蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

カツ丼の自由はアリサの勝手でしょ 2 

2018年09月10日 | 小説
(9月10日)
チャビの吠え声に頷きつつ投稿子は
「ところでKさんよ、昼飯にカツ丼を賭けている気持ちはよく分かったけれど、なぜそれを選ぶのか教えてくれないか」
「昔からカツ丼だった、たまには天丼やオムライスなんかもを織り込むけれど、そうした枠外の丼種や皿種は食い終わって、その選択を後悔するハメに陥る」
「カツ丼のどんなところが気に入っているのだ」

この質問で投稿子は作戦を立て直した。自由やら神からの贈り物説などを持ち出したら、K氏の独壇場になってしまう。一向に散歩に戻らないだろう、そんな畏れに気づいたからだ。我が陋屋に長居を続けたあげく余計な咆吼でも上げられたら困るのはチャビ犬だけではない。
「どんなとことは」
「味、風味、食べ応えなど選択する際の理由付けがあると、小筆は思うのだが」

新たな作戦とは、付随する属性を質すのである。属性ごとに天丼、親子丼のそれらとカツ丼の比較を重ね、一方を良しとすれば片方は悪しとなる訳で、対象作業の繰り返しのなかでカツ丼に拘泥したはずだ。決断にいたる過程に、彼が語るカツ丼自由を投射せんと考えたのである。

「味や風味の問い質しであるが、それらに関しカツ丼が他丼をあからさまに凌ぐ要素を、この儂は見知しておらぬ。否、その真逆であろうぞ。アナゴやシバエビを甘辛ツユの衣が優しく抱く天丼には味において、さらにはカシワと称される野っぱら育ちシャモの胸肉が、溶かれた2個の卵と三つ葉の緑で飾られる親子丼には風味でカツ丼は劣等である。この食軍配を否定する者ではない」
「一口、二口と食らうカツ丼にも舌と喉、食べ応えでは」
「それにつけてもカツ丼有利を主張する輩ではない。豚とエビやらアナゴやら、はたまたシャモとの差とは、畢竟、食べ応えに収斂しているのが、そこでも豚有利が見いだせない。他丼に残る未練とは、エビの歯ごたえ、アナゴののど越し、カシワの噛み味など、まさにそれが貴殿が語る食べ応えであろうぞ」
「それならカツ丼有利が証明できない」
投稿子の口調がふと乱れたのは、有利を語れないならカツ丼自由が証明できないと決めつけたから。K氏の答えは意外だった。

「カツ丼を注文して待つことしばし、じれったくなる待ちの空白こそ料理。包丁さばきと揚げ箸の手かえしの手慣れと板慣れこそが評判で、旨くあれと丼詰めにこなす手練れが良心の店と思うを常にしている。
やっと運ばれた丼には小皿の裏返し、丼蓋が乗っている。中身と詰まる蓋に隠れるの姿の様を思うに、美味の極みがさぞかしと組み合さる逸品と、唾が思わずごくん。蓋の石突きを取る指先がカツの香りに曇る。
豚と揚げ粉、出汁と卵とタマネギと、醤油に絡まる膏と甘辛」
「その言い回しは、天丼にも親子丼にもできる」
「しかし異なる点が一つ残る」

写真:K氏が愛するカツ丼、とあるチェーン店の見本。


満足感であるとK氏は伝えた。
蓋を取って湯気がでる。湯気の香に鼻を預け、額を曇らせる度に満足感が腹の底から湧いてくるのだと。
「天丼、親子丼ではその満足を得られないのか」
「しかり、湯気に浸って箸をわり、その箸先が卵を分けてカツの一切れを、出汁と卵の覆いから引き抜く。すると匂いは甘さに満ちる。その満足感は他丼にはない」
投稿子はこの説明に大いに納得した。しかし、
「丼の優劣を己の感覚で評価している、自由ではない」

自由カツ丼、アリサの勝手でしょ 2 の了 
(次回予定は9月12日)
コメント
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