏が聞こえてくるような人こそ、カウンセリング・マインドのある人です」と言ったことがある。
彼女は「いつも、その言葉を噛み締めていた」と仰る。言った本人は忘れても、聴いた人は心に刻む言葉もあるのである。私もまんざらでたらめを言っている訳ではない。私自身、人と接する機会が多いが、人と対面すると、いつも「この人からお念仏が聴こえるかしら」と、心の耳をそばだてている。真宗の門徒、いや宗門人であっても一向にお念仏が聞こえてこない人もあれば、クリスチャンや新宗教の人からお念仏が聞こえてくることもある。

この坊守さんとのご縁は、私が今よりはもう少し輝いていた頃、地元紙の人生相談の回答者をしていた時に始まる。彼女は電話相談員でもあるので、私の回答を読みながら、自分だったらどのように回答するだろうか、と考えていたそうだ。そのうちに、ぜひ一度私に会いたくなったと言われる。
そのような経緯はともかくとして、彼女は頗るお人柄のよい方である。由緒あるお寺さんであるが、彼女の暮らしぶりは質素である。お着物を召されていることが多いが、それはいつも彼女のお母さん譲りのものであり、お値段ばかりが高い今出来の物とは違う。(私は着物についての知識もプロなんです。)
彼女には物欲というものがまるでない。私などに言われるまでもなく、その後姿からにもお念仏が聞こえてくる。そして、常にご門徒さんのことを第一にしておられる。ご門徒さんの悩みを受けて、ご自分が迷われた時は私に電話が掛かる。その頃は私も今よりはパワーがあり、彼女のお寺に出向いて夜の更けるまでお話をお聴きした。不思議と殆どの問題がクリアーされた。(聴くと聞くを敢えて使い分けています。)

という訳で、彼女と話し合った末、「生きる力を育むお念仏」というテーマになった。吉崎ご滞在時の蓮如上人や、その「御文」(「おふみ」:宗派により、御文章、御勧章ともいう)、或いは当時のご門徒・同行衆、女人往生、そして、今日の女性とお念仏などについて「先生の思われるままにお話し下さいませ」なんてことになった。内心、えらいことになってしまったと心配しても、もう遅い。頼まれると、なかなかNOと言えない因果な性格の私である。昔、母が良く言った。「お前は日の暮れの葬式でも引き受ける人や・・・」と。まさか、寺でもない私が葬式なんて、と思ったものであった。



 それで、嘆いていても始まらないので久々に吉崎御坊を訪ねることにした。車を駆って自宅から、JRあわら温泉駅のある旧金津町、北潟湖、そして吉崎御坊へと走ってきた。途中、芦原の丘陵地帯を抜けて北潟湖が見え始めたとき、ふと例のヒトリシズカ(過去記事2018.4.5)のことを思い出した。どうもこの辺りから山道へ入ったような気がして車を湖の脇に止めて、探してみたがそれらしい道はなかった。
当時は彼女(件のヒトリシズカの君)の軽自動車に乗せてもらっていた。同乗者は概して道を覚えられないものだが、私は方向音痴の傾向もあるので尚更である。今日はもう縁がなかったのだろう。ヒトリシズカの花の時期も終わっている筈だ。と自分なりに合理化して吉崎へと向かった。



  蓮如忌も過ぎて御坊はひっそりと

蓮如の里(クリックしてみてね)は静まり返っていた。市営の駐車場に車を止めて東西両別院に参って御山に上った。御山とは、もう五百五十年も昔、蓮如がこの地にはじめて道場というか、坊舎を建てた小高い山である。両別院が競い合うように立つ境の、細くて、なだらかな石段を上るとすぐである。言わば吉崎御坊の発祥の地で、今は跡地としての碑がある。ほどよく木々が有り、木洩れ日の下(もと)、緑の葉にそよぐ風は気持ちがいい。 



左 東御坊、 右 西御坊






   
ここから眺める北潟湖、そこには鹿島の森が浮かぶ。まことに見飽きない美しさである。彼の吉崎滞在は四年ほどであったが、朝な夕なこの風景を見ていたのだろう。蓮如の大きな銅像が湖に向かって立ち、今も眺めつづけている。
蓮如が舟で吉崎を離れ京に戻る時に「夜もすがらたたく船ばた吉崎の鹿島つづきの山ぞ恋しき」と詠んでいる。この歌は、あわら温泉駅が新しくなる前までは正面北側の階段側面の大きな看板に書かれていた。私は、特急停車の最寄駅なので県外出張などの折々に目にしていた。あの看板は何故外したのだろうかと今でも思っている。



