蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 2

2018年06月12日 | 小説
(2018年6月12日)

レヴィストロースは南米先住民の民俗記録から関心ある神話を選択、内容にあわせて分類し、本書で紹介しています。ブラジルだけに原典の多くはポルトガル語、先達の民族学者やサレジオ会をはじめとする布教の宣教師の記録も取りあげています。それが理由になるのか、文体用語が古めかしい。古風さが内容をより神話らしく熟成させています。それらを読みながら感じるのは簡潔な数語、数十行を一読し、時には辞書の頸っ引きに苦闘の責め苦、何気ない語り口を歓ぶとあわせ、思考と論理の明晰、対句や比喩の華麗さ、複雑な修辞の盛り込みに圧倒されます。ボロロ族や本書の主役のチュピ語族、カリブ族の表現形態と精神風土かとうかがいます。

精神風土としたが、それを取りあげると;
その1、出会い、禁忌、失敗裏切り、喪失について
本書第2章、「Festin degrenouilleカエルの饗宴」は変奏曲形式で記述されています。元になるテーマに続いて6の変奏が続きます。テーマメロディにあたる神話が「蜜の精Maba」(通し番号M233,本書129頁、Arawak(カリブの一部族、現在もギニアに小集団ながら自己同定を維持し生存している)題名は「なぜ蜜はかくも貴重なのか」。蜜狩人の男と蜜のプリンセスMabaの出会いを引用します。

(いつもながら木を穿って巣を捜し、男は蜜を採取していた。どこからともなく若い女の叫び声が)<> Il (=l’Indian) poursuivit son travail avec precaution et deecouvrit au coeur de l’arbre une femme ravissante qui lui dit s’appeler Maba, <<miel>>, et qui etait la femme ou l’ Esprit du miel. Comme elle etait toute nue, l’Indian rassenbla un peu de cotton dont elle se fit un vettement et il lui demanda d’etre sa femme=後略
訳=「気をつけて、私を傷つけないで」声の出所は木の内から、怪訝な気持ちを抱くもさらに抉ると空洞(蜜蜂の巣のありか)の手応え。男は注意深く、先に斧をすすめる。開ききって見ると、なんと蜂の巣の代わりに輝くばかりの女が現れた。「私の名はMaba(=蜜)、あなた、私を呼んだのでしょう」と恥ずかしげに語る(前段で男は「蜂の巣出てこい蜂蜜でてこい」の掛け声をあげて蜂の巣狩に没頭していた)。恥ずかしさには理由がある、なぜって女は全裸、男はわずかばかりの綿布をかき集め、与えると女は前を隠した。妻にならないかと尋ねる男に=
見詰めながらMabaは男にそのか細い頸をタテにした。たった一つの条件とは「名のMabaを絶対に他の人に教えないでね」
この一節を読み、投稿子は悲しき熱帯のNambikwaraでの一シーンを思い浮かべた。
Elle vint se refugier aupres de moi, en grand mystere,a me murumurer quelque chose a l’oreille=(TristesTropiques悲しき熱帯、ポケット版の326頁)
=女の子同士で諍いがあって一人が相方を叩いた。その子(elle)がレヴィストロースに駆け寄って、その後がとってもミステリアスだった、何かを呟いた=
それが意地悪の仕返しで叩いた子の本名だった。怪しい事態がなにか、それを掴んで大急ぎでかけよりその子は密告の子の髪を掴んでレヴィストロースから引き離した。
本名は他人に伝われば呪いの文句に変わる。身内、せいぜい集落内の者にしか教えない。実名を嫌った日本の風習、諱(イミナ)に近いか。

さて、二人は仲睦まじく暮らす。Mabaは蜂蜜酒(=Hydromel、蜜を水で薄め数日間、放置すると甘美なアルコールに変わる。ただし南米とアフリカの蜜のみがこの手法で発酵する)を欠かさず用意した。その晩の宴会、珍しく樽を飲み尽くした。男は「今晩は蜜酒がきれた。次には十分な量をMabaに用意してもらう」とうっかり本名を口にした。Mabaは消え去り、男は森に捜すも二度と会えなかった。うっかりミスが男の約束破り、Mabaの呪い威力は無くなって、掛け声をかけてもMabaはもう出てこない。
以来、蜂蜜を採取するに額に汗(la seur au front)が必須、それほど貴重と化したのは男の約束破りのせいだとさ。

