蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

部族民料理、男の出番

2019年07月01日 | 小説
レヴィストロースは神話学第一巻「生と料理LeCruetLeCuit」において火を発見した人は文化を創造したと論じる。その文化とは料理した肉を食らうことに他ならない。ブラジル先住民ボロロ族の「部族民料理」を再現せんとブログサイト部族民通信の主宰蕃神が薪焼きレシピに挑戦し、ボロロ族酋長さんに監修を頂いた顛末です。

焼き上がり例(ローストビーフアラ部族民)

(令和元年5月20日)
用意する材料など;

1 肉が必要。魚、野菜で代用はできない。

鳥丸を焼いてみた
部族民料理の正統は野ブタ(ペッカリ種)。しかし手に入らない。鶏で代用。
2 薪、原典ではboit pourri「腐った木」とあるが倒木枯れ木である。アマゾンの旺盛な植物相にあっては原木を伐採し、乾燥に2年待つの手間など必要としない。

3 炉=foyerカマドで料理する。日本の竈を想像するが、米を炊かないから異なるだろう。石積みの野外炉か、部族民は、それを再現せむとブロックでくみ上げた。
組み上げ途上、構造が分かる

4 ボロロ族には下女が絶対に必要だ。なぜなら男は火を所有する(英雄バイトゴゴがジャガーに譲ってもらった)ものの、料理は女の仕事。男は厨房、カマドに立ち入ってはならぬ!儂は下女を持たぬ、そこで各方面に声を掛けたが、ボロロ下女になりたがる日本女性を東京近辺で見つけるを能わず。
無念じゃ!

焼きはじめ、ステンの串に鳥丸を刺して火に炙る。簡単。


5 地べたにしゃがみ込んで原典を開き、辞書をひもときながら、準備も入れて焼きあがるまで3時間の余裕をもてるヒマ人が原点だ。

火は入ってきた、もうすぐじゃ

以上じゃ。鳥丸のレシピを公開すると
大手スーパーで手に入れた鳥丸、1.2キロで1500円
塩コショウ、ニンニク、オリーブオイルを塗ったのであるが邪道であった。調味料これら(コショウニンニク、オリーブ)は旧大陸由来。シーズニングはボロロ風に徹し、南米原産唐辛子のみにすべきだった
針エンジュ(ニセアカシア)の倒木(みたいなやつ)を刈りとった。強火の遠火が原則。

旨そ~

(皿の肉はビーフになってる)
しかし、男が先にパクつくはもってのほかじゃ。「みども、いまだ空腹を覚えず。汝ら、先に焼き上がりを食しなされ」女共を優先させる。ボロロ男の流儀じゃ。


野ブタならぬフツーの文明ブタの薪あぶりなんかも追々掲載する。部族民料理を担わせむボロロ下女めを引き続いて募集している。

(本投稿はホームぺージ掲載の同名記事をブログ向けに改編した。部族民通信ホームページにもご来訪を願う)
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レヴィストロース亡命の真実 1

2019年07月01日 | 小説

本日はホームページオリジナル、ブログにのみ来訪いただく方には露出されていないレヴィストロース「米国亡命の真実」を紹介します。
(当ホームページのアラカルトから)
ネットからの情報を書き入れる。郵便貨物船paquebotのCapitaine Paul Lemerle号は「ナチス拘束のおそれあるユダヤ人救済」を目的に1940年8月から13ヶ月、アメリカ人VarianFryにチャーターされていた。自身ユダヤ系の出自でジャーナリストとして地位を確立していた彼は、ナチスのユダヤ迫害の風聞に接し、さらに亡命者から実際を聞くにつけ同胞への迫害に心を痛めた。マルセイユに乗り込み、米国の対独最後通牒まで(1941年12月)救済活動を広げた。

VarianFry


Paul LeMerle丸
ネット・
米国ホロコーストミュージアムの記載で1940~41年、複数の航海を敢行し2000人のユダヤ人亡命者を救助したとある。

Emil Julius Gumbel
• Hans Habe
• Jacques-Salomon Hadamard
• Konrad Heiden
• Jacques Hérold
• Wilhelm Herzog
• Erich Itor Kahn
• Fritz Kahn
• Berthold Jacob
• Heinz Jolles
• Arthur Koestler
• Siegfried Kracauer
• Wifredo Lam
• Jacqueline Lamba
• Wanda Landowska
• Lotte Leonard
• Claude Lévi-Strauss
(救出された文化人のリスト、一部、Wikipedