福祉は知的障害のない発達障害にかかわるべきではない
自分は以前から、福祉は介護福祉に特化し、介護保険の要介護2レベル(歩行器を使用しての歩行)未満の人は使うべきではないという主張をしてきた。
なぜならば、福祉のノウハウに介護予防や就労支援に関する知見は極めて乏しくいい加減なレベルでしかないという実態を自分は知っているからである。要介護2の人に対してさえ、そこから脱出したい人は多くの期待をするべきではない。リハビリは医療、またはその他の民間で、である。福祉ができる事はせいぜい環境を整えてADLを向上させることである。(それさえ相当困難だが)
幸いなことに愛知県方面の発達障害者支援センターは、医療機関の受け入れアンケート公表や具体性のない電話相談、少しばかりの啓発活動にとどまっている。(名古屋市のはそれに加え、具体的な「つなぎ」調整を行っている)。近寄らなければ人畜無害でそもそも近寄りたい資源もない。
名古屋市の発達障害者支援センターがつなぐのは、複数のこてこての老舗福祉法人。希望者は事実上無能者扱いすると宣言され、知的障碍者のようにふるまうことを求めるとも取れる発言を施設側に初回からされ、そこまでして福祉を利用したくはない発達障害の人たちが離れていくようにしている。なるほど、長期にわたり文句を言わないで支援されることを希望する人のみを支援するというわけだ。だから名古屋の発達障害者カフェに客としてくるレベルの人もB型の利用者として来る人も、「支援センターなんで相談支援なんて何の役にも立たない」と口にするのだ。
当然ながら法人は法人利益のために仕事をする。職員は自分の稼ぎのために仕事をする。利用者はサービスを利用したいから利用する。その関係が良好であれば問題ない。利用者の望むサービスが提供されるサービスと異なるのであれば事業者を変えればいいだけなのだが、なかなかそういうエネルギーのある人はそもそも初めから福祉なんかなかなか利用しない。利用しても事業者の裏〈真意〉を読みながら、自分が不利益を被らないように(囲い込まれないように)利用している。力を持て余す人たちに「障害者らしく振舞う」ことを環境調整で促す。利用者と事業者の力関係を勘案すると、利用者にとっては事実上拒否できない強制として「障害者らしく振舞う」ことをされる。あってはならないが、自分も目の前で見ている光景だ。
名古屋方面の知的障害のない発達障害の人たちへのサービスは、極めて限られている。アスペエルデさんも自閉症協会さんも幼少期から関わっている人しか相手にしない。そして自前の福祉資源を作ろうとしない。支援センターにつらなる老舗法人さんたちは「介護レベルの人と同じようにできる人」しか相手にしない。法律に反しないように一回だけ話を聞いて「支援した実績」を残したうえで「うちは障害の重い人しか支援しない」と門前払いする支援センターもある。
それでいいのだと。名古屋方面の法人はきっぱりしていて無理強いをしないことで結果的に事故を防いでいると今日、神奈川方面の実態を知って心からそう思った。
神奈川方面では知的障害者介護福祉系法人が発達障害者支援センターを委託されている。愛知県方面のように地方自治体が発達障害者支援センターをやるとやる気がないが、法人が委託させると当然ながら、センターの職員は法人の利益のためにセンターを最大活用することになる。福祉はチャリティーではない。霞を食って生きていけるわけではない。利益の出せない事業は倒産するしかない。解雇されるしかない。生き残りたければ利益を出す。資本主義社会の当然のルールである
自分なら囲い込もうとするそぶりを少しでも見せられたら全力で逃げる。追跡されるのなら弁護士を雇い訴訟を提起する。介護福祉は保護してもらいたい人が利用すればいい。稼ぎたい人、自己実現したい人は、介護福祉ではなくそれを標榜するところに自ら行くことだ。介護福祉系が一般就労にかかることまで委託した。日本最高の支援の結果、経済評論家の息子のように、知的障害のない人が最重度の知的障害者でも最も大変な人たちと同じ状態まで行ったのだろうか。発達障害の神奈川県民は発達障害をもって生まれた不幸だけではなく「その県に生まれたることの不幸」があるのだろうか。