今日は、放課後等デイサービスの職員間で何が語られていたかを振り返りたい。
まず、社長の言葉。当然ながら、経営に関することが多かったが、障害理解は乏しかった。
その社長は、異業種からの参入者。よくオンラインセミナーに参加していたが、もっぱら他業種展開やサービス費に関する研修ばかりだった。
「障害のことは良く分からない。」「書類見ても、よく分からない」「老人もやりたい。もっと事業拡大したい」的な言葉が多かった。
「私、素人だから」、という社長の発言を当初、私は好意的に見てきた。
しかし、その組織は社長以上のことはできない。よほどわきまえていない限り、劉備玄徳のような人でない限り、ダメなのだ。
「子供に特化した研修がない。集団を統率する研修がない」。これを聞いたとき、この人はダメだと思った。障害理解を深めたり、介護技法を考えたりする職員向けの無料研修は、社協が大々的にやっている。そして幾つかの機関は、子供に特化したセミナーを有料でやっている。そして「集団の統率」というはいわば、その組織の価値観やあり方に関するもの。「暗黙知」に関することだから、研修で得られるものではない。
もちろん「いかにリーダーシップを発揮すべきか」的なことは、いろいろなセミナーが有料で実施されている。
要するに、金を払ってノウハウを取得する気持がない。そして、その組織のカルチャーに関することの研修がないことに嘆いている。
さすがは騒いでいる子供たちに対して面と向かって「動物だな」という言葉を発することのできる社長だと。いまさらながら思った。
この組織では、特定の社員を攻撃する風潮があった。入社当初は私の教育係への誹謗中傷が毎日のようにあった。
そしてその教育係はまもなく退職した。彼の行動にも問題があり、小さな組織だったから、その時はやむを得ないと思った。
しかし先輩たちの言動に不審なものがあり、運行記録などをよくよく調べてみると、なんと固定メンバーを除き3か月に一度は職員が交代していたことが判明した。
要するに、社長を含めて固定メンバーが誰かを集中的にいじめることで、組織としてのまとまりを取り事ができていたとも考えられた。
障害者雇用で入社した私が、どうやら暗黙のサインを理解できず、いちいち具体的に説明しないといけない〈選考時、すでに「具体的指示が必要」ということを応募書類で明記していたが〉ことに嫌気がさしたようで、次の社員確保のめどが立ったところで切ってきた。
私は障害ゆえにパワハラ発言に耐えられず再発した。多少薬が効きすぎたとは思っただろうが、放出が既定路線だったから、彼らにとってはそういうものなのだろう。そしてもちろん、今は私を罵りあざけることが、彼らの「話の肴」「組織のカスガイ」になっているのだと思う。
社員に対してそうだから、利用者に対してもそうだった。金になるかならないか。思い通りになるかならないか。しかも説得無しに。ということがすべてだった。先輩たちの話からは、そう読み取れた。だから、ややこしい子供は切られていた。子供を切る方策がよく話し合われていた。会社上層部間での会話では。
とはいえ、放課後等デイサービスなんてたくさんあるから、嫌われたところを続ける必要はなく、適切なところを選べばいいのだと思う。
あくまでも無料または低額で軽度の障害を持つ子供を預ける場であり、それ以上の機能はないのではないかと思う。教育能力は非常に乏しく、それを向上させようとする気持ちも乏しいことだったのだと思う。
離婚する前は、妻の子を利用させる立場だった。放課後等デイサービスは、人がころころ変わる。いい人が辞めていく。辞めさせられる。理不尽な理由で利用停止になる。夢があるはずなのに、いろいろ体験をさせてもらえるはずなのに。という思いがあった。
自分が勤務してみていろいろ分かった。放課後等デイサービスに意味がないわけではないが、「自分で安全を計れない人を預かってもらう場」以上の機能が果たせない。ところが多いのではないかと思う。いろいろあるから試してみてもいいと思うが、この実態では行政が削減しようと画策している傾向も、納得できてしまう。