1月6日。恥ずかしながら今日は私の誕生日。
今年もまた素敵なお花が届きました。かれこれ20年近くも贈って下さいます。
その方はつい先日、師走も押し詰まっての頃にお母さんを亡くされたばかりなのに。「もう随分長く頂戴致しましたから」と誕生日のお花は固辞致しておりました。
本当に勿体ないことです。有難いことです。まずはお花に、贈り主の御心に手を合わせて愛でさせて頂きました。
また、ケータイメールにもオメデトウメッセージやお花、ケーキが。これは食べられないですがね。(w)
閑話休題
諸人よ思い知れかし己が身の 誕生の日は母苦難の日
故・高田好胤師のお話や著書の中でよく引かれておられた歌です。詠み人知らずということですが、私も法話や講演などで使わせて頂いております。
現在私は母を老々介護の身ですが、今日はこの歌をひとり声に出してみました。
親にはさんざん世話になり、苦労をかけながらも、なかなかその恩に報いることは出来ない私です。罪業深重とは私のためにある言葉かも知れません。
行基菩薩は
山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
と歌います。
父母(ちちはは)のしきりに恋し雉の声
は芭蕉の句です。
私も父を早く亡くしているので、感情移入することしきりです。
古来、親との死別から仏門に入る機縁となることがあります。高僧・名僧と呼ばれる方々にもとても多くあります。元はと言えば私の仏縁もそうではありましたが、煩悩熾盛の凡夫極まりない自身を恥じ入るばかりです。ままならぬ母の介護にもそのようなことを思い直しているこの頃です。
夕方、三女と孫達がやってきました。前もって注文しておいたというケーキをテーブルに置いてハッピーバースデーを歌ってくれました。これまた有難いことでした。
今宵はこれにて。