「生涯引きこもり」と宣言された私の、超豪華オプション生活

 登校拒否となり、生涯ひきこもりであろうと決めつけられて四半世紀。社会人として生きる記録。#発達障害 #自閉症 #ニート

杉山登志郎先生の言う発達障害が治る。治らない。そんなのどうでもいいや

2019-07-14 00:16:59 | 当事者研究

 

 

今日もまた、杉山登志郎先生にまつわる話がツイッターで回ってきました。

いちいち画像とかリンクとか貼りませんが、アスペ・エルデの会の公報で、中京大学の辻井教授の文章と思われる文面で、杉山先生のトラウマケアに関する講演会を、アスペ・エルデさんとしては異例の「公開講座」の形で開くということ。会員以外は料金+「発達障害は治らない」というアスペ・エルデの会の立場であるという「誓約?」が必要。とかなんとか。

杉山先生のトラウマケアなんて、たくさん本が出ていますし、ましてや「発達障害は絶対に治らない」という宣言をしなくてはいけない、ということなので、これはもう絶対に参加できないなあと。

私は発達障害は環境汚染の影響が大きい。という黒田先生夫妻の仮設に立っています。また先日、榊原・お茶の水大名誉教授の「発達障害は治る可能性」言説を紹介したばかりです。

なので、治す具体的方法は今のところ分からないけれど、理論的「治る」を否定しません。

「発達障害は治りません」と宣言する人は周りにも大勢いるし、それはその方の生き方と受け止めています。議論を仕掛けられない限り、その方の言説を否定はしません。その方はその方の人生を歩まれればいいと思います。

私は何を治ったというか知らないし、発達障害を治すと公言する出版社とも距離を置いているけれど、発達障害は治らないという宣言は絶対にしないです。その時々の状況で一進一退を繰り返す自分の人生のリアリティを生きるだけです。

私は発達障害は治らないと確信する。という誓約・宣誓は致しかねます。私の信教の自由と良心の自由に反することです。絶望と二級市民扱いには抵抗・抗戦するだけです。自分の尊厳をおびやかす存在に対して戦うことは、れいわ新選組で立ち上がったふたりの重度身体障碍者に見習っていることです。彼らのように立ち上がり、主張し、戦うだけです。

それにしても杉山先生は過去、本で何冊も何度も「発達障害は‥治る‥」という文面を残しています。辻井教授は「発達障害は治る」とは杉山先生から一言も聞いたことがないと文章で流布しましたが、さすがに著書に書かれていることは否定まではできず、「誤解を招く表現は増刷時に削除」と、まるで杉山先生の言説を支配しているようにも受け止められるような記述までされていました。

杉山先生は「治る」を追求して福井大学にまで行ったと思ったのですが。コアでクローズな集まりでは「治らない」と言っておられる。

どっちでもいいや。

なにせこの国の最高指導者は、「沖縄に寄り添う」と公式発言しながら美しい辺野古の浜に普天間基地の代替にはならない(なぜなららば、辺野古で作られる滑走路では大型輸送機の離発着不可能。海沿いで警備困難。軟弱地盤、など〉工事を、全国から警察力の応援と諜報機関による情報活動を動員してまで継続する。

「弱者にやさしい政治」といいながら、消費税を増税する。その消費税は「社会保障に充てる」と言いながら、現実的には「法人税大減税などの補填」と「戦闘機・迎撃ミサイル購入費用」に充てられる。

この国の政権指導者は6年前、確かに「TPP反対」と大々的に公約した。それは選挙後あっさり覆された。

この国の統計は役人が官邸に忖度する形で改ざんされていて、もはや中国や旧ソ連のようなもの。

この国の報道はもはや、中国中央電視台。朝鮮中央通信に等しく、独裁政党の広報宣伝機関。公平性も客観性もない。あるのはただ「上意への忖度」のみ。

こんな事実と真逆の言葉がが大手を振ってまかり通る国だ。約束も言質もへもくそもない。

その場でその場にいる人たちの空気を読んで、その場の人たちが気持ちよくなるような言葉を根拠もなくする気もないことを適当に言えばいいのだ。

うそを平気でつく方には、もはや何もない。なにせ公言されていることと反対のことが公然と行われるのだから。

約束もなにもない。発達障害が治ろうが治らならなかろうが、もはやどちらでもいい。

大事なのは日々の暮らし。それだけ。

 

 

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