(11月1日)
用語について少々語ります。
投稿子(蕃神ハガミ)は日本的感覚で「血族」「姻族」を用いた。レヴィストロースもこれに近い用語germain/affilieを用いるが、語が意味するところは少々異なる。germainは同父母の兄弟、あるいは同祖父母の従兄弟姉妹を意味する。marriage germainとはドイツ人の結婚ではなく、父と母が兄弟姉妹の関係にある従兄弟姉妹同士の結婚を意味する。
日本語で血族は「血族集団」として使われる。それは一族郎党の族でありgermainより範囲が広い。affilieにも同様の差異があり、姻族の範囲はaffilieより広い。
レヴィストロースが頻繁に用いる用語はdonneur de femme/prenneur de femmeである。前者は妻を差し出す側(人)、後者が妻を取る(娶る)側(人)である。この用語法に血族姻族の意味合いを重ねると理解が深まる(と考える)ので使った。
本文に戻ります。
M16~20,これら3の神話を伝える部族(Mundurucu,Kayapo,Bororo)はいずれも母系社会です。父親となる男の系は出身、すなわち母の系なので自身の妻、娘や息子とは系が異なる。Donneur、娘を差し出す主体は母の系なので娘の父にはその権利はなく、娘の兄弟がそれを有する。必ず妻の兄弟であるし、多くのばあい長兄。娶るprenneurは別の系の同世代の壮丁。娘のやり取りを通して系の異なる個人、若者の間に対立、軋轢が必ず生じる世界とも理解できる。レヴィストロースは以下に解説している;
dont la nature lui parrait etre irreductible a la sienne>(105頁)
訳;姉妹あるいは娘を所有する男とは、彼の立場と相入れない男との連携を形成する運命に呪われている。
訳注、natureを立場と訳した。父系社会では娘は父親の所有と見なされるのでfille(娘)がsoeur(姉妹)の後に付いた。(所有するとはあくまでブラジル原住民の話)
M16でヒーローのカルサカイベが不等価交換を要求するのは血族(姉妹)、M18のヒーローオインベは自身の姻族、妻側に食物を無心する。いずれも断られる。
不当な要求する行為が非礼か、断るのが非礼なのかに前回、疑問符を入れた。そしてM20では
>妹を出した兄弟が義理の兄(弟)の収穫を「当然の取り分」として妹に要求している<
婚姻関係を結んだ相手側に代償(食物)を要求する行為はブラジル先住民にとって規範から外れない。すると、断る行為が非礼となる。
女をやり取りしての姻戚関係、遣る側も取る側も同性の同世代、そして属する系(あるいは部、支族)は異なる。もとより対立(irreductible=妥協できない=)を孕む同盟なので、こちらが当然と要求しても、相手はそれに応えず、規範から外れた行動を返した。義理の兄弟の同盟関係に報復が渦巻くと予測できる。
続きを引用すると;
<Toujours assimilables a des animaux, ces etres se repartissent en deux categories: celle du jagar, beau-frere bienfaisant et secourable, donateur de la civilisaion : et celle du cochon beau-frere malfaisant,utilizable comme gibier>(105頁)
訳;これら(妻を娶った側)人物は動物に比定される。その1がジャガーで、好意的、義理の兄となってヒーローを助け文明をもたらした。もう一方が野生豚、義理の兄弟ながら悪意を持ち、狩りの獲物としての価値しかない。
訳注:ジャガーの神話は前の楽章(テーマと変奏)でのM2~5の挿話。鳥の巣あらしで父親にハシゴを外され、絶壁(高木)で飢えるヒーローをジャガーが助ける。ちなみにジャガーはヒーローの義父となる。>義理の兄=beau-frere=で人に文明をもたらした<と原文ママに訳したが、これは尊師の誤り(彼にはこの手の「うっかり」は滅多にない。偶にそれらしきとぶつかれば、ねじ曲げ解釈を試みる。この一文は「ねじ曲げ)が通用しない、ここは父=pere=に正そう)
写真解説:ボロロ族、夕方に男は集まって必ず宗教儀礼を行う。夜半まで続き、寝静まるのは夜明けに近い(同氏の著作から)
さて、悪い作法とは血族あるいは姻族間(donneur/prenneur間でもある)の規範の無視。それを犯した本人達は、M16,18で野生豚に化けさせられた。Mundurucu(tupi語族),Kayapo(ge語族)いずれの部族もマトグロッソで有力部族です=分布域は10月10日投稿地図をご参考に=この言い伝えが野生豚神話の主流です。各神話がその考え方をschemeとしている。しかしM20(ボロロ族)は異なる。
1 donneur,妻を与えたのは金剛インコ。娶った側の食客となって、歌い笑って楽しく生活していた。2 prenneur娶った側、インコの義兄が無礼を加えた。義兄はdonneurを歓待しなければいけないとの規範を無視し、禁忌を犯して(採取の前に性交する)採取した蜂蜜を与え、金剛インコを侮辱し妻、金剛インコの妹、を介してさらなる屈辱(男屋を盗み見させる)をあたえた。その上に文明(飾り物、服飾など)を創成させて貢がせた。しかし提供者にして恩人の金剛インコを火刑にかけるまでの仕打ち。悪い作法を犯した側の大勝利。
この倫理はボロロ族社会の特性なのか「神話は自身で考える」(=本書の序曲)例なのか。
