しばた歴史観光ガイドの会で船岡城址公園およびその周辺で歴史ガイドを行っています。
山頂や二の丸、三の丸、樅ノ木展望を案内していますが、少し時間がある場合等に
備えて、新規に開拓した歴史的遺産として「柴田家の御霊屋(御廟所)」が古地図に
載っています。
柴田町史によると『柴田氏第5代外記朝意夫妻とその嗣子(第6代)但馬宗意夫妻の遺骨
はいずれも火葬され、館山沼ノ入にあった廟に祀られていた。』とある。
維新当時之舩岡家中地図:舩岡館の南の内沼の畔に「御廟」とある
内沼は明治維新後、埋め立てられ水田となり、現在はしばたの郷土館前の駐車場となっている。
駐車場奥の木立に小規模ながら石垣があり、これが御廟と思っていました。
その後、地元の人から違うのではとの連絡があり、知っている方の案内で再調査したところ、
規模等からも御廟と思われる地域を特定できた。
明治維新後、この御廟は柴田家の菩提寺の大光寺に改葬されたという。
100年以上も経過していて、雑木が生い茂り規模が確認できない。
細い雑木を伐採し、御廟を確定したいと思っているところです。
なお、小規模な石垣は奥に石切り場があり、そのための作業小屋とのことでした。
山頂や二の丸、三の丸、樅ノ木展望を案内していますが、少し時間がある場合等に
備えて、新規に開拓した歴史的遺産として「柴田家の御霊屋(御廟所)」が古地図に
載っています。
柴田町史によると『柴田氏第5代外記朝意夫妻とその嗣子(第6代)但馬宗意夫妻の遺骨
はいずれも火葬され、館山沼ノ入にあった廟に祀られていた。』とある。
維新当時之舩岡家中地図:舩岡館の南の内沼の畔に「御廟」とある
内沼は明治維新後、埋め立てられ水田となり、現在はしばたの郷土館前の駐車場となっている。
駐車場奥の木立に小規模ながら石垣があり、これが御廟と思っていました。
その後、地元の人から違うのではとの連絡があり、知っている方の案内で再調査したところ、
規模等からも御廟と思われる地域を特定できた。
明治維新後、この御廟は柴田家の菩提寺の大光寺に改葬されたという。
100年以上も経過していて、雑木が生い茂り規模が確認できない。
細い雑木を伐採し、御廟を確定したいと思っているところです。
なお、小規模な石垣は奥に石切り場があり、そのための作業小屋とのことでした。