コミュニケルーム通信 あののFU

講演・執筆活動中のカウンセラー&仏教者・米沢豊穂が送る四季報のIN版です。

猫に出合う

2012-01-24 | Weblog
【近況・心境】

                           (西近江・高島辺り)

琵琶湖・西近江を旅すると何故か猫に出合う。
束の間の旅人の心を知ってか知らねか、付き合ってくれるから不思議だ。

おーい。キミもひとりかいい。
ボクもひとり。

ボクはキミを知らない。
キミもボクを知らない。


                          (奥琵琶湖・海津大崎)

特に猫が好きという訳ではない。別に嫌いでもない。

ネコちゃん曰く。
「ボクは別に旅人さんが好きではないよ。ポーズをサービスしたまで」。
そんな声が聴こえてきた。

外にいるネコって、あまり人に媚びないし、何処か飄々としたところが
ある。私はその辺り(行動傾向)が好きだ。

昨年、あるお家へ家庭訪問をした。
その家の奥様の後からネコちゃんがついてきた。お家に上がらせて頂くと、このネコちゃんが私の足元に擦り寄ってきた。
奥さん曰く「このコは知らない人の傍には滅多に行かないのに?!」と不思議がっておられた。

やはり相性がいいのだろうか?
少年の頃から生き物を飼うのは好きだった。
今のようにお座敷で飼う所謂ペットとは違う。
子猫や子犬をどれだけ拾ってきたか分からない。
母に叱られて、再び捨てに行く少年の心の悲しさ・・・。


閑話休題

亡き弟が生前は猫を可愛がっていた。
弟宅は京都なので頻繁に訪ねたことはなかった。
たまに行っても、ネコちゃんは2階にある弟の書斎にいて(来客時のみかも知れないが、その辺りは定かではない)見たことは1、2度だと思う。
弟が急逝して、1周忌法要に弟宅へ行ったときのことである。

1階のリビングに入ると、件のネコちゃんが走り寄って来た。私の足元にくっついて暫く匂いを嗅ぐような仕草をしたが、すぐにパッと離れて部屋の外へ。

弟の奥さんは「きっと穂積(弟の名前)さんかと思ったのでは」と。
私と弟は顔立ちも体形も、そして声も似ていた。
ネコちゃんは、弟が帰らぬ人となったことは分からなくて、いつも、いつも弟の帰宅を待っていたのだろう。

突然入ってきた私を見て「久しぶりに帰って来た」と思ったに違いない。
私は思わず瞼が熱くなった。
実はそれ以来、猫を見ると弟の愛猫のことを想う。
昨年暮れ、少し早めの3回忌法要にも弟宅を訪れたが、この日はもうネコちゃんは出てこなかった。
弟の奥さんとは時折電話などをするが、私はもうネコちゃんのことは何も聞かないことにしている。弟のことが想い出されて涙が溢れてくるから・・・。

いつだったか知人が私との会話の中で「やるせないですね。」と言った。
本当にそうである。

身近な人を喪うことは本当に「遣る瀬無い」悲しみである。
恥ずかしながら私もカウンセラーの端くれ。嘗て何度か「悲嘆カウンセリング」(grief counseling)についての講義や研修をさせて頂いたこともある。

また、喪失の悲しみにある人にカウンセリングをし、或いは慰める立場には身をおくことは出来る。
しかし、自分の悲しみは未だ胸中にある。誰にも開示しないでいる。「紺屋の白袴」、「医者の不養生」の類かも知れないが。
いつか、誰かに話したい。聴いてもらいたいと思う。

今日は殊の外冷え込む1日であった。外は粉雪が舞っている。
今宵はこれで。皆さまカゼなど召されませぬように。