今年の正月の話です、このブログにするに遅れたのは理由がありましてその理由と結末も2回に分けてブログ掲載します。
正月の2日の朝方、縁ある方から電話があってちょっとした集まりがあるとのお誘いでした。場所は千葉県船橋市、小宅は多摩地区なので遠方ですがせっかくのお呼び、おっとり刀でジャンパーひっかけ出かけました。
久しぶりの外出です。個人事情で恐縮ですが、私は一昨年9月に勤め先を自主退職して著述三昧の禁欲生活に入りました。以来十六月、机の前と図書館往復の生活にのめり込んでしまいました。人に会う機会がありません、言葉を聞く・話す、会話するというごく普通の活動を実践していませんでした。十六月ぶり外出、久方の街角の光景、全て新鮮で楽しく感じられました。N駅から乗り込んだ帝都線特急の車内は、以前の勝手知った通勤電車と違って明るさが感じられました。乗客には家族連れ、恋人らしきカップル、あどけないが騒がしい小・中学生グループなどで満員。それぞれが正月の外出の喜びではしゃいでいました。
呼ばれた方宅に到着すると集まりはすでに盛り上がっていて、遅れた私には「駆けつけ三杯」が強要されてしまいました。珍しい赤のサンセールを注がれたのですが、下戸なのでグラスの半分も飲めず、これも珍しいバドワに氷りとレモンを浮かせて「薄めのジンロック」のつもりでチビリとやりながらお節と揚げ物をつまみ始めた。
集まりの中でひときわ声の大きな方が、当家の主人私を呼びつけた本人で、元雑誌の編集長、今も都心に事務所をもち出版関係で活動している。実はこの方、というかこの者は私の遠縁にあたり、子供の頃から知っていました。三月前に書きかけの作品を送っているので、その批評を貰おうとの目論見があった。話の盛り上がりの狭間に私の未完成作品に話題が移り、元編集長の批評はさすがというかやっぱりというか辛辣でした。
作品になるにはまず売れないとならない。売れるためには時代の底流となる精神を取り込まなければならない。さらに作者の独自性「彼でなければ書けない」何かが無ければならない、とここまでが前段で私の作品は
「全く商品にはならない。100%作家個人(私)の精神なので共感が得られない、金を払って買いたいと思わしめない」との批評でした。ただ「描写、説明、文章のまとめかた」には問題がないとも言われた。しかしこの賛辞はまあご愛想、取ってつけた印象でしたので、前段部分の辛辣批判をメッセージとして言いたかったようです。その後「時代の底流、時代精神の取り込み方」などの文章技法に入って最後には「Hセンセイを見習え」とのご託宣、小生には「なるほどと唸ってしまう」視点がありました。
この話を横で聞いていた方がこの会話に入ってきて、奇妙な話になりました。
「まあ小説なんてトンカツと絵画の中間にある。楽なもんだ」と。理解できない比喩ですが気になりました。初対面なので失礼にならないように「その理由とは」を尋ねたところ、
「トンカツは丁寧につくれば売れる。店は繁盛する。しかし絵画はどんなに丁寧に描いたところで売れない。今の話を聞いていれば小説をトンカツ並みに丁寧に作り込めば売れるという。しかし絵画は…」でこの後は愚痴混じりの恨み節を聞かされました。
年齢は60を越している風情、白髪勝ちの髪を短く切っているのは職人風。トンカツ屋主人とは仮の姿で野鳥の絵画では「第一人者とは言わないが五本指の一人」と自己紹介されたあと、私が喰っていた目の前のトンカツが旨いのは、正月休みを返上して腕によりをかけて揚げたからだと恩を着せられました。そのあと
「半プロの絵描き集団に属しているが、200人ほどの技巧派で腕自慢でも絵画で喰っているのは一人もいない。絵に近い挿絵、グラフィックなどは2-3人で残りはアルバイトつもりの仮姿、あるいはラーメン餃子、運の良い奴は髪結い亭主で稼いでいる。ともかく絵は売れない」と話でした。画伯の丁寧な作品のトンカツはさすがに上出来、キャベツの千切りはふわりと真綿のように盛り上り、特製ソースの香りには感心しました。このトンカツ作品と彼の描く野鳥作品の間に私の売れない小説が位置するのか。なるほどと感心して、このご説を確認するために、トンカツ画伯の工房におじゃまする話でまとまりました。場所は京成お花茶屋駅の近く(東京葛飾区)。次号はその訪問記をブログします。
元編集長から売れない小説と喝破された小説は左のブックマークから入って下さい。冷たい宇宙はヒット数が絶好調です。
正月の2日の朝方、縁ある方から電話があってちょっとした集まりがあるとのお誘いでした。場所は千葉県船橋市、小宅は多摩地区なので遠方ですがせっかくのお呼び、おっとり刀でジャンパーひっかけ出かけました。
久しぶりの外出です。個人事情で恐縮ですが、私は一昨年9月に勤め先を自主退職して著述三昧の禁欲生活に入りました。以来十六月、机の前と図書館往復の生活にのめり込んでしまいました。人に会う機会がありません、言葉を聞く・話す、会話するというごく普通の活動を実践していませんでした。十六月ぶり外出、久方の街角の光景、全て新鮮で楽しく感じられました。N駅から乗り込んだ帝都線特急の車内は、以前の勝手知った通勤電車と違って明るさが感じられました。乗客には家族連れ、恋人らしきカップル、あどけないが騒がしい小・中学生グループなどで満員。それぞれが正月の外出の喜びではしゃいでいました。
呼ばれた方宅に到着すると集まりはすでに盛り上がっていて、遅れた私には「駆けつけ三杯」が強要されてしまいました。珍しい赤のサンセールを注がれたのですが、下戸なのでグラスの半分も飲めず、これも珍しいバドワに氷りとレモンを浮かせて「薄めのジンロック」のつもりでチビリとやりながらお節と揚げ物をつまみ始めた。
集まりの中でひときわ声の大きな方が、当家の主人私を呼びつけた本人で、元雑誌の編集長、今も都心に事務所をもち出版関係で活動している。実はこの方、というかこの者は私の遠縁にあたり、子供の頃から知っていました。三月前に書きかけの作品を送っているので、その批評を貰おうとの目論見があった。話の盛り上がりの狭間に私の未完成作品に話題が移り、元編集長の批評はさすがというかやっぱりというか辛辣でした。
作品になるにはまず売れないとならない。売れるためには時代の底流となる精神を取り込まなければならない。さらに作者の独自性「彼でなければ書けない」何かが無ければならない、とここまでが前段で私の作品は
「全く商品にはならない。100%作家個人(私)の精神なので共感が得られない、金を払って買いたいと思わしめない」との批評でした。ただ「描写、説明、文章のまとめかた」には問題がないとも言われた。しかしこの賛辞はまあご愛想、取ってつけた印象でしたので、前段部分の辛辣批判をメッセージとして言いたかったようです。その後「時代の底流、時代精神の取り込み方」などの文章技法に入って最後には「Hセンセイを見習え」とのご託宣、小生には「なるほどと唸ってしまう」視点がありました。
この話を横で聞いていた方がこの会話に入ってきて、奇妙な話になりました。
「まあ小説なんてトンカツと絵画の中間にある。楽なもんだ」と。理解できない比喩ですが気になりました。初対面なので失礼にならないように「その理由とは」を尋ねたところ、
「トンカツは丁寧につくれば売れる。店は繁盛する。しかし絵画はどんなに丁寧に描いたところで売れない。今の話を聞いていれば小説をトンカツ並みに丁寧に作り込めば売れるという。しかし絵画は…」でこの後は愚痴混じりの恨み節を聞かされました。
年齢は60を越している風情、白髪勝ちの髪を短く切っているのは職人風。トンカツ屋主人とは仮の姿で野鳥の絵画では「第一人者とは言わないが五本指の一人」と自己紹介されたあと、私が喰っていた目の前のトンカツが旨いのは、正月休みを返上して腕によりをかけて揚げたからだと恩を着せられました。そのあと
「半プロの絵描き集団に属しているが、200人ほどの技巧派で腕自慢でも絵画で喰っているのは一人もいない。絵に近い挿絵、グラフィックなどは2-3人で残りはアルバイトつもりの仮姿、あるいはラーメン餃子、運の良い奴は髪結い亭主で稼いでいる。ともかく絵は売れない」と話でした。画伯の丁寧な作品のトンカツはさすがに上出来、キャベツの千切りはふわりと真綿のように盛り上り、特製ソースの香りには感心しました。このトンカツ作品と彼の描く野鳥作品の間に私の売れない小説が位置するのか。なるほどと感心して、このご説を確認するために、トンカツ画伯の工房におじゃまする話でまとまりました。場所は京成お花茶屋駅の近く(東京葛飾区)。次号はその訪問記をブログします。
元編集長から売れない小説と喝破された小説は左のブックマークから入って下さい。冷たい宇宙はヒット数が絶好調です。