本年(2010年)2月21日まで東京国立博物館で開催される国宝土偶展、会場は盛況とのこと、企画した方々に歓び申し上げます。
私も昨年末に訪問して土偶の神髄に圧倒された一人でした。数ある逸品のなかから祈る土偶(国宝合掌土偶)は謎であるとの雑感文を先にブログしました。(09年12月17日ブログ)。その謎とは修理の痕がある、(墓に捨てられたでなく)居住空間、宅内の奥に置かれていた(これは発掘の八戸市教育委員会HPから借用)でした。土偶らしからぬ発掘状況、この謎解きを正月はじめから考えてようやく纏まってきた。解明にあたり梅原猛博士の3500年前と我々は繋がっているとの一文に勇気つけられました(1月2日のブログ)。謎解きにもう一つの国宝「中空土偶」についての省察から始めます。
会場での知識で中空土偶とは名の如く身体が中空になっている。このように形成するのは大変難しく、焼成にも高温が必要とのことでした。技法として高度化したとの説明があります。しかし高度技術は結果であります。原因には「世界観、精神として高揚した背景」あるのではと疑りました。
技法とは目的や使用法を反映しているだけで、それまでの土塊の土偶は当時(縄文後期)の精神、目的にそぐわない何かが合ったのだと考えます。国宝中空土偶は均一に中空にしているのでなく、壊れやすい箇所を設定している。これは函館市立病院でのCT検査で中空内部の構造が見えたことから判明しました。そして会場での説明は「あえて破壊しやすく作製した」とありました(この辺りはメモ取らなかったので要再チェックですが)。
「あえて壊れやすい」に驚きました。さらに深い理由があるはずと部族民(トライブスマン)精神を巡らせました。すると別の背景が浮かんできた。それは縄文人の「人間観察の進歩」です、「医学知識の発達」でも良い。
ようやく3500年前にして縄文人に「人とは弱いものだ、ちょっとした怪我病気で死んでしまう」との世界観が芽生えた。言わば無常感、死生観の反映が人形(ひとかた)を中空に作製し、脆弱な部分をあえて残す。そして「人は多く怪我(病気)で死ぬ、だから脚腕(あるいはお腹など)を弱くする」と死因を土偶に託した。死生感の発達を受け入れた土偶が結果として壊れやすく作製された。技術は後追いと考えました。
そこまでが中空土偶の分析。本論の合掌土偶の謎の解析にようやく辿り着けそうですが、ここまで到達したらあとは一直線ですね。前述の「補修の痕、居住空間の奥に置かれていた」とあれば信仰の対象です。今でも宅内に神棚仏壇、聖人の絵画彫像などを置き、それに祈る習慣は多く家庭であります。信仰の対象は、出入りの煩瑣な玄関横にはありません。祈り、信仰は個人精神に属する、やはり宅内の奥まった一角に置くでしょう。補修した痕とは怪我、病気で重篤になった家族の代替に土偶を疾病を破壊し(穢れの祓え)、その後に補修する。怪我で死にそうな縄文夫に妻が「お父さんの穢れを受けた土偶が直ったわよ、あなたも直ります、しっかりしてね」(類感の呪術)と勇気づける。そして奥まった所に修繕した土偶を鎮座させて祈る。これが合掌土偶の真実かもしれません。このように考えれば発掘状況も補修痕跡も説明できる。以上あくまで推察ですが、梅原博士の縄文と現代の繋がりに勇気うけて、現代の部族民感覚での分析でした
土偶は1万3000年にわたり作製されてきた。中空土偶、合掌土偶はその最晩年の3500年前の。その当時ですでに1万年の歴史を受け継いでいる。1万年の進歩の行き着く頂点に合掌土偶があった。それは縄文人の信仰、世界観を集大成したものに他なりません。
祈るとは世界あらゆる人種、部族に共通した人の本性です。3500年前の土偶の祈りにはさらに類感の呪術(類似したものは影響しあう=12月17日ブログをご参照)=フレーザー卿の金枝篇から拝借=、日本神道の原点の「穢れと祓え」があったのだ。まさに縄文は今の世に繋がるです。
独り言:類感呪術など非科学的、原始的とお思いの方が多いが、そんなことはない今の世にも類感は流行っています。たとえば血液型の世界観、これは血液型が同類であれば同種の思考、行動を起こす。まさにフレーザー卿の言う類感呪術ですね。
部族民通信ホームページにも宜しくご訪問お願いします(左ブックマークをクリック、部族民信仰の小説です)
私も昨年末に訪問して土偶の神髄に圧倒された一人でした。数ある逸品のなかから祈る土偶(国宝合掌土偶)は謎であるとの雑感文を先にブログしました。(09年12月17日ブログ)。その謎とは修理の痕がある、(墓に捨てられたでなく)居住空間、宅内の奥に置かれていた(これは発掘の八戸市教育委員会HPから借用)でした。土偶らしからぬ発掘状況、この謎解きを正月はじめから考えてようやく纏まってきた。解明にあたり梅原猛博士の3500年前と我々は繋がっているとの一文に勇気つけられました(1月2日のブログ)。謎解きにもう一つの国宝「中空土偶」についての省察から始めます。
会場での知識で中空土偶とは名の如く身体が中空になっている。このように形成するのは大変難しく、焼成にも高温が必要とのことでした。技法として高度化したとの説明があります。しかし高度技術は結果であります。原因には「世界観、精神として高揚した背景」あるのではと疑りました。
技法とは目的や使用法を反映しているだけで、それまでの土塊の土偶は当時(縄文後期)の精神、目的にそぐわない何かが合ったのだと考えます。国宝中空土偶は均一に中空にしているのでなく、壊れやすい箇所を設定している。これは函館市立病院でのCT検査で中空内部の構造が見えたことから判明しました。そして会場での説明は「あえて破壊しやすく作製した」とありました(この辺りはメモ取らなかったので要再チェックですが)。
「あえて壊れやすい」に驚きました。さらに深い理由があるはずと部族民(トライブスマン)精神を巡らせました。すると別の背景が浮かんできた。それは縄文人の「人間観察の進歩」です、「医学知識の発達」でも良い。
ようやく3500年前にして縄文人に「人とは弱いものだ、ちょっとした怪我病気で死んでしまう」との世界観が芽生えた。言わば無常感、死生観の反映が人形(ひとかた)を中空に作製し、脆弱な部分をあえて残す。そして「人は多く怪我(病気)で死ぬ、だから脚腕(あるいはお腹など)を弱くする」と死因を土偶に託した。死生感の発達を受け入れた土偶が結果として壊れやすく作製された。技術は後追いと考えました。
そこまでが中空土偶の分析。本論の合掌土偶の謎の解析にようやく辿り着けそうですが、ここまで到達したらあとは一直線ですね。前述の「補修の痕、居住空間の奥に置かれていた」とあれば信仰の対象です。今でも宅内に神棚仏壇、聖人の絵画彫像などを置き、それに祈る習慣は多く家庭であります。信仰の対象は、出入りの煩瑣な玄関横にはありません。祈り、信仰は個人精神に属する、やはり宅内の奥まった一角に置くでしょう。補修した痕とは怪我、病気で重篤になった家族の代替に土偶を疾病を破壊し(穢れの祓え)、その後に補修する。怪我で死にそうな縄文夫に妻が「お父さんの穢れを受けた土偶が直ったわよ、あなたも直ります、しっかりしてね」(類感の呪術)と勇気づける。そして奥まった所に修繕した土偶を鎮座させて祈る。これが合掌土偶の真実かもしれません。このように考えれば発掘状況も補修痕跡も説明できる。以上あくまで推察ですが、梅原博士の縄文と現代の繋がりに勇気うけて、現代の部族民感覚での分析でした
土偶は1万3000年にわたり作製されてきた。中空土偶、合掌土偶はその最晩年の3500年前の。その当時ですでに1万年の歴史を受け継いでいる。1万年の進歩の行き着く頂点に合掌土偶があった。それは縄文人の信仰、世界観を集大成したものに他なりません。
祈るとは世界あらゆる人種、部族に共通した人の本性です。3500年前の土偶の祈りにはさらに類感の呪術(類似したものは影響しあう=12月17日ブログをご参照)=フレーザー卿の金枝篇から拝借=、日本神道の原点の「穢れと祓え」があったのだ。まさに縄文は今の世に繋がるです。
独り言:類感呪術など非科学的、原始的とお思いの方が多いが、そんなことはない今の世にも類感は流行っています。たとえば血液型の世界観、これは血液型が同類であれば同種の思考、行動を起こす。まさにフレーザー卿の言う類感呪術ですね。
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