 実は御山に上ったのは、ここに蓮如の娘、見玉尼のお墓があったことを思い出したからである。件のヒトリシズカの君は、蓮如の書いた「御文」(おふみ)を有難く思っていた。それは多分に彼女の母親の影響からであったと思う。




御文は数多いのだが、五帖に編集されたものを「五帖御文(ごじょう おふみ)」と呼び、その編集に入らないものを「帖外御文」と呼ぶ。その帖外御文の中に早逝した見玉尼を悼むものがある。美しくも切々たるその文面は涙を誘う。本願寺の門徒であれば、「御文」を見聞する機会は少なくないが、この帖外御文となると、その機会はあまりない。私の講義中、見玉尼やその御文についての話題に及んだ時、彼女はハンカチで目頭を拭っていた。



  参詣の人もあらずや蝉しぐれ

 たしかこの辺りに、と見渡すと、御山の北側のやや高くなった所にそのお墓はあった。近づいて手を合わせた。いつ頃の建立かは分からないが、相当の歳月が感じられた。花立てには、すっかり干からびた野の花のようなものが残っていた。背後にある大きな木に日の光を受けた若葉が青々と茂っていたが、晩秋に訪れたら寂しさはこの上ないような気がした。
お墓の案内板にも御文の一節が書かれているが、傷みもあり判読しにくくなっていたが「八月十五日の荼毘の暁方の夢に白骨の中から金仏が現れ蝶になって涅槃の都へ飛んでゆくのが見えた」と記されている。


今度来るときにはお花を携えて来ようと思うことしきり・・・。

 見玉尼は、最初の妻如了との間にできた子で二女である。蓮如はまだ部屋住みの頃で、赤貧と言っても過言ではない暮らしであった。見玉尼七歳の時に母・如了が亡くなり、長男の順如を除いてほとんどが禅寺や尼寺に奉公に出された。
見玉尼はその後、姉や伯母をも続けて亡くして、遠く吉崎に行った父蓮如が恋しくて、京都より長旅の末、吉崎にやってきた。文明三年(一四七一)五月、二四歳であった。彼女は気立ての優しい美しい女性であったと伝えられている。だが病を得て父と一緒にいられたのは一年余、薄幸な女性は父の信じて止まない浄土へと旅立った。



今、蓮如について多くを記す紙幅はないが、彼は生涯で五人もの妻を持つた。勿論、同時に五人の妻帯ではない。次々に亡くなったからである。それで、二十七人もの子女がいた。そのいずれもが良い子ばかりだったという。蓮如は第八代法主、本願寺再(中)興の祖と言われているが、多くのよき子女に恵まれたことも、本願寺を日本最大の教団にしたことと無縁ではないだろう。


私は親鸞の教えに傾倒し生きる中で、よくもわるくも、いつも何か気になる存在が蓮如である。いつか機会を得て蓮如について書いてみたいと思っているが、かなりのエネルギーが要る作業になるだろう。そんなことを思いながら婦人部での講話の構想を練っているこの頃である。



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夏に学ぶ  なぜ我が子を虐待するのか 他・・・

2018-07-29 | Weblog
こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。本日の北陸、日本海側はフェーン現象も加わってとても暑いです。でも、暑さにめげず頑張っています。

 人権教育、テーマは「人園関係に生かすカウンセリング・グマインド」

子どもたちは夏休みに入りましたが、先生方はしっかりお勉強です。しかし、yo-サンの研修は終わると、「とても楽しかった」、「2時間があっという間に」なんて感想が。皆さん、お目々キラキラ、受講される方が居眠りをされたらyoーサンの負けですから。(自画自賛・自信過剰・w)



中高の生徒指導に関わる先生の研修です。


栄養指導に関わる先生方も、しっかりお勉強です。


演題「なぜ我が子を虐待するのか」。話す私は勿論、聴講の皆さまも真剣でした。


カウンセリング35年、頂くテーマも多岐にわたります。「日々の終活」にも記しましたが「ていねいに、丁寧に」yoーサン 渾身の講義でした。8月はお盆に因んでの仏教講話などに参ります。
それでは皆様、ご自愛なさって下さいますよう念じつつ。






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フルーツの贈り物 二題

2018-07-22 | Weblog
       追熟を待つも楽しみメロンかな





今年もまた富良野メロンが届きました。毎年、夏の日の贈り物、大好物のメロンです。今年は、寺坂農園さん、大変な災難に遭われて案じておりましたが、こんなに立派なメロンと再会出来てハッピーです。


