蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

トンカツ画伯訪問記 3

2010年02月05日 | 小説
日暮里で京成電車に乗り換えるとお花茶屋には10分で到着する。トンカツ画伯に再会できるとあって気分も昂揚してきた。トンカツ3角形、水油転換、豚として生きた記憶10%の重みなどを一人ぶつぶつと呟き始めた。隣席に座り合わせたお婆さんのいぶかしげな目付きを無視して「今日はトンカツと絵画の中間点、そこが画伯の言う小説作法なので、この奥義を見極めるのだ」と独り言吐くと、気分もそこそこ落ち着いた。車掌のアナウンスで我に戻り、飛び出るようにホームに降りると藪入りの冷たい季節風にヒューイとあおられた。急行も停まらない駅に降り立ったのは私一人だった。
地図を片手に道程歩いて5分ほど、トラックなど通行の多い道に面して間口が2間、入ってみると奥行きで3間ほどのこじんまりしたトンカツ亭名称をKとします。らっしゃいと威勢の良い声で迎えてくれたのが正月に出会った画伯のアルバイト姿であった。アルバイトとしたが当亭を所有している主人のようだ。あくまで本業は絵画、調理の白衣はかりそめ姿なのでアルバイトとしたわけです。
2時に来れば客もいないとの勧めなので、すこし回った時刻になっているが、席にはビールを片手に競輪の予報新聞に見入っている老人が居残り中、昼間からビールや酎ハイを飲むのは下町の作法と知っていたが、それは焼き鳥かホルモン屋での特例。しかしトンカツ屋でもその奇風が遵守されていたとは知らなかった。きっと下町度が濃厚なのだろう、この辺りは。
居残り客を「気にすることはない」で相席する。老人は「あんたトンカツを食いにきたんだろう、こんな時間で遅いよ。火を上げちゃったからな俺だって喰えねんだ」と食いっぱぐれの恨みをのたまう。
「いや儂はトンカツ喰いじゃない、別の用です」と言っても相手は聞かず「もうガスを止めたって言うんだ旦那さんが。ところで明日の大宮グランプリではヤグチかねテジマも調子いいって」とその後も聞き知らぬ名前を何人もあげた。競輪選手らしい。画伯が「爺ちゃん、競輪なんて流行んねいから、誰も知らないよ」と助けを出してくれた。爺さんは相変わらずビールを片手にまじないの様に名前をあげて「年始めだ、絶対当たるんだ」と力む。
画伯が奥から幾点かの作品を取り出しテーブルに立てかけた。爺さんは「せっかく金だしたアカケイが読めない」とぼやくが「爺さん粘ってもトンカツは終わりだ。これらは俺の作品だ、滅多に出さないから爺さんも見るか」と誘う。
画伯が所属している「野鳥絵画の会」の趣旨そのもので、作品はいずれも鳥を主題にした彩色明るいアクリル。鳥が自然、時には都会を背景にしてその場場景に溶け込みながら飛び、時には枝に休む姿を写実に描いている。画伯は「鳥の姿を見せているだろう」と幾分自慢げな顔つきで、自作の解説に入ってくれた。それによると「鳥が鳥らしく画かれているが、鳥はこの姿を実際には見せない。それが写真と違うところで、鳥らしい虚像を画かないと絵にならない。たとえばこの絵」と持ち上げたのが背景が暗い木立、しかし尾長にはハイライトが当たる。だから尾長が飛んでいるとは良くわかる。「しかしこの光は自然には無い。暗い木陰で飛ぶ鳥は暗いから影になるだけ。鳥の影を画いても絵にならない」と。私は「なるほど、鳥らしくしかし現実ではないとはそのことか」と一人感心してしまった。するとビール呑んでいる爺さんが乗り出してきた。
「競輪だってそうだ、もうマクレないなんてオトナしく後にいるヤツが最後の追い込みで逃げを掴むのが醍醐味さ」「爺さん聞いてるじゃん、今の比喩はましだ。しかし絵と競輪は関係ないから黙って見てくれ」と最後は画伯にたしなめられた。
「この絵だって同じさ、雉が水場に用心深く近づく。その時突然池に波紋がたったその瞬間、雉が驚いた顔している」確かに水面に写る枝が曲がりくねる「しかしこんな波紋はあり得ない。盥に水張って波紋を立てたが、同心に広がるだけ。これは不規則の波紋で自然にはない」とここでも写実の中の虚像を語る。となると写実的に鳥の姿、自然の背景を丁寧に画いてこの作業に90%、そして人の目を欺く光、影、時には水面の波紋、これが10%。それがトンカツ3角形での最重要な水油変換90%に該当するのか。
私は思わず「見えてきたぞ」と呟いてしまった。競輪じいさんが「やっぱりヤグチか」とダメ押しを掛けるがそれを無視して「画伯、これらの絵画全部を売ってください」と口走ってしまった。画伯のご好意により「暗い木陰を飛ぶ明るい尾長」=一部を貼り付けました(続く)
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