神話と音楽 第二楽章良き作法のソナタ2 の了
用語について少々語ります。
投稿子(蕃神ハガミ)は日本的感覚で「血族」「姻族」を用いた。レヴィストロースもこれに近い用語germain/affilieを用いるが、語が意味するところは少々異なる。germainは同父母の兄弟、あるいは同祖父母の従兄弟姉妹を意味する。marriage germainとはドイツ人の結婚ではなく、父と母が兄弟姉妹の関係にある従兄弟姉妹同士の結婚を意味する。
日本語で血族は「血族集団」として使われる。それは一族郎党の族でありgermainより範囲が広い。affilieにも同様の差異があり、姻族の範囲はaffilieより広い。
レヴィストロースが頻繁に用いる用語はdonneur de femme/prenneur de femmeである。前者は妻を差し出す側(人)、後者が妻を取る(娶る)側(人)である。この用語法に血族姻族の意味合いを重ねると理解が深まる(と考える)ので使った。
本文に戻ります。
M16~20,これら3の神話を伝える部族(Mundurucu,Kayapo,Bororo)はいずれも母系社会です。父親となる男の系は出身、すなわち母の系なので自身の妻、娘や息子とは系が異なる。Donneur、娘を差し出す主体は母の系なので娘の父にはその権利はなく、娘の兄弟がそれを有する。必ず妻の兄弟であるし、多くのばあい長兄。娶るprenneurは別の系の同世代の壮丁。娘のやり取りを通して系の異なる個人、若者の間に対立、軋轢が必ず生じる世界とも理解できる。レヴィストロースは以下に解説している;
訳;姉妹あるいは娘を所有する男とは、彼の立場と相入れない男との連携を形成する運命に呪われている。
訳注、natureを立場と訳した。父系社会では娘は父親の所有と見なされるのでfille(娘)がsoeur(姉妹)の後に付いた。(所有するとはあくまでブラジル原住民の話)
M16でヒーローのカルサカイベが不等価交換を要求するのは血族(姉妹)、M18のヒーローオインベは自身の姻族、妻側に食物を無心する。いずれも断られる。
不当な要求する行為が非礼か、断るのが非礼なのかに前回、疑問符を入れた。そしてM20では
>妹を出した兄弟が義理の兄(弟)の収穫を「当然の取り分」として妹に要求している<
婚姻関係を結んだ相手側に代償(食物)を要求する行為はブラジル先住民にとって規範から外れない。すると、断る行為が非礼となる。
女をやり取りしての姻戚関係、遣る側も取る側も同性の同世代、そして属する系(あるいは部、支族)は異なる。もとより対立(irreductible=妥協できない=)を孕む同盟なので、こちらが当然と要求しても、相手はそれに応えず、規範から外れた行動を返した。義理の兄弟の同盟関係に報復が渦巻くと予測できる。
続きを引用すると;
<Toujours assimilables a des animaux, ces etres se repartissent en deux categories: celle du jagar, beau-frere bienfaisant et secourable, donateur de la civilisaion : et celle du cochon beau-frere malfaisant,utilizable comme gibier>(105頁)
訳;これら(妻を娶った側)人物は動物に比定される。その1がジャガーで、好意的、義理の兄となってヒーローを助け文明をもたらした。もう一方が野生豚、義理の兄弟ながら悪意を持ち、狩りの獲物としての価値しかない。
訳注:ジャガーの神話は前の楽章(テーマと変奏)でのM2~5の挿話。鳥の巣あらしで父親にハシゴを外され、絶壁(高木)で飢えるヒーローをジャガーが助ける。ちなみにジャガーはヒーローの義父となる。>義理の兄=beau-frere=で人に文明をもたらした<と原文ママに訳したが、これは尊師の誤り(彼にはこの手の「うっかり」は滅多にない。偶にそれらしきとぶつかれば、ねじ曲げ解釈を試みる。この一文は「ねじ曲げ)が通用しない、ここは父=pere=に正そう)
写真解説:ボロロ族、夕方に男は集まって必ず宗教儀礼を行う。夜半まで続き、寝静まるのは夜明けに近い(同氏の著作から)
さて、悪い作法とは血族あるいは姻族間(donneur/prenneur間でもある)の規範の無視。それを犯した本人達は、M16,18で野生豚に化けさせられた。Mundurucu(tupi語族),Kayapo(ge語族)いずれの部族もマトグロッソで有力部族です=分布域は10月10日投稿地図をご参考に=この言い伝えが野生豚神話の主流です。各神話がその考え方をschemeとしている。しかしM20(ボロロ族)は異なる。
1 donneur,妻を与えたのは金剛インコ。娶った側の食客となって、歌い笑って楽しく生活していた。2 prenneur娶った側、インコの義兄が無礼を加えた。義兄はdonneurを歓待しなければいけないとの規範を無視し、禁忌を犯して(採取の前に性交する)採取した蜂蜜を与え、金剛インコを侮辱し妻、金剛インコの妹、を介してさらなる屈辱(男屋を盗み見させる)をあたえた。その上に文明(飾り物、服飾など)を創成させて貢がせた。しかし提供者にして恩人の金剛インコを火刑にかけるまでの仕打ち。悪い作法を犯した側の大勝利。
この倫理はボロロ族社会の特性なのか「神話は自身で考える」(=本書の序曲)例なのか。
神話と音楽 第二楽章良き作法のソナタ2 の了