まず、この本の前書きの冒頭部分がネットでそのまま公開されていたので、そのまま引用し味わってみます。
“老齢になったボクは週二日の診療で、一日四十~五十人の外来を診ています。その中の三分の一は発達障害を基盤にした患者さんです。多くは本人自身ならびに家族の無理解さらには人生での傷つき体験から、「生来の脳の発達凸凹を無視しての活動負荷、によって二次障害を受けている」人々です。さらに加えて、「専門家による不適切な向精神薬治療、によって三次障害を蒙っている」人もあります。発達障害の根本的治療法はまだありませんが、「脳は常に発達し続けている」が頼りです。その脳自身の発育努力を援助し妨げないことが、わたしたちの正しい方針だと思っています。その考えで毎日の診療をしています。 『発想の航跡』の読者はおもに専門家ですし、本の厚さも値段も一般向けでありません。そこで「発達障害」に関する部分を別冊とし、当事者や家族の方々向けの本に纏めてみました。纏めるにあたって、ボクの現時点での診療の実際と考え方について、「現時点でのボクの『発達障害』診療」と題しての書き下ろしを、この別冊の第一章として添えることにしました。 発達障害の増加に伴い、関連の出版物が洪水のように溢れています。ほとんどは「外の視点」から書かれたものです。ごく少数ですが、当事者の「内の視点」から書かれた体験記があります。それを是非お読み下さい。発達障害は各人各様ですから、体験も各様です。ただ一点だけ共通するのは、外からの「理解」と内からの「体験」の食い違いの酷さです。何の苦しみでも「病んでいる・つらい体験」は他人にはわからないのが当然ですが。発達障害では他のすべての「病い」と比較して群を抜いています。体験の豊かさや細やかさや複雑さ、とコミュニケーション機能の未発達の組み合わせが生み出した結末なのでしょう。体験記を読まれることで、外からの「理解・判定」は実はとんでもない「誤解」であり、専門家が良かれと思って行う援助や助言で当人も家族も却って苦しむ結果になり、「二次・三次障害」を増やしているのかもしれないと、「立ち止り省みる」余裕が生まれますと、そこから新しい道が開けます。一言でいうと専門家が知識を盛り込んで書いている解説書(ほとんどの書籍)は当事者(本人と家族と援助者)にとって益が少なく害が大きいです。”〈神田橋2018〉
私の現在の状況も、私自身への無理解と人生の傷つき体験により「生来の脳の発達凸凹を無視しての活動負荷」が原因だと思っています。なので真剣に養生に努めています。
この本を読み、自分の人生と突き合わせて考えたのは、自分がいかに大変な人生を歩んできたことかということです。発達障害とされていない方にとっては私や発達障害とされる人たちの人生は実に苦痛に満ちたものに映る、と考える人もいるのです。
この本で発達障害の人たちの頑張りがよく書かれています。神田橋先生が述べられるように、私たちは前進し続け、発達の努力を絶えずし続ける存在です。
その発達しようとする努力を妨げないことが、支援者の正しい方針であると神田橋先生は述べられます。まったくその通りだと思い、支援者としての自分は自分に対してもかくありたいと思います。
数ある「発達本」が当事者目線では非常に違和感があることも、神田橋先生は見事に論破して下さりました。
この本は第一章に、2018年現在の神田橋先生の考える発達障害の原因と治療の進め方が書かれています。発達障害の原因は環境汚染が原因と考えられ、だからこそ治療の可能性があることを書かれています。今お勧めするサプリメントと気功、推薦される本、それから「進化の体操」という栗本先生のコンディショニングに刺激されて創作されたことも書かれています。
2章以降は21世紀に入ってからの神田橋先生の発達障害に関する著作をそのまま掲載した内容となっています。医師向けに書かれていて難しい内容です。先生の考えもその時々によって変化があることが読み取れます。神田橋先生の患者を「治す」ことへのあくなき執念がうかがえます。
支援者とはまさにかくあるべきです。その人が「治る」ことを支援し妨げないことが第一であり、すべてなのかもしれません。
※引用文献
神田橋條治 2018 発達障害をめぐって 発想の航跡 別冊 岩崎学術出版社 まえがき