解釈の前にウンチクその1;
南米先住民が心に抱く美女とはまずは肉付き。全体がふっくら、かといって乗る膏の過剰ぶりは否定される。若さとの関連で肌の張りの様も評価となるが、はち切れんばかりが特に評価されると聞く。アメリカ白人はメリハリの誇張された凹凸系を好むと聞くが、それとは対照的である。次には肌の色、南米先住民と日本人が属す北東アジア系は、古ブリヤートの血を共にするから、本来は薄黄色の肌とされる。しかし、時にはスカンジナビア系かと疑う色白の娘が隔世遺伝として出現する。Mabaはそんな白肌の持ち主だろう。白肌は評価が高い、さもありなん、これも理解できる。
文脈ではfemmeとあり老若美醜、気だてなども特定されない女なので、年齢等が不詳だが、引用のravissanteを辞書に尋ねると魅力的、若い娘にのみ使うと(robert)。この一言が効いているから、年増でも、まして年を召した女性でもない明確な主張がが行外に見える。総括すると男を待っていたのは「輝くばかりの白いむっちり肌の娘」だった
以上のウンチクと主観の絡む判断は投稿子の創作ではない、主としてTristesTropiques(悲しき熱帯)から仕入れた。

ウンチク2;蜜から灰へのテーマの一つが出会い。出会いとは男女、文化と自然に属するそれぞれが出会う。なお文化側同士の男女はフツーの出会い。特異現象は発生しないから、神話は取りあげない。自然側同士は動物のオスとメス、勝手にしろの範疇なのでこれも神話に書かれていない。男と女いずれかが自然側に属し、二人の出会いを仕掛けるのは常に自然から。これを計画された出会い(rapprochement programme)と師は規定する
自然側が仕掛ける出会いの一例あげる。M235 (Simoの話、135頁)要約=男が子女を引きつれ狩に出た。娘は月の障りをむかえたので仮のキャンプで休んでいると=La jeune fille fut suriprise de voir un homme s’approcher et partager sa couche=誰かが近づく足音に驚いた、若い男(Simo)で娘にかけより褥を共にした=
Simoは蜜蜂で若い男はその化身、見初めた娘が親兄弟から離れ、一人になるのを待ちかまえていた。故にこの出会いは蜜蜂、自然側からなので、かく仕掛け(programme)が設けられた。Simoは娘と褥(寝床)を共にしたが、前後の文脈で交合には至らないとは明確。障りの女には手を出さない、自然も奥ゆかしいのである。
一方、さりげなく発生してそれによって文化側(人)が継続し利益なりを受ける出会い、これは必ず偶然である。これを(rapprochement aleatoire)偶然の出会いとしている。


木の幹の空洞を利用した野生の蜂蜜の巣、その断面図。狩人が見つけたのは巣ではなく娘だった。同書43頁、

南米先住民が抱く自然への憧憬、その現れが仕掛け出会い偶然の邂逅programme/aleatoireであるから、より踏み込んでみよう。
かつて、一度だけ、自然は文化との同盟(allience)を望んだ。同盟とは婚姻である。しかし文化側の約束破りで破綻した。文化(人)は自然に接近する企ては禁じられるから、破綻は取り返しが出来ない。さらに文化側から仕掛けの接近があって、何らかでも継続すれば、それは禁じられているので、罰chatiment(レヴィストロースの言葉)が構える。
仕掛けでも偶然でも、いずれの場合も結果は分断(discontinuite)をむかえる。本書のテーマが喪失perteである理由に、自然文化の同盟は必ず破綻するを謳う神話が並ぶからである。

さて、ravissanteMaba(素敵なMaba)、M233に戻る。
蜂蜜狩の男との出会いは仕掛けられたか偶然だったのか。
裸姿を見られてしまってうろたえたMaba、仕方なく男の求婚を受け入れたのか。それなら偶然である。何かの企み、仕掛けがこの出会いに潜むなら、それは自然側Mabaの意志だから、蜜狩人に密かに惚れたMabaが偶然を装い、実は積極的に己の裸姿を自信たっぷり、白さ輝き肌をこれ見よがしに曝したのか。
引用している文脈は淡々と、いかにも偶然を装うが、この出会いはMabaの仕掛けと投稿子は解釈する、レヴィストロースも同意するはず。理由は男の仕事態度、蜂蜜を巧みに採取する描写が好意的で、真面目で温厚、約束を守る、女受けする実直仕事人の印象を前段で彼に与えている。Mabaが蜂蜜狩人の男を見初めたのだ、そして裸の姿で賭けたのだ。

ブログを訪問してくれる方々にはMabaの心境を考えてほしい。それが女性ならば;
「あの狩人、真面目ね、毎日、一心不乱に斧を振り立てているわ。婿さんにしようかしら」
の心境を理解するでしょう。隠し兵器が決戦の場の「白く輝く裸」であった。
当ブログ訪問が男にしたって、洞を開けた目の前に、蜂の巣ならぬ全裸の娘、その輝きには目が眩みます。ふくよかさ白さ、若さにはち切れる肌の熱さを妄想し、このArawak族の蜜狩人の幸せを北川ケイの勝負姿を目の当たりにしたdaigonかと投稿子は、一瞬の雑念で羨ましんだ。ブラジル先住民の精神、行動は現在の日本人がしっかりと理解でき、行動できるのだ。

うかりの禁忌破り。すべてがひっくり返った。

神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 2 の了
(次回は6月15日を予定)
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