    ふた取れば甘くかぐわし甲州の桃の香りが部屋に満ちゆく





相次いで、甲州の極味桃「大糖領」が宅配便で。早速冷やして戴きました。お味はって。
勿論、ほっぺを押えながら戴きましたよ。(マジです・w)
猛暑つづきのこの頃、フルーツは何よりもうれしく有難きことです。
(お二人の贈り主に感謝感激のyoーサンです。

メロンの贈り主は、長年に亘り(もう30年にもなるかしら)研究会のお世話をして下さっている方です。色々なことによく気が付かれ、とても感性豊かな方です。

桃を頂いた方は、今年ふとしたご縁で、金沢の勉強会に出席された方です。彼女の笑顔に会っていますと、私自身が癒されるような気がします。(私の逆転移かしら。それもいいかな。)

今日も、朝からギラギラと照りつける太陽が恨めしいような1日でした。せねばならなことは、あれこれとあるのですが、あまり能率もあがらないうちにやがて暮れようとしています。
もう、明日の心に致しませう。それではまた。


ytoyoho16@arrow.ocn.ne.jp


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テーマは「心がふれあうとき」 カウンセリング・マインドをあなたに。

2018-07-05 | Weblog
こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。
6月も講演や研修・講義を丁寧に、ていねいに務めさせて頂きました。いつもながら、受講の皆さまが「受講して良かった」と感じて下さり、明日からのお仕事や、日々の暮らしの中に生かせて頂くことは勿論のこと、yo-サンとの心のふれあうひと時にさせて頂きました。



医療関係の院内研修です。ますます素敵なDr、看護師さんに。

新発足のカウンセリンググループの例会での講義です。

電話相談員さんの研修です。電話相談の基本的心構えをしっかりと。


この夏も保育や教育関係の講演・研修を承っております。希望される内容や演題に沿って、SOHOワーカーの事務局さんが私の原案を元に、下記のようなレジュメを試作してくれています。





完成しますと先方様へ発送します。このピンクのA4封筒は、ある会の会員さんのデザインによるものです。

終日激しい雨風でしたが、ようやく落ち着いたようです。今、小雨のトレモロを聞きながらロイヤルミルクテイを淹れたところです。明日はとある読書会に招かれています。「モモを読む」というタイトルでお話しします。今宵、夢の中で構想を練ることにしませう。ごきげんよう。
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鯖を焼く青き煙や半夏生

2018-07-02 | Weblog
こんにちは。通称yoーサン こと、カウンセリング・スーパーバイザー(Counseling・Supervisor)の米沢豊穂です。
いよいよ7月の声を聞きましたね。梅雨明け間近の北陸路は猛暑の昨日今日です。さて、今日は半夏生、新聞もスーパーのチラシも半夏生鯖の福井です。生活感あふれる話題ですが、これも地域の食文化なのですね。






  鯖を焼く青き煙や半夏生

今日は新鮮館さんへお買いもの。「ブログに載せたいので写真撮らせてね」と。すかさず「いいですよ」。
福井地元の大手スーパー新鮮館丸岡店です。店内は昨年リニューアルされてとても綺麗になりました。こちらへ出店以来利用しています。レジさんも長く勤務の方々も多く、何人か知り合いになりました。画像右側の方が店長さん。すごーく真面目そうで、いつも黙々と働いておられます。「内に秘めた情熱」がお有りかも。


因みに私は焼鯖は買わずでした。ふだん、食べたいときに戴きますので。ゴメンナサイ。

【閑話休題】
半夏生鯖も面白いのですが、yoーサンはやはりこれですねぇ。
yoーサンのyoーサン的こころ。

 (I・N花の画像より拝借)

  どことなく寂しい風情の半夏生  秘めた想いのさゆらぐような 

いつもながら、鳥海昭子さんのお歌です。

花びらのない寂しげな花ですがその奥に「内に秘めた情熱」が小さく揺らいでいる のかもしれません 七十二候で夏至から11日目にあたる「半夏至」が花の名前の由来です。
(故鳥海昭子さんの「ラジオ深夜便 誕生日の花と短歌」より)

花言葉の「内に秘めた情熱」がいいですねぇ。恥ずかしながら、私の人生もずっーと「内に秘めた情熱」でした。知る人ぞ知るかしら・・・。
それではまた。皆さまごきげんよう。
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