(2018年9月6日)
カツ丼を食らったのは投稿子の友人K氏、アリサとは名高いき小説かの「狭き門」(=La porte etroite,アンドレ・ジッド作)の女主人公。二人の「自由」には、その起因を促す様々な事由というか、あるいは様式美なのか、埋めように穴の底すら見えない深い落差が認められる。しかしその位相差をレヴィストロース(Claude Levi-Strauss, 哲学者人類学者2009年没)構造主義が解決するとの三題噺。早速ながらカツ丼筋を進めていこう。
K氏について本ブログで時折、紹介している。最近は(テポドンテンコテンコ、本年1月17日、ボロロ族の遺構発見さる、同1月6日)でその活動あるいは珍走ぶりを取り上げている。人となりになどご興味がある訪問者には、ブログ投稿日カレンダーから入ってください、ググってもページに入れます。
チャビなる犬を連れて散歩の途中、ちょくちょくと弊屋に立ち寄るのだが、このところ姿を見せなかった。本年8月、連日の猛暑が一休みした3日間の中日、18日土曜日の夕刻、犬散歩の道すがら、久方ぶりに訪れてきた。開口一番、
「働きだしたんで散歩の暇もなくなった」
なるほど、チャビ犬の普段にましての不満のウラには散歩、減ったその回数だったか。投稿子は鼻面のシワの具合でチャビの苦労を納得した。しかし、K氏は62歳で退職してすでに数年が経過している。初老とされる年代、その世代にして「働きグチ」が見つかるとは驚きだ。
「今の世の中、どこにいっても人手不足、職探しにハローワークを覗いたその日に決まった」
人手不足とは聞いている。求人倍数なる統計数字が新聞に出るが、東京では2倍を越す勢いが続いているとか。2倍とは、求職者一人に2の求人があるとの意味である。ほんの5年前、民主党政権時代には探しようにも一件も見つからなかった。就職難のあの政権とは様変わりだ。
「仕分けにパソコンデータ入力、外出、出張などの経費管理、ほかにも…..」
仕事中身を聞くと経理の下働き兼雑用全般。かつては簿記3級など資格を持つ方がさらなる資格向上をねらうためのキャリアプランの位置付けだった。多くは若い女子でいずれは経理で責任ある職を、目標にする女子だって引く手あまたで不足しているのだろう。
「一日5時間、週4回。この歳になったら週40時間プラス残業なんて社員仕事はこなせない。小遣い稼ぎで十分だし、家に居ないだけでも感謝されているよ」
「グワン」の吠えをチャビ犬が差し挟んだ。無駄話はさっさとやめて散歩の続きに出むとの催促である。K氏はその無駄を続ける。
「一つだけ困っている。それが昼飯なのだ」
同僚あるいは上司、といっても歳はK氏よりも2世代3世代若い。12時の鐘が合図で部屋に残るが3か4人、男同士が揃って室を出る。階段を下りて立ち出た街角は豊田の駅前、イオンの横といえばその場所も分かろう。
豊田は東京日野市の地名。発音はトヨダと濁る。地元民はトヨダァと濁りを強調するが、それがこの地の氏素性である。濁らない「トヨタ」は愛知県、輸送機械の好調さから財政の優良さは全国あまたの市町村でトップと聞く。
その「ダ」の方の名を冠する駅がJR中央線にある。駅近くにスーパーが建設されたのは3年の前。町並みにすっかりとけ込んでいるとか。投稿子の住まいは同じ市内といえども遠く離れるので、日野市にまれな商店街の活況さを想像できないけれど。
「何を食うかで意見が異なる。3人で出れば3人の好みが違う、4人となったらその好みの偏差がなおさらずれる。まとまらないのだ」
「この暑い盛りだろう、儂ならソウメンとかザル一枚で決まりだけれど」
「これを言っちゃなんだが、そりゃあ、あんたは仕事してないから、腹も減らないだけだよ。こっちは通勤の混雑でへたれてそれでも午前のうち、一切まとめなくてはならねぇ書類だ、資料の集めにパソコン叩き。そんな作業なら簡単と言うな、額に汗して邁進し、ともかく一束のデータはパワーポイント、手にしたとたんに腹が減る」
急に強気になったK氏、これも仕事のおかげ、アベノミクスのトリクルダウン効果か。チャビ犬の再度の催促「グワン」も気にとめず、
「降りたは道ばた狭い歩道、何を食うかと3人4人で打ち合わせる。焼きそば、天丼、親子丼、焼き魚定食なんかが若い人、皆から提案される。しかしこれが気に入らない」
「とは」
「カツ丼なのだ。断然に絶対、必ず毎日カツ丼だ。天丼屋、親子丼屋は願い下げだ、カツ丼を食うためにはトンカツ屋に入らなければならない」
確かに理屈だ。
しかしなぜ、かくもカツ丼にK氏は拘泥するのか。
彼の世代の生き様を知ることでその複雑感情が納得できる。K氏が10代、投稿子も同じ世代に属するからこの事情を推察しているのだが、その頃テレビで刑事モノが流行りだった。デカこと刑事とは捜査する。探りを入れるとも伝える。容疑者(ホシと呼んでいた)をしょっぴいて(逮捕して)、拘置所ならぬ代用監獄(警察署にある豚箱のこと)に拘束する、これがぶち込むとか聞いた。拘留期限の10日の間に供述させねばならない。これを尾籠ながら、ゲロを吐かせるともテレビで刑事が盛んに流していた。
しかしホシだって簡単には吐かない。「そりゃ私じゃあありませんよ」と否定する。10日目を前にした9日目の夕食、そこで出てくるのがこの言葉。
「おまえ、カツ丼でも食うか」
しかしホシは沈黙を続ける、己の足下に目を落としたまま。しかし肩がわずかに揺れる、カツ丼の言葉で感情に起伏が生まれた。デカの言葉が続いて、
「儂のおごりだ、特上大盛りを頼んでおいた」
左右の肩が上下に大きく、個別に揺れてホシがワアーと泣いて叫んで「刑事さん、すべて話します」供述が始まる。
必ずカツ丼だった、天丼親子丼は出てこない。これらは美味しいけれどありがたみという点では御利益が薄い。ましてウナ丼になったら現実味がない、ホシの供述とウナ丼との因果関係を、10代の投稿子(当時)を含め多くの視聴者はついていけない。
カツ丼こそあこがれだから、そのあこがれを食らうためには真っ当人生に戻らなければならない。ホシは肩の揺すれでその改悛の心情を表現したのだ。
身をよじれさせ揺るがせ、悪しき心を魂の不浄を清浄に変え、罪を善に導く。カツ丼は神聖な食い物なのだ。
投稿子らがかつて抱いたカツ丼信仰である。
K氏は同僚の3人に
「昼飯に、必ずカツ丼を提案する、カツ丼は自由の心を担保しているのだ」
自由と結びつけた。
K氏もカツ丼に特別な感情をもっていたのだ。好き嫌いを越える一種の信仰である、カツ丼を食って昼飯のさなかに自由を感じる。カツを歯と歯の間にして自由をかみしめる。それが神に近づく道のりだ、と念じているのだろう。
投稿子は考えた。「カツ丼と自由を紐付けするK氏の信仰とは」
「ワーン、ワワワーン」
またもチャビが吠えた。
カツ丼を食らったのは投稿子の友人K氏、アリサとは名高いき小説かの「狭き門」(=La porte etroite,アンドレ・ジッド作)の女主人公。二人の「自由」には、その起因を促す様々な事由というか、あるいは様式美なのか、埋めように穴の底すら見えない深い落差が認められる。しかしその位相差をレヴィストロース(Claude Levi-Strauss, 哲学者人類学者2009年没)構造主義が解決するとの三題噺。早速ながらカツ丼筋を進めていこう。
K氏について本ブログで時折、紹介している。最近は(テポドンテンコテンコ、本年1月17日、ボロロ族の遺構発見さる、同1月6日)でその活動あるいは珍走ぶりを取り上げている。人となりになどご興味がある訪問者には、ブログ投稿日カレンダーから入ってください、ググってもページに入れます。
チャビなる犬を連れて散歩の途中、ちょくちょくと弊屋に立ち寄るのだが、このところ姿を見せなかった。本年8月、連日の猛暑が一休みした3日間の中日、18日土曜日の夕刻、犬散歩の道すがら、久方ぶりに訪れてきた。開口一番、
「働きだしたんで散歩の暇もなくなった」
なるほど、チャビ犬の普段にましての不満のウラには散歩、減ったその回数だったか。投稿子は鼻面のシワの具合でチャビの苦労を納得した。しかし、K氏は62歳で退職してすでに数年が経過している。初老とされる年代、その世代にして「働きグチ」が見つかるとは驚きだ。
「今の世の中、どこにいっても人手不足、職探しにハローワークを覗いたその日に決まった」
人手不足とは聞いている。求人倍数なる統計数字が新聞に出るが、東京では2倍を越す勢いが続いているとか。2倍とは、求職者一人に2の求人があるとの意味である。ほんの5年前、民主党政権時代には探しようにも一件も見つからなかった。就職難のあの政権とは様変わりだ。
「仕分けにパソコンデータ入力、外出、出張などの経費管理、ほかにも…..」
仕事中身を聞くと経理の下働き兼雑用全般。かつては簿記3級など資格を持つ方がさらなる資格向上をねらうためのキャリアプランの位置付けだった。多くは若い女子でいずれは経理で責任ある職を、目標にする女子だって引く手あまたで不足しているのだろう。
