蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

予告「イザベラは空を飛んだ」のHP掲載

2010年10月15日 | 小説
久しぶりのブログ投稿です。私(渡来部)は本年初頭からある作品にかかりっきりで、ブログにも時間をさけられませんでした。ようやく完了へのメドがつき、本日ブログ更新になりました。以下はそれまでの経緯です。
  
神の子が現れ十字架に果て、昇天してから2000年が経過しました。しかし空を飛んだ人は報告されていません。
人力飛行機が飛び回りますがバルサ材と薄い合成膜を介してなので、ここでは該当しません。空を飛ぶとはあくまで自力、自身の身体で飛ぶのです。胸を広げ腕を羽ばたいて空を目指し、飛び上がるのです。イカロス神話は別として、人の飛翔は今だに聞いていません。

しかし筆者渡来部は今年(2010年)初頭に、ある噂を耳にしました。空を飛んだ女性がいるのだと。多摩地区(東京の西部)日野市の「A子が空を飛んだ」のだと。そして3月に、その事件をまことしやかに語る少年「タッチン」を探し出すことが出来ました。
彼女の飛行の姿、前後の経緯を彼の口から聞くにつれ、私は「A子はイザベラの生まれ変わりだ」と信じるまでになりました。
タッチンの語りには福音外伝にある「イザベラ、神の子と彼の約束、生まれ変わり転生」の一連の流れが隠されていました。その場に居合わせた他のちびっ子達、もう一人の女性B子、それにイザベラであるA子から聞き取りを終了したのは6月でした。
福音外伝にインスピレーションを受け、彼等の語り口の「隠された流れ」を筋立てにして、一つの物語が完成しつつあります。題して「イザベラは空を飛んだ」

物語の本格紹介を前にイザベラの逸話を紹介します。
外伝ではイザベラと予言者エシュア(神の子のイシュアとも言われる)の会話を伝えています。

城市エルサレムへの最後の旅路を前にしてエシュアは、ロバに乗りガリラヤ門を越すと決めました。ロバを選んだ理由については次のように伝わります。
―徒歩で入城するのは良い選択ではない。門を踏み越える時、柱と柱の狭間、あの挟撃で私は人々と混じりあい、袖や裾もが擦れあうだろう。至近での人との接触は避けなければならない。神の子は人に交わることもあるが、それは教訓を垂れるためだ。
馬に乗りながら門を越せば、人は私を見上げるだろう。しかし私も人を見下ろすのだ。馬の背から人を見下ろすのはローマ人の奢りでしかない。馬も神の子の選択ではない。
ロバは人の歩みと同じ速さで進む、ロバの背に乗れば人の視線の高さをわずかに越えるだけだ。人の速さで進み、同じ高さで見回せる。

出立のまえ、神の子は宿でロバを雇う。
ロバをエシュアの前にまでひき、手綱を渡したのが宿の下働きイザベラである。その時の対話も外伝に残されていた。

イザベラがエシュアに願った、
「神の子様、城市までは50スタディアが残ります。この老ロバのキンタにはきつい遠さです。私を手綱取りとしてお雇いください、私だけがキンタを牽けます」
「イザベラよ、お前を旅に連れてはいけない。我らは神の教えを守るものだ、少女といえお前はもはや女、道中を重ねる訳にはいかない」
「神の子様、城市に向かうのはおやめください。あなた様を神騙りと訴える祭司が待ちかまえています。必ず捕縛されましょう」
「イザベラよ、エルサレムは約束の城市だ。行かねばならない、ガリラヤの門を越し、かの地とかの人々に私の姿を見せねばならない」
 エシュアは神の子であるから、約束というのは「神との約束」である。
「イザベラ、旅を案ずるお前の心遣いを嬉しく思うぞ。お前には何もしてやれぬが、空を飛ぶ力を与えよう。お前は空を飛べる…空を…」
 言葉を切り上げ、エシュアはキンタに跨り立ち去る。イザベラはあわてて彼の背に問いかけた。
「神の子様、いつ、どのようにして私は空を飛べるのですか」と
 イザベラに答えるために、一度だけエシュアは振り返った。
「イザベラ、この生で空を飛ぶと試みるな。それは神と神の子の約束を試すとのやましい心があるからだ。お前が空を飛ぶのは、生まれ変わる次の生、その次の生になる。その生で私とお前が再会する。喜びの中でお前は空を飛べる」
 これは神の子の約束である。ゆえに神の約束だ。かつて一度だけ、神は人の飛行を約束したのだ。しかし人は未だに空を飛んでいない、多摩は日野市のA子をのぞいて。

「イザベラは空を飛んだ」は、ほぼ完成しています。10月20日を目標にHP上梓いたします。掲載開始にはもう一度このブログで案内いたします。
ぜひ弊HP(部族民通信、左のHPボタンをクリック)にお立ち寄りください。
(約520枚の作品になります)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする