コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

震央に咲く花  福井震災震源地の碑

2018-06-29 | Weblog
震央に咲ける紫陽花色褪せて


あれからもう70年に。今更ながら光陰矢の如しを、しみじみと思う1日でした。
6月28日の地元紙は1面トップに、昭和23年の福井震災記念日の記事でした。紙面にもありますが震源地は我が坂井市丸岡町と言われています。この碑は私の家から車で数分の所にあります。そんなに昔からあったという記憶はないのですが。

ここから眺める風景は昔日のままです。幼き頃、この辺りまでよく遊びに来ました。一面のレンゲ畑が瞼に浮かびます。レンゲソウは肥料になるので、お米の収穫の後に種を蒔くのです。

(6月28日曇り)

 早苗揺る小径辿れば幼き日 逝きし友垣 瞼に浮かぶ


 
白崎先生は中学時代の恩師です。

今年の大雪も丸岡町がニュースになりましたが、あの地震の被災も当地が大変だったのです。
戦災や諸々の天災に遭いながらも、愚痴や不平はもほどほどにして、また今日の日を懸命に生きていく、やはりそれはお念仏が土台にあるからかもしれませんね。

福井震災記念日の話題でした。お陰様で元気に暮らしておりますので。それではまた。

日々(にちにち)の終活

2018-05-28 | Weblog
     そぞろ行く香林坊や若葉風

今年の大雪には本当に参りました。本来ならば待ち侘びていた春を謳歌したいところですが、まだ少しの後遺症を引き摺っております。しかしながら、精神的にはもうリタイアの私、日々(ここでは「ひび」と読んで下さいね)終活に勤しんでおります。それはあらゆる事柄、一つひとつに思いを込めながら丁寧に、ていねいにやることでもあると思い実践しております。



先日、金沢のあすなろ会さんの例会にお招き頂きました。かれこれ30年近くお呼び頂いておりますが、当に一期一会、これが最後になるかもと思いながら、丁寧に、ていねいにお話させて頂きました。今回は「金子みすゞ こころの宇宙」(矢崎節夫著)の中から「キラキラと輝いて」を引かせて頂きました。また、福井は若狭路からご参加下さった方があり感激でした。
空模様もよく、会場も香林坊近くの「ニューグランドホテル」、一度投宿したことがあり、懐かしく思いました。いつもながら美味しいお昼をご馳走になりました。久々に金沢の夜など楽しみたかったのですが、この日は残念ながら日帰りでした。

閑話休題
その後、会員さんのお一人からお手紙を頂戴しました。少し大きめの封筒なので何かしら?と思いながら開封しました。可愛い風鈴と、金沢の素敵な絵葉書が入っていました。何だか心がほぉっと温かくなりました。お手紙の内容も、私の話がお心に通じたようで、とても嬉しく思いました。
   金沢の女性(ひと)より届く風鈴の清けき音色 心に響く





家のメンテナンス工事1期分も完了しました。終の棲家は未だ見つかりませんが、この家も「故郷の廃家」とならぬようにと、これも終活の一環です。末筆になりましたが、講演なども月数回程度を全身全霊を込めて務めさせて頂いております。
   紫陽花の咲きて待たるる夏の日よ 今年はひとり旅に行きたし
それでは今宵はこれにて。

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蓮如の春

2018-05-04 | Weblog

この画像は、お東(東本願寺)さんの「しんらん交流館」H.Pより拝借しました。

  蓮如忌や念仏一つ出でにけり

丸岡城の桜も散り、坂井平野には麦畑が青々と広がり、そして蓮如さんの頃になると北陸路にも本当の春がやってきます。
あの大雪も、もう遠い日の出来事のように思え、瞬く間に時が過ぎていくような気がするこの頃です。そのように感じるのも加齢のせいでしょうか。

晴耕雨読の真似事、畑で春耕の途中の一服(ペットボトルのお茶です。「いっぷく」とはホンに佳き言葉ですね。煙草なども一服と言いますが、禁煙して随分と久しい私です。)
やわらかな春の陽射しを受けて、ブロックに腰かけた途端のお念仏でした。「念仏しようと思う心」が起きたのではなくて、ふと、ふうっと出たお念仏でした。(これぞ空念仏かしら。)

閑話休題
吉崎御坊の蓮如忌は北陸の春の風物詩とも言えます。こちらの人々は蓮如上人のことは皆「れんにょさん」と親しみを込めてお呼びします。特に吉崎御坊の蓮如忌のことは「よしざきの蓮如さんが始まったのぉう」なんて話します。地元紙も連日、蓮如さんに大きなスペースをとっています。











4月の17日、京都の東本願寺から、福井県あわら市の吉崎御坊まで蓮如上人の御影(ごえい・肖像画)の入った輿をリヤカーに積んでの240キロ・6泊7日の徒歩の旅です。蓮如上人吉崎下向の「御影道中」と言われています。
23日の夜、御坊に到着し、東西両本願寺吉崎両別院で5月2日まで法要が営まれます。その日に本山へのお帰り「御上洛」は5月9日までの7泊8日の行程です。途中の区間ごとにバトンタッチですが、全行程を付き添われた宰領と呼ばれる方は、福井県南越前町の宮路幹夫さんで79歳だそうです。沿道で手を合わせられる人、吉崎で待たれる人、法要にお詣りの人、お念仏の伝統はこのような沢山の人々により守られてきたのですね。

ブログと言えども何かのご縁ですね。今日は真宗宗歌をご紹介しましょう。
それでは今宵はこれにて。
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ミヤコワスレの花

2018-04-11 | Weblog

(画像はミヤコワスレの原種・ミヤマヨメナ:Wikipediaより拝借)

いつもながら、ふと想い出した。故・鳥海昭子さんのお歌。 

   忘れいし人の顕ちきて歩をとどむ 都忘れの花のむらさき 

遠い昔に別れた人を、ふと思い出すことがあります。それは「忘れ得ぬ人」の花言葉を持つミヤコワスレの花を見つけたときかも知れません。(ラジオ深夜便「誕生日の花と短歌」)

4月11日の誕生花、花言葉は他にも「別れ」、「暫しのなぐさめ」など。和名の「都忘れ」(ミヤコワスレ)」は、鎌倉時代の承久の乱で佐渡に流された順徳天皇が庭に咲くこのこの花を見て、「今日からはこの花に慰められ、都のことを忘れることが出来る」と言われたことが由来だとか。しかし、ミヤコワスレは園芸品種なので、天皇がご覧になられたのはミヤマヨメナではないかと思うのだが。 

閑話休題
ヒトリシズカと同様に、ミヤコワスレの花を見たのもふとしたことからであった。
今よりも、もう少し輝いていた頃、石川県の保育士さんの大会だったろうか。金沢の女性会館、或いは寺井町(現能美市)の教育会館だったのか。(ホントにもう色々な記憶が遠ざかっていくばかりで・・・。)
演壇脇にそっと置かれた花入れ、講演中に何度か目をやっていた。演壇を降りて控室に下がる時に「このお花は?」とお尋ねした。すると会長さん(この方は当時、寺井町の保育園の園長先生)は「ミヤコワスレでございます」と徐に答えて頂いた。お花は元より、彼女も楚々とした方であった。(この記憶はたしかなような・w)

鳥海さんのお歌もさることながら、私が好きなミヤコワスレを詠んだ一首に、

  都忘れ紫にほふ花かげに 恋ふる人さへ淡くなりつる

がある。ご存知の方は少ないと思うが、昭和の初期の女流歌人・岩波香代子さんのお歌である。鳥海さんのお歌とある意味対照的だが。
    ・・・恋ふるひとさへ淡くなりつる
何度も音読し、感情移入している。今の私には恋ふる人はなけれども・・・。

いよいよ待ち侘びた春の到来、花咲く野に出かけたいとおもうことしきり。
どなたかご一緒してくれる人が現れないかと秘かに思っているyoーサン。

             
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ヒトリシズカの未だ咲かぬ間に  

2018-04-05 | Weblog
本文は文芸誌に出稿のため補筆・修整しました

長らくご無沙汰を致しました。
大雪の後遺症や、決算・確定申告、そして身辺色々なことが一挙に押し寄せ、その対処に疲労困憊、見事にダウンでした。
その節にはお見舞いや、陰に陽にのお心遣いを賜りました皆様に衷心より厚く御礼申し上げます。まだ万全ではありませぬが、久々にパソコンに向かいました。

 
(画像は【ブログ「自然を撮る」の植物編】さんから拝借)


その花を我に示しし人逝きぬヒトリシズカの未だ咲かぬ間に 
      
その昔、初めて私にヒトリシズカの花を教えてくれた人が他界した。この冬の大雪が消え始めた頃であった。久しく疎遠になっていたが、今年は珍しく賀状が届いたので返信を書いた。添え書きに「吉崎御坊へ向かう山道で、ヒトリシズカを教えて頂いたことが、ついこの間のことのように思えます。」等々。
遅れ馳せながらお家にお悔みにお伺いした。お嬢さんの話によると、この数年ガンとの闘病生活だったようだ。そして、昨年の暮れには病床ながらも例年より多くの賀状を認めたという。
「先生のことは時々話してくれました。また、頂いたお手紙やご著書などを繰り返し読んでいました。」との言葉に目頭が熱くなった。
「知らなかったとは申せ、お見舞いにも出向きませずに・・・」と言うと、「母は衰え行く姿を誰の目にも曝したくなかったのです。」と。

