゛自閉症は泥棒です。わが子を、希望を、夢を奪っていく。"
(クリスティン・バーネット著「ぼくは数式で宇宙の美しさを伝えたい」角川書店 より引用)
その本では、こんなことも語られています。
"なぜみんな、この子たちができないことにばかり焦点を当てるのだろう?なぜできることにもっと注目しないのだろう?"
じつにその通り。大きな疑問です。
私も、希望的なことはあまり教わらず、できないことにのみ関心を持つように大学で教わり、職場で「できないこと」のみに焦点を当てる実践を命じられるまま、行ってきました。
自閉症診断は事実上の絶望宣告です。現実に、多くの人がこの本で語られているバーネット少年が多くの専門家・セラピストから言われたように「一生言葉をしゃべらない。靴のひもも結べない。」のです。
そして、専門家・セラピストの関心は、その人の「できること」には関心がなく、ひたすら「できないこと」の矯正に、その関心は集中するのです。
エジソン、アインシュタイン、ジョブズ、スピルバーグのような「例外」も数多くあり、現役の大学教授や会社経営者の自閉症者も何人も自ら名乗り出ているのですが、専門家や専門教育はそれら「例外」は完全無視で、社会的成功例から教訓として学ぶことはこれまでもありませんでしたし、これからも無関心だと思います。
アカデミック系の専門家が関心を持っているのは専ら、自分の論文だと感じています。自分の学派や学会(たとえば応用行動分析学会、など〉の正当性を強める研究や実践には、きめわて熱心です。クリイエントはモルモット。モルモットはデータ取りと仮説の証明が目的。
クライエントの将来のことなんて、応用行動分析をさせられていたころは「将来を考える」というカテゴリーの回路はありませんでした。ただひたすら職員側が勝手に設定した「標的行動」の達成や「問題行動」の消去にのみ、職員集団の関心は集中していました。
大きな反省です。これではだめです。
その人の「できること」という資源に関心を向け、「できること」が突破口になると私も今は信じているので、それを現場で行っていきたいと思います。