コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

去年今年 (こぞことし)

2018-01-08 | Weblog


去年今年貫く棒の如きもの      

ご存じ、虚子の句である。私は、この句は俳句としてはさほど好きではないが、言葉としてはなかなか言い得て妙である。
yo-サンなら差し詰め、  一夜にて変われぬものよ去年今年      というところだろうか。 
閑話休題
何度も書いて来たので、今年は止そうと思ったのだが、私の人生は昭和のある年1月6日、その誕生から始まった。私の1年も誕生日から始まる。
ご辞退を申して数年になるが、今年も素敵なお花が届いた。忝くてお礼の申しようもない。
画像は、福井市内の素敵なお花屋さんMissフラワーさんが届けて下さったばかりの1枚。何よりも長年、他人(ひと)の誕生日を覚えていて下さる贈り主のお心に熱いものが込み上げてきたyo-サンだった。鬼の目にも涙、いやいや、仏の目に感涙。

話題が変わるが、
12月24日「聖夜にて」でも、故・鳥海昭子さんの歌を記したが、彼女の、ラジオ深夜便「誕生日に因んだ花の短歌」1月6日は、   「いま少し語り足りない思いあり 土に埋もれるカンアオイかな 」  であった。       
カンアオイは華やかではないが、落葉せずに、冬でも青々とした葉が美しいので「寒葵」のネーミングだろうか。その花言葉は「秘められた恋」である。土に埋もれるようにして、秋の終わる頃に、ひっそりと花を咲かせる。それが花言葉の由来かも知れない。「秘められた恋」って本当に素敵だとしみじみ思う。私も秘められた恋ばかり。いずれも、語り足りない、いや、語ることなき恋であった。(涙)

この日は色々と用事があって、夜遅くなってしまった。頂いたお花の形を少し直し、贈り主に想いを馳せながら愛でていた。



明日7日は七草、昔は母が必ず七草粥を作っていた。七草は畑や川べりで調達できていた。今年はお店で買って来た七草粥である。少しお高い目であるが、なかなかいけそうな予感。

母と2人分なのだが、母はどういうだろうか・・・なんて。

今宵はこれにて。三日おくれの便り・・・ ではないが、二日遅れのup でござんした。
コメント (1)

年賀の申さるるも如来の御はからひなり

2018-01-07 | Weblog

遅れ馳せながら、一夜漬けならぬ一夜書きの年賀状にて失礼仕り候。
輝いていた頃には500枚購入した。10年前頃から徐々に減らして、近年は100枚も買えば事足りる。そのうち全てやめようと思っている。
頂いた賀状の多くがパソコンソフトによるものである。いちいち墨をすることもなく、美しいものを作ってくれるから便利である。
私も嘗てはそうであったが、100枚程度になってからは表裏手書きにした。一応、画像のように書き、その後、万年筆で添え書きをしている。
どちらが良いと言うことでもないが、頂いた者は、表裏ともに手書きの賀状にメッセージがあれば、やはり温もりが感じられて親しみも一入である。たとえば、この画像

それぞれの方のお顔が瞼に浮かんでくる。住所が少し違うのは旧事務所と本宅の地番の違いだが、郵便番号が書いてあれば届く。
パソコン派はこれだ。字体は微妙に違っているが整然と印字されている。住所はやはり、それぞれ微妙だ。(w)


ちょっと楽しかったのは下の賀状(表)。同じ方から2枚揃って元旦に届いた。書いたかしら?書かなかったかしら?なんて・・・。ご多忙な方なのに申し訳ないことだ。郵便番号、住所も、これまた微妙に違っている2枚。


裏面は、

文面も全く同じではなく、とても楽しく読ませて頂いた。そのうち、お礼の電話をかけようと思っている。

そして、毎年一番楽しみにして待っているのはこの1枚、私のガールフレンドからのもの。


 

初めて彼女に会ったのは、長年、職員研修にお伺いしている社会福祉法人さんの障害児施設だった。まだ小さな女の子だった。毎月の研修には必ず待っていてくれた。何故か私に懐いてくれた。お父さんを亡くしていたこともあったのだろう。ある日、私の写真を欲しいというので、昔、ヨーロッパの街角で写したものと、観音様の写真をあげた。いつもそれを大事にして見ていたという。