 彼女はお父さんを太平洋戦争で亡くした。生後間もない頃だったので、父親の顔は写真でしか知らないと言っていた。兼業農家のお母さんと苦労を共にしながら生きてきた。その母親も先年亡くしている。働きながら夜間高校に学び公立病院の看護婦になった。通信教育で大学も卒業している努力家であった。
彼女は一度は結婚したが事情があり離縁して実家に帰り1人の女の子を育てた。そのお嬢さんも端麗で、母親を彷彿とさせる面立ちであった。仏間に通して頂きお仏壇にお線香を上げて阿弥陀経を読誦した。さほどの長文でもなく、読み慣れた経典なので概ね諳んじることも出来るのだが、この日は何度もつかえて仕方がなかった。
経典の初めの方に、釈尊がお弟子である長老の舎利弗尊者に、阿弥陀仏の浄土の様子を説かれる場面がある。その一節に「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」とある。その浄土に咲く蓮の花は「青い色には青い光、黄の色には黄の光、赤い色には赤い光、白い色には白い光」という意味である。ここに差し掛かった時、思わず涙が込み上げてきた。

巡りくる春を待たずに逝きし君 浄土の苑に笑みておはすや  

解説は割愛するが、彼女はこの「青色青光・・・」のところがとても好きであった。私の勉強会にも何度か参加したが、もの静かな人で仏教の話にはとても関心が深かった。阿弥陀経のこの一節を紹介したとき、彼女は「金子みすゞさんの詩『わたしと小鳥と鈴と』のようですね。」と言ったことが、ふいに脳裏を過った。その詩の中には「みんなちがって みんないい」という言葉があり、そのことを言ったのである。彼女は他人(ひと・自分以外の人のこと)を見る眼差しが肯定的で、物事を善意に解釈する人でもあった。今にして思えば、彼女は妙好人であり、私にとって善知識でもあった。
遺影はカジュアルな服装で野に遊ぶ在りし日の姿であった。そのお顔は頬笑んでいたが、目は何処か遠くを見つめているようにも思えた。お互い、恋だの愛だのというものではなかったが、互いに何か惹かれあうところがあったのかもしれない。
故・高田好胤師が「真実の対話は亡くしてから始まる」と言われましたが、本当に身に沁みる言葉である。 愛別離苦、会者定離とは百も承知しながら、無常とは、人の世の無情でもあるとしみじみと思う。
    
今宵はこれにて。
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戦いすんで日が暮れて・・・

2018-02-15 | Weblog
降り続いた雪も、この辺りで勘弁してくれたようです。
お陰様で少しずつ平常へと戻りつつあります。体力消耗しましたが、無事生かされております。
今更ながら多くのことを学びましたが、「雪はもう要らぬぞな、もし」という心境です。








昨日、行きつけのGSから届いたメールです。









こうして、ふるさとの山並みを遠望すると美しい風景、まさに白き神々の座です。


2月予定の講演や研修は殆ど中止となりました。年度末を控えて日程が取りにくくなったようです。これも「如来のおはからい」でありましょう。それではまた。戦いすんで日が暮れて・・・。
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大雪の時は大雪に遭うがよかろう・・・。

2018-02-12 | Weblog
降っても降ってもまだ降りやまぬ♪    雪ってそんなものかも知れませぬ。




学校も、会社も休業1週間、明けても暮れても雪との戦い。そろそろ皆んなの疲れもピークに。



今日もてくてくと歩いてお買い物に。牛乳が欲しくてコンビニ3店、スーパー3店を廻ってきました。
雪道を歩くのは大変ですが、色々なことを考え、学ぶことが出来ました。日頃は近距離でも車ですが、歩くって大事なことだと・・・。


太古、道なんて無かった筈です。獣道のように、まず誰かが歩き、次にまた誰かが歩き、次第に道になったのでしょう。
一面の雪、誰かが歩き、その足跡を踏んでまた誰かが歩く。ふと、そんなことを思ったりしながら。





積雪の重みで倒壊でしょうか。雪の中、作業も大変そうです。


雪のニュースばかりです。


毎日、除雪作業ばかりです。近所の人々も始めはお喋りも聞こえましたが、今はもう誰も無口で、ただ黙々と・・・。

歩いていて思ったことの一つ。
1人で歩いていても2人です。同行二人。私は親鸞聖人と歩いています。
聖人ならどのように仰るだろうかと考えました。きっと、「大雪の時は大雪に遭うがよかろう」と聞こえてきました。つづきはまた。