「一日5時間、週4回。この歳になったら週40時間プラス残業なんて社員仕事はこなせない。小遣い稼ぎで十分だし、家に居ないだけでも感謝されているよ」
「グワン」の吠えをチャビ犬が差し挟んだ。無駄話はさっさとやめて散歩の続きに出むとの催促である。K氏はその無駄を続ける。
「一つだけ困っている。それが昼飯なのだ」
同僚あるいは上司、といっても歳はK氏よりも2世代3世代若い。12時の鐘が合図で部屋に残るが3か4人、男同士が揃って室を出る。階段を下りて立ち出た街角は豊田の駅前、イオンの横といえばその場所も分かろう。
豊田は東京日野市の地名。発音はトヨダと濁る。地元民はトヨダァと濁りを強調するが、それがこの地の氏素性である。濁らない「トヨタ」は愛知県、輸送機械の好調さから財政の優良さは全国あまたの市町村でトップと聞く。
その「ダ」の方の名を冠する駅がJR中央線にある。駅近くにスーパーが建設されたのは3年の前。町並みにすっかりとけ込んでいるとか。投稿子の住まいは同じ市内といえども遠く離れるので、日野市にまれな商店街の活況さを想像できないけれど。
「何を食うかで意見が異なる。3人で出れば3人の好みが違う、4人となったらその好みの偏差がなおさらずれる。まとまらないのだ」
「この暑い盛りだろう、儂ならソウメンとかザル一枚で決まりだけれど」
「これを言っちゃなんだが、そりゃあ、あんたは仕事してないから、腹も減らないだけだよ。こっちは通勤の混雑でへたれてそれでも午前のうち、一切まとめなくてはならねぇ書類だ、資料の集めにパソコン叩き。そんな作業なら簡単と言うな、額に汗して邁進し、ともかく一束のデータはパワーポイント、手にしたとたんに腹が減る」
急に強気になったK氏、これも仕事のおかげ、アベノミクスのトリクルダウン効果か。チャビ犬の再度の催促「グワン」も気にとめず、
「降りたは道ばた狭い歩道、何を食うかと3人4人で打ち合わせる。焼きそば、天丼、親子丼、焼き魚定食なんかが若い人、皆から提案される。しかしこれが気に入らない」
「とは」
「カツ丼なのだ。断然に絶対、必ず毎日カツ丼だ。天丼屋、親子丼屋は願い下げだ、カツ丼を食うためにはトンカツ屋に入らなければならない」
確かに理屈だ。
しかしなぜ、かくもカツ丼にK氏は拘泥するのか。
彼の世代の生き様を知ることでその複雑感情が納得できる。K氏が10代、投稿子も同じ世代に属するからこの事情を推察しているのだが、その頃テレビで刑事モノが流行りだった。デカこと刑事とは捜査する。探りを入れるとも伝える。容疑者(ホシと呼んでいた)をしょっぴいて(逮捕して)、拘置所ならぬ代用監獄(警察署にある豚箱のこと)に拘束する、これがぶち込むとか聞いた。拘留期限の10日の間に供述させねばならない。これを尾籠ながら、ゲロを吐かせるともテレビで刑事が盛んに流していた。
しかしホシだって簡単には吐かない。「そりゃ私じゃあありませんよ」と否定する。10日目を前にした9日目の夕食、そこで出てくるのがこの言葉。
「おまえ、カツ丼でも食うか」
しかしホシは沈黙を続ける、己の足下に目を落としたまま。しかし肩がわずかに揺れる、カツ丼の言葉で感情に起伏が生まれた。デカの言葉が続いて、
「儂のおごりだ、特上大盛りを頼んでおいた」
左右の肩が上下に大きく、個別に揺れてホシがワアーと泣いて叫んで「刑事さん、すべて話します」供述が始まる。
必ずカツ丼だった、天丼親子丼は出てこない。これらは美味しいけれどありがたみという点では御利益が薄い。ましてウナ丼になったら現実味がない、ホシの供述とウナ丼との因果関係を、10代の投稿子(当時)を含め多くの視聴者はついていけない。
カツ丼こそあこがれだから、そのあこがれを食らうためには真っ当人生に戻らなければならない。ホシは肩の揺すれでその改悛の心情を表現したのだ。
身をよじれさせ揺るがせ、悪しき心を魂の不浄を清浄に変え、罪を善に導く。カツ丼は神聖な食い物なのだ。
投稿子らがかつて抱いたカツ丼信仰である。
K氏は同僚の3人に
「昼飯に、必ずカツ丼を提案する、カツ丼は自由の心を担保しているのだ」
自由と結びつけた。
K氏もカツ丼に特別な感情をもっていたのだ。好き嫌いを越える一種の信仰である、カツ丼を食って昼飯のさなかに自由を感じる。カツを歯と歯の間にして自由をかみしめる。それが神に近づく道のりだ、と念じているのだろう。
投稿子は考えた。「カツ丼と自由を紐付けするK氏の信仰とは」
「ワーン、ワワワーン」
またもチャビが吠えた。