震央に咲ける紫陽花色褪せて
あれからもう70年に。今更ながら光陰矢の如しを、しみじみと思う1日でした。
6月28日の地元紙は1面トップに、昭和23年の福井震災記念日の記事でした。紙面にもありますが震源地は我が坂井市丸岡町と言われています。この碑は私の家から車で数分の所にあります。そんなに昔からあったという記憶はないのですが。
ここから眺める風景は昔日のままです。幼き頃、この辺りまでよく遊びに来ました。一面のレンゲ畑が瞼に浮かびます。レンゲソウは肥料になるので、お米の収穫の後に種を蒔くのです。
(6月28日曇り)
早苗揺る小径辿れば幼き日 逝きし友垣 瞼に浮かぶ
白崎先生は中学時代の恩師です。
今年の大雪も丸岡町がニュースになりましたが、あの地震の被災も当地が大変だったのです。
戦災や諸々の天災に遭いながらも、愚痴や不平はもほどほどにして、また今日の日を懸命に生きていく、やはりそれはお念仏が土台にあるからかもしれませんね。
福井震災記念日の話題でした。お陰様で元気に暮らしておりますので。それではまた。
あれからもう70年に。今更ながら光陰矢の如しを、しみじみと思う1日でした。
6月28日の地元紙は1面トップに、昭和23年の福井震災記念日の記事でした。紙面にもありますが震源地は我が坂井市丸岡町と言われています。この碑は私の家から車で数分の所にあります。そんなに昔からあったという記憶はないのですが。
ここから眺める風景は昔日のままです。幼き頃、この辺りまでよく遊びに来ました。一面のレンゲ畑が瞼に浮かびます。レンゲソウは肥料になるので、お米の収穫の後に種を蒔くのです。
(6月28日曇り)
早苗揺る小径辿れば幼き日 逝きし友垣 瞼に浮かぶ
白崎先生は中学時代の恩師です。
今年の大雪も丸岡町がニュースになりましたが、あの地震の被災も当地が大変だったのです。
戦災や諸々の天災に遭いながらも、愚痴や不平はもほどほどにして、また今日の日を懸命に生きていく、やはりそれはお念仏が土台にあるからかもしれませんね。
福井震災記念日の話題でした。お陰様で元気に暮らしておりますので。それではまた。