大雪から豪雪に

2018-02-08 | Weblog

新聞も郵便も宅配便も何も届きません。国道8号線は3日間もマヒしています。JR、私鉄バス・電車など全て運休です。テレビやネットのニュースで映るのが我が町、坂井市丸岡町でした。
私の家の前は融雪(消雪)道路なのですが、消雪が積雪に追いつかずに雪道でした。今日は束の間の晴れ間で、朝一番に除雪ドーザーが通ってくれて、辛うじて1車線が確保されました。でも、対向車が来るとどちらかが延々とバックするしかありません。台数の少ない側がバックします。見ていますと、双方1台の時は、気の弱い(やさしい)人の方が下がります。融雪道路は一部だけです。


昨日、私も買い物に出かけました。いつもなら車で10分ほどの大手スーパーですが、一歩脇道へ入ると雪の山です。まるで馬の背中のようなでこぼこの道をてくてくと歩いて往復1時間以上でした。スーパーもコンビニも、パンや日配物の棚は空っぽでした。

今日は午後から、やっと車を出して、気を引き締めてガソリンスタンドへ。ガソリンは20㍑、灯油は18㍑までの制限でした。もし渋滞に巻きこまれてはと、チョコレートと栄養ドリンクを持ち、悲壮な覚悟で出かけましたが1時間ほどで帰宅できました。坂井市三国町の臨海にある油槽所には十分な備蓄があるそうですが、道路のマヒでタンクローリーが動けないそうです。やれやれ。

事務所前です。




お隣のパソコン教室さん前です。


事務所とパソコン教室さんとの間の路地は除雪車も入らず、奥のお家の方々は大変です。通学道路なんですが・・・。


我が家(本宅前)です。

勝手口の屋根が大変です。


我が家の裏側の風景です。2階の私の部屋から写しました。裏のお家のお兄さんが小型除雪機を動かしています。


色々と大変ですが、春はもうすぐと思いなおしております。
自分学の会の代表世話人さんから頂いたカレンダーを2月に差し替えました。この雪で1月末から書斎に入る時間もありませんでした。

滋賀県のイラストレーター上原結子さんのメルヘン・ファンタジ―画が癒されます。毎年送って下さいます。


甚だ末筆になりましたが、ブログがご縁でご厚誼を頂いております方々より温かなお見舞いのお電話やEメールなどを頂戴致しました。疲れてはおりますが心がほっと和みました。心より感謝致しております。まずは近況・心境でした。

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大雪に難儀しております。

2018-01-25 | Weblog
 
私も3度目の雪かきで疲労困憊です。身一つの人力ですからね。これ以上降られると、もう限界です。






束の間の晴れ間に、皆さん用事やお出かけも重なり幹線道路も渋滞です。急いでも、どうにもなりません。みんなカメさんの心境で。


私もお出かけです。渋滞中に車の運転席から写しました。ダッシュボードの軍手が写ってしまいました。ゴム長、スコップ、軍手、そして車の雪かき用ワイパーは冬場の車載必需品です。


大型車がすれ違いが出来なくて、しばらく動きそうもありません。

除雪作業を終えてラッセルがご帰還のようです。低速なので後続車もカメさんでしょうね。


私は途中から幹線道路を横切り、隣町へ向かいます。まるで雪原ですね。





前方の大型車の後輪が路肩でトラブルのようです。


直ったようです。よかったね。


・・・・途中ですが、今宵はもうパワーがありません。ダウンです。
雪国は、小説の中だけで十分です。今年は、ひたすら春を待ち侘びているyoーサンでした。
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大雪にて候

2018-01-14 | Weblog


3日間降り続き、今日はやっと止んで太陽が顔を出しました。連日の除雪作業は老骨には堪えました。





雪はご町内何処のお家にも公平に。事務所お隣のパソコン教室さんも一緒です。


本宅お店も何とか除雪。我が家の前はバス路線で、消雪の地下水が流れるので助かります。でも他の道路は除雪車は入りますが、踏み固まった雪がででこぼこになり、車は右往左往の渋滞になります。

手前の駐車場も地下水が流れていますが、道路のようには行かないようです。


スーパーマーケットさんの大きな駐車場です。さすが綺麗に除雪されていました。雪の山が出来ています。


住めば都とは言いながら、雪の降るところはいやになりました。何処か気候温暖な地に終の棲家をと思うことしきりのyoーサンでした。(見知らぬ地で一人住まいは寂しかないかって?これまた、むべなるかな。)
お・わ・り。