「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

発達障害とされても「治る」ことを信じる

2018-11-05 20:47:38 | 当事者研究

発達障害に「治る」はあると思う。

医学的に何をもって発達障害とするかという厳密な定義はない。

そして確かに、何をもって「治ったか」という定義もない。

間違いないことは、最新のアメリカ由来の診断基準であるDSM-Ⅴにより、精神科医の前に座った人すべてに精神病名がつくということ。なにせ精神病が1300近くもあるのだから。

自分は十代のころに不登校になったが、「治った」としか言いようのない状況で社会人になった。東京シューレの代表の仰せの通り「社会が治らないといけない」のだけれども。ますます社会は悪くなるばかり。だから社会が治ることは期待しないで自分を治すことを模索するのも一つの生き方だと、自分は自分の人生を通して主張している。

いわゆる発達障害とされる人でも、例えばよくいわれるイチロー選手のような、社会的に成功していたり、自分の好きな仕事や活動を存分にして、医療なんて必要のない人も、いくらでもいる。必要がない限り、確定診断も障害認定もいらない。自分のように必要に迫られた人間のみが、診断やら医療やらを受ければいい。

自分の状況は今、あまり芳しくないけれど、最善を尽くせば必ず道は開けると信じている。近所の中京大某教授は、社会の味を知っている当事者が自信を持って治る期待を持つことを、とても嫌っているけれど、そういえば某教授の上司にあたる杉山浜松医大特任教授は最近「発達障害」が「治る」という日本語を文章に出していることを思い出した。

人それぞれだけれど、私はたとえ自分の県の発達障害者支援センター長の治療目標が「家事をする引きこもり」であるいわれても、福祉職から「発達障害の人が仕事をするなんて、絶対にない。」と断言されても、そんな事実に反する根拠のない決めつけは信じない。無気力な支援を自分は真に受けないで、常に希望と信念を抱いて今日と明日を生きよう。

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