歳月が流れ、彼女がこの施設を出る時、職員さんが、彼女が私と「二人の写真を撮って欲しいと言うので」とデジカメを持って待っていてくれた。小さかった彼女は、もう私と変わらぬほどに背が高くなっていた。
現在は別の施設で生活しながら働いているが、毎年忘れずに年賀状が届く。勿論、私も出している。昨年も一昨年も、「一度遊びに来て下さい」と書かれていた。私は「今年はぜひ遊びに行くからね」と記した。彼女から貰ったお手紙や絵や折り紙などは、今も大事に持っている。

彼女に限らず、年賀状を見ながら、その人との想い出を懐かしみ、正月のしばしの「時」を過ごしたyoーサンだった。
これも「如来のおはからい」なのである。<称名>

師走は・・・

2017-12-29 | Weblog


書いて字のように、昔から「師が走る」などと言うことを、何となく語源と思っている。でも、よく考えてみると、あまり説得力がない気がする。
以前にも記したことがあるが、私は「仕果す」(しはたす)から来たという説の方が納得できる。暮れ、12月には全て仕果しておかなければならないという、如何にも日本人的な発想に思えるからである。
とは言うものの、大人になってからの自分は、仕果せた年なんてなかった。毎年、あれもこれも積み残して年が明けてしまう。せねばならないことが多過ぎるのだが、内心気分がよくないのである。
昨夜なども賀状を書き終えて、床に就いたのは明け方であった。布団の中でふと、眠っている間に小人さんたちが来てくれて、家の中のあれこれを全部してくれてあったら、なんて思った。当然、やや遅めの起床。家の中は昨夜と何も変わらずの荒れ放題、散らかし放題である。書斎の中を動くのは当に白鳥の湖??である。

という訳で、上下の画像をご覧あそばせ。50人ものご婦人方の助っ人参上である。羨ましい限りである。せめて5人、いや1人でも仕事人参上とあらば大感激だが。慢性的人手不足のyoーサン家


閑話休題
仏教王国・福井、真宗王国と言った方がよいかも知れない。ご法義繁盛の地である。しかしながら、今日的には必ずしもそうとは言えず、先細りの予感がしている。伝統行事、セレモニーとして形骸化して行きそうである。
上の2枚の画像につづいて下の画像である。地元新聞さんにはいつも何か真宗関連のニュースが掲載されている。さすが・・・。






先日、お手次寺の坊守さんより来年のカレンダーが届いた。真宗教団連合(真宗10派)の作成によるものである。謂わば、今年から来年へのご法義のバトンタッチである。





【言葉は少し難しそうですが、絵柄は素敵です。ホントは言葉もやさしく出来たらいいのにねッ。ええっと、まだまだお仕事、お仕事。因果なことですねぇ。】
コメント (1)

聖夜にありて

2017-12-24 | Weblog
  (シャコバサボテン「ガーデニング花図鑑」より借用)

ふと、本当に、ふと思い出した

  蕾そろうシャコバサボテンの鉢を置く聖夜にありて想う人あり  鳥海昭子

あのラジオ深夜便の歌人・鳥海さん逝って、もう10数年にもなるのだが・・・。
奇を衒わなくて、淡々と日常身辺の出来事やご自分の思いを詠まれた方である。
私には鳥海昭子論を語るほどのものは何もないが、時折「ふと」思い出す歌人であり歌である。

   私にも想う人などあれかしと思いています今日は聖夜      これは即興詩人yoーサンの駄作・あははです。

他に、こんな歌もある。

   五十年経てなお慕う人があり スノードロップの淡いため息    もちろん、鳥海さんのお歌。

ついでに、鳥海さんのこんなお歌もひとつ、

   どうにもならない今生であり旅人の私に犬がついてくる

鳥海さんの心境が偲ばれて止まない。

という訳で今宵はこれにて。
コメント (2)

ちょっとうれしい お便り

2017-12-09 | Weblog


師走も早や上旬が過ぎようとしている。この数日の寒さに加えて、積もり積った疲れがなかなか癒えず内科受診した。Drは「過労とストレスでは」と言ってニヤッと。まあ、そのように自己診断してはいたのだが、親しいDrから改めてそう言われると何だか納得する。私も時々彼の診療の悩みを聴きながら受診する。私で今日の診療の最終患者なのでDrもホッとするのかも。

帰宅すると1通の手紙が!? 少し早いXmasカードかしら?と思いつつ開封。
ああ、そうっだた。先日電話で「ささやかな忘年会を」なんてお誘いを受けていた。きっと、忘れっぽくなったyoサンのために、一筆書いて下さったのである。
参加者は長年、研修や講演にお呼び頂いている、ある組織のスタッフさんたちで、共感力のあるベストメンバーである。

このお便りに付いているホログラムを組み立てると、こんな可愛いサンタさんが現れる仕掛け。ちょっとうれしいお便りかな。
それから、いつも気にかけて下さる陸奥の友からの、ホッと温か「お見舞いメール」も着信していた。今日はこの二つの特効薬で生き返り候。


今宵はこれにて。カウンセラーの成れの果てのyoーサンでした。ちょっと自虐的かしら・・・。

コメント (4)

師走入り

2017-12-03 | Weblog
カレンダーも1枚きり、今年も師走となった。ただそれだけで心せわしい。



先日来、新聞には永平寺の冬準備の写真がつづく。初冬の風物詩であるが、これから本格的な冬に向かうと思うと憂鬱なyoーサンである。



もともと寒いのは好きではない。子どもの頃は雪が降ると何となく嬉しかったが、大人になると雪は億劫なことばかりをもたらす。
この数日、ご近所さんは皆、車のタイヤを冬用に替えはじめた。油圧ジャッキや電動レンチなどを備えている家もある。そのような風景を見ると気が焦る。
一昔前まではタイヤ交換ぐらい自分でしたが、今は全て友人のモータースさんにお願いしている。お金もかかるが、まずはプロだから安心、空気圧などもしっかりチェックしてもらえる。ホンネを言わば、もう体力がないからだ。

晩年は気候温暖な地に終の棲家をと思い続けてきたが、未だ見つからず・・・。
以前、南国の知人が「こちらへ如何ですか。yoーサンならきっと素敵な出逢いが待っているかも」なんてチョイ嬉しいことを言ってくれた。

まあ、彼にも会いたいし一度、彼(か)の地へと思い、旅程を組み新幹線のチケットも購入したが、のっぴきならない用事が起きて行けなかった。そしてまた時だけが過ぎていった。

この数日、少しアクシデントで疲労困憊だった。まあ、気分直しに、由無しことを記した。
久々にまた、金子由香利さんの歌(クリックしてみて)を聴きながら、今宵はこれにて。




コメント (1)

「共感力」 保育士さんのレポート(カウンセリング研修を受けて)

2017-11-24 | Weblog
年内の研修もほぼ終わった。
振り返ってみると今年も、「受容・共感」を理解し体得して頂くために全身全霊をこめた。
自画自賛の誹りを受けるかも知れないが、この1年、自分でも良い研修が出来たと信じている。
それは【共感力】、私の最も大事にしている生き方でもあるからだ。

数日前に1枚のレポートが届いた。





<以下、一部割愛>



上記画像は、ある受講生の方からのレポートの一部である。読んでみて彼女の理解力と、その後の実践・研鑽ぶりには頭が下がる。新採用4年目の若い保育士さんである。短文ではあるが起承転結も見事、(実践例の部分は一部割愛したが)必要にして十分である。
願わくはこのような方々が増えることによって、子どもならずとも、大人にとっても生きづらい世の中が少しは変わることになればと思う。

閑話休題
このレポートを受け取った週に、長年(かれこれ30年になる)お呼び頂いている、大手の福祉法人さんの職員研修があった。今年は「受容・共感」に特化した内容であった。単なる講義のみではなくロールプレーにも力を入れる。知識としての理解もさることながら、日々、実践できるようにとの私の願いもこめられている。





通称・仏のyoーサンも研修では厳しい一面を見せる・・・(w)










ほんのちょっぴり研修の雰囲気を感じて頂けただろうか。
共感力はカウンセリングマインドでもある。何も専門職に限らない。誰しもが体得し、素敵な人になって行ける。
一度参加の価値アリですぞ。(w)
何といっても、本物のyo-サンに逢えるだけでもご利益ありそう・・・なーんちゃって。(w)
それでは、秋の夜長ですが今宵はこれにて。



コメント (3)

北陸路 冬の味覚と言えば カニですねぇ

2017-11-16 | Weblog
先日、「越前がに」が解禁になりました。


お祝儀相場とは言え1ぱいが46万円!!!



福井に住んでいても、私のような庶民には、シーズンに1、2回も戴ければ十分なんです。
と言う訳で、今年も美味しく・・・。



昨夜は雷鳴が轟き、今朝は霰が降りました。車での移動が多い私にはこれからの季節はしんどいです。
そろそろ家も車も冬支度です。由無しことで失礼致しました。

冬近し

2017-11-09 | Weblog




晩生(おくて)と呼ばれる最後の稲刈りが終わると、北陸の冬は駆け足でやってきます。
前後してしまいましたが身辺色々とあり、ブログの更新も随分と間遠くなっていました。
思い立って昨日、久々にupしました。
「生き方」について、真面目に続ける心算ではありますが、少し脱線をさせて頂いて・・・。

人間だれしも、辛い時には他人(ひと・と読ませます。自分以外の人間のことを指します)の温かさが身に沁みるものです。なので、私は長年のカウンセリングや相談援助活動で、誠心誠意、クライエントさんに寄り添ってきました。出逢ったクライエントさんはもう数えきれません。時折、思い出されて便りを下さる方もありますが、私自身、もう忘れてしまった人の方が多いです。でも、何かの時に思い出して下さることは嬉しいことでもあります。
 
冒頭に「身辺」と書きましたが、身のまわりは勿論のこと、体力や気力共に限界を感じておりました。
そんなある日のこと。私宛の、ゆうパックが届きました。開けてびっくり玉手箱ならぬ私の好物が沢山と。
本当に贈り主のお心が嬉しくて目頭が熱くなりました。仕事柄、盆暮れには中元や歳暮などが届きますが、そのような義理的なものではなくて、温かなお心が溢れているようでした。
この方は、いわゆるSNSで知り合った方です。ともすればバーチャルなネットの世界で、リアルで掛け替えのない友を得ることがことが出来たと思っています。

 陸奥(みちのく)の友より届く美酒(うまざけ)は真心とあり有難きかな


 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり  (若山牧水)

今宵、牧水の心境で盃を傾けることにしましょう。それではまた。
コメント (1)

生き方 について 

2017-11-08 | Weblog
最近、とても心に残ったのは、女優の山本洋子さんの言葉である。(女性自身10/14配信)
往年の恋多き女性の彼女も終活を意識するお歳になった。私は彼女の隠れファンだった。

「そろそろ落ち着いた生活をしたいと思ったのは70歳を迎えたときのことでした。ときどき滞在していた別荘の環境がとても気に入っていたので、もうここを終の棲家にしようと決心し、東京の家は引き払うことにしたのです」

「50年間で4〜5回も転居しましたが、東京でずっと生活していましたから、それなりに持ち物は多く、引っ越しは大仕事でした。せっかくの終の棲家ですから、思い切って物を減らして、理想の暮らしに近づけたいと取り組んだのです。いわゆる断捨離ですね」

引っ越しは大変だったが、移住を決意したおかげで、海にも近い、四季折々の自然に囲まれた環境で、ときには新緑、ときには紅葉を愛でながら、心癒される生活を送っているという。

「歩いてスーパーへ行き、重い袋をぶら下げて帰ってきて、吟味した食材を調理していただいています。70代にして自分が主婦業に向いているのだということに気づいたのです。もう一つ気づいたのは、日常の中には、いつでも小さな幸せが転がっているということ。道端に生えていた雑草を一房切って、生けてみたら、部屋の雰囲気が一変したこともあります。小さな幸せを見つけているだけで、寂しいなんて感じる暇もなく、一日はあっという間ですね」

若いころは外出好きで、家の中での楽しみ方を知らなかったそう。ところが、いまは掃除に洗濯、料理といった家事に、読書をしたりお茶をたてたり、お客さんをもてなしたりといった時間を、しみじみと楽しめるようになった。

「これは1人でいることの幸せでもあると感じています。連れ合いがいたりすると、生活のペースを相手に合わせなければならないし、自分だけでは決められないこともあるでしょう。夫婦で仲よく年老いていく幸せもあれば、何事も自分で自由に決めることができるという幸せもあります。私の人生の流れには、結婚はありませんでしたが、いまはこれでよかったのだと思っています。誰しもがそれぞれ、自分が過ごしやすい生き方を探し、それを貫くことがいちばんなんじゃないでしょうか」


正に言い得て妙である。彼女は熱海辺りにお住まいとか。
先日、この話をあるご婦人たち対象の講演会で話した。
「山本さんは女優さんだから」、「私達にはムリですわ」等々の反応。
しかし、大切なことは、生き方の問題。自分は何を大事にし、どう生きたいのかに気付くことでもある。
されど、私の断捨離は遅々として進まない。終の棲家も未だ見つからず。(-_-;)
彼女と私の共通点「トリ肉はダメ」というところ。(w)カンケイないっすね。
今宵はこれにて。