蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 1

2018年06月11日 | 小説
(2018年6月11日)

本ブログ出稿の投稿子(蕃神)は本年(2018年)初頭から神話学の名著「蜜から灰へDu miel aux cendres」(フランス語原典)を手に取り、灯火の本で親しみん読み続けております。ブラジルなどの南米先住民の神話を取りあげ、原住民とも呼ばれる人々の思想、世界観、倫理のあり方、行動の規範を解析しながら、自然(nature)に対峙する文化(culture)の成り立ち様、その批判を展開している著作です。著者は「構造」主義の主唱者クロード・レヴィストロース(フランス、1908~2008年)。その「構造」をカギ括弧に囲んだ理由は言語学、心理学などにも構造の思潮は生まれており、それぞれに著名な思索者を輩出しているのですが、レヴィストロースの思考体系とは、それら「実学」の論理とは密度、思索回路の「粘着性」で一線を画すと投稿子は考えており、その意を含ませまたつもりです。それら分野での先達の影響を、もちろん受けております。
言語学のソシュール(スイス,1857~1913年)の意味論が「構造主義」のひな形とも喧伝されているが、両論を吟味するとソシュールの「signifiant、signifie」の関係はレヴィストロースの存在(forme)と思想(idee)で逆転されています。思想家、かつレヴィストロースの朋友メルロポンティ(フランス、1908~1961年)の提唱した知覚現象論(phenomenologie de perception)との関連も聞きますが、(カソリック教徒)の彼は有神論の立場から「(神の創造した)宇宙、森羅万象(=milieu、champとしている)に混乱などない。その様態として知覚されるだけ」と神の枠から抜け出していないけれど、無神論のレヴィストロースの思考回路には神が立ち入る隙が無いから、世界を連続対不連続(continuite/discontinuite)の混乱として描写するに遠慮はない。
神が外れた宇宙、万象。その重力の中心点に構造をおいて、思考ideeと存在formeが互換に対峙する。これが私なりの「構造主義」の解釈ですが、いずれ本投稿でこれらの主張を取りあげます。

本書は早水洋太郎の完訳本が出版され、アマゾン等で入手できる。知的関心として、読書の楽しみとしてであれば、訳本に目を通すが近道です。投稿子は原典に挑戦し半年経過、なおも格闘する体たらくですが、原典に接するなりの良さがあります。フランス語に限らず西洋の哲学文献を日本語に訳すと、これはラテン語を漢文、それも大元はインド発生の梵語の漢文訳を目にしている気がします。この邦語訳の漢字が私に分からない。そこで原典に立ち入り、時には辞書grand robertナンかを開けば理解できる(知らずと錯覚している誤差を許せ)

投稿子においてフランス語は未だ初心、ABCをアベセと読み、Bonjourがこんにちはと知るに生えた産毛の少々が加わる程度です。著者出世作の「悲しき熱帯TristesTropiques」ポケット版300頁を、堂々ハードバック2冊に完訳した川田順三(文化人類学)とは比べるまでもなく、能力の至らなさにひたと悲しむのみですが、「構造神話学」とは何かを知る一心での原典を取った。なぜなら、レヴィストロースについては物語性への評価があって、断片紹介とちやほやなる批判が多い。構造人類学、あるいは構造神話学は何かが国内で紹介されていない背景もある。(私の偏見だろう)

これまでのブログで投稿子は
1 レヴィストロースの説く構造とはforme(存在)とidee(思想)の相互関係(reciprocite)にあると規定しました。デカルトは神から授かった考える力=思考が神創造した世界の本質を見極めるとして、思考優位の哲学を打ち立てた。レヴィストロースは2者を同格(=構造)としている。(=猿でも分かる構造主義で記述)
2 神話の構成とは音楽と同じで3分節。音、メロディ、楽曲で音楽が成立するのと対照して①protagonistes(登場するモノ、人間に限らず動物、自然景観など)、②sequences(流れ)、③armatures(骨格)の形で成り立つ。それぞれ形には思想が隠れる。順にそれらを記すとproprietes(特質)、code(筋の流れがある世界観に沿う、符丁と訳すと例えば食物符丁、視覚符丁とか)、message(主題)となる。(神話と音楽)
3 前回(生と調理)では神話を個々に分析していた。一方、神話学2作目の本書では神話の伝播をより詳しく分析している。その実体は「形態は変容するが=登場する動物がかわるなど=その思想である特質は変化せず、また流れが異なっても符丁、codeも変わらずに伝播する」。そして「思想が変遷して伝播する」場合にはその対立する概念が新しい神話に取りあげられると解説している。
これらはまさに構造主義者、レヴィストロースならではの着眼である。


写真:本書の表紙、「Oppienの狩、蜜蜂巣のいぶし」1554年にVergeceが摸写、フォンテーヌブロー図書館とある。脱稿は1965年7月Lignerolle(フランス国境近くのスイス小村。1967年1月出版、9271部を印刷、この個体は66番。参考までに目次を(早水訳から借りました)
序 音合わせのために 第1部 乾いたものと湿ったものI 蜂蜜とタバコの対話 II 渇き飢えた動物 III 蜂蜜狂いの娘 第2部 カエルの祝宴I 変奏 一、二、三  II 変奏 四、五、六 第3部 八月の肉断ち I 夜空の星 II 森の物音 III 鳥の巣あさりの再登場 第4部 暗闇の楽器  I 騒音と悪臭 II さまざまな球体のハーモニー

4 一方でレヴィストロースの構造主義とは「時間を無視した輪切り、単なる一瞬なる状態」との批判を、野生の思考の出版あたりから執拗に受けていた。サルトルは「弁証法理性批判」で未開社会のあり方を説く構造主義への「的の外れ」批判を浴びせた。彼への反論が悲しき熱帯の最終章(レヴィストロースによるサルトル批判で解説した)につながる。本書では「神話の伝播」で時間軸を置き、止揚(totalisation)などのサルトルの語彙を駆使し、神話における時間の実証を試みている。
5 前著の「生と調理」はマトグロッソ及び中央ブラジルに居住するボロロ族、それが属する(とされる)Ge語族の神話を多く取りあげている。文化の起源、水と火の創造を主題としている。本書では語族が異なり、Tupi-Guarani語族(パラグアイ、ボリビア東部)とArawak族(ギアナ)などの神話が中心で、文化への失望と喪失、自然回帰が中心である(とされる)この辺りも原典からの文章採取で紹介する。(引用した過去投稿の履歴は下に)

(神話「蜜から灰へ」を構造主義で分析する 1の了 次回投稿は6月15日)


以下は宣伝をかねた参考資料です。

レヴィストロース関連のこれまでの投稿
猿でも分かる構造主義(全8回 2017年4月10日~27日)
猿でも構造悲しき熱帯(全12回  5月8日~7月12日)
神話学 生と調理(全6回 9月13日~27日)
神話と音楽(全10回 10月10日~11月28日)
レヴィストロースによるサルトル批判、悲しき熱帯の最終章(全11回2018年3月5日~4月09日)
なお下記も構造主義関連です;
「金魚鉢、出目きん」は金魚鉢の縮小世界に構造主義を応用した。
「農協パラダイム」はレヴィストロースが時間軸を設定したパラダイムによる神話分析を展開したが、それを「剽窃し」現代日本を批評した。
「テポドンテンコテンコ」は核ミサイルの不条理に怯える老人がゲブレセラシエのオリンピック記録を上回る快足で浅川を逃げ回る。
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