(2025年2月18日)感じる蓋然の4回目、最終回となります。モノ世界での否定肯定の活動、そこに普遍をみつけるヒトの悟性。ただし、感じる蓋然を自己に取り込まなければ、悟性はこの普遍を知ることはできない。ヘーゲルは異なる用語「感じる悟性」を持ち出します。こちらを「哲学的」悟性とも語ります。この悟性は実質のみ知る、するとその観察では「否定を受けない」肯定、いうなれば瞬時の実質を見つめる悟性となる。その悟性は、一旦は「豊かな」認識を獲得したが、認識した時点でこの実質は風化している。豊かさが逃げ、貧弱な実質を抱えるーと指摘する。
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Youtube用のサムナイル
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感じる蓋然章の最終文節(本投稿)でヘーゲル指摘の注目すべき箇所について ;
否定・肯定の繰り返しで進展する(1~3の箇条を示す)モノ世界の運動(弁証法)。それぞれの節目でモノが判断し次の行為に乗り出す。すなわちモノは反照し節目を確認し、実行する。ヒト悟性はモノの運動を認識し、それとして受けいれる。「感じる蓋然」は「モノ世界の運動」そのもの(=本章)といえる。
弁証法主体はモノにあるとの主張です。マルクス歴史経済学を予言し、サルトル実存主義の魁を演じた一文を見つけた次第です。
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