「治してから、次につなげようよ」
これは、前々回の、名古屋市・名古屋市発達障害者支援センター主催の発達障害講演会で、北海道石狩市の入所施設所長が発した言葉です。
そこは、主に知的障害を伴う自閉症により強度行動障害があらわれ、地域にいられなくなった人の来るところ。
普通の入所施設は「親亡き後」の「終の棲家」(なんたらエルデの会さんが、大卒者の方々に対してそのフレーズ使っていますが。)。
北海道石狩市の入所施設は期間限定。基本は3年以内に生活訓練して、地域のグループホームに住めるようにする。計画相談支援と個別支援樹計画がそこのキモで、本人のニーズと達成度に合わせて半年に一回なんて言わないで何回でも見直し変える。全職員が個別支援計画内容を把握していて、評価している、というものすごいシステムを現に行っている地域の話。
「治してから。次につなげないと、支援者は自信を失いますよ。だから、治してから、次につなげるようにしましょう。」
と、畳みかけるようにおっしゃりました。
自分もそんな支援がしたいなあと思いつつも、プロとしての私は、それとはかなり遠い理念のところで仕事をしているなあと。自分の人生を歩んでいないなあと思っています。
私は自分を救っているけれど、その自分を助けている自信を他人の支援になかなか繋げられないでいます。そこには「組織の論理」というものがあります。それを突破するには自分の職場で天下を取るか独立するしかないと思っています。
つい最近終わった前回の名古屋市発達障害講演会は、なんたらエルデの会のえらい大学教授が出て見えて、・・・。
多分、前々回の講演会で豊田市ナカポツの理事長やら石狩市施設長やらから就労と地域生活を前提とする明すぎる話をさんざん聞かされて、協賛するなんたらエルデさんやなんたら協会さんから苦情がたくさん寄せられたのだろうと。豊田市ナカポツ理事長からもたらされたデータ(知的障害者就労の半分が自閉症の人。毎年数百人の重度知的障碍者が一般企業就労しているというデータの数々。)が太陽のように明るくて、まぶしすぎて嫌だった人もたくさんいたのだなあと。
前前前回は、広汎性発達障害当事者で前科17犯、現在グループホーム管理者で介護福祉士・NPO理事長という方(固有名詞、わかる人はすぐ出るでしょうね)が、何とMCが治療目標が「家事をする引きこもり」であると公文書で明らかにされた「ひげの医師」某県発達障害者支援センター長、というシチュエーションで公演されました。(「家事をする引きこもり」が治療目標ということへのコメント、面白かったですよ。いつもらな絶望を声高に主張するあの方も、前科17犯のいかにも怖いお兄さんには何を言われても何も言えなかったですねえ)
名古屋市発達障害者支援センターはそれを忖度したのだろうと思います。前々回も前前前回もすばらしい話だったけれど、お客さん少なかったなと。それに比べれば、最近終わった後援会は、発達ギョーカイが関係者を動員できて拍手喝采でした。700人くらいは来ていたかなあと。治っているのを見せると、なんたらエルデさんやなんたら協会さんの関係者の心証が悪いのだなあと。
大人の事情で仕方がないと思います。ああやっぱり、なんたらエルデさんが右に行けば自分は左に行かなければいけないのだなあと。
石狩の施設長や豊田市社会福祉事業団理事長や非行更生の理事長は、治しているから、しっかり支援できている感をお持ちだから、言葉に覇気があるように感じました。
某県発達障害者支援センターのセンター長先生は、ご自分でもネットで公言されていますが、できることは極めて、極めて限られている。とのこと。これまた本当のことでしょう。
僕は、治す支援者でいたいし、自分自身も治っていたい。(自分の生得的特徴がなくなることではなく、自分らしく自由に生きていける。という意味で。)
発達凸凹は治らなくても病気でない体にはなれる。ましてや、「家事をする引きこもり」を目指す必要もなく医療福祉の「固定資産」である必要もない。自分はすでに自由を得たり。神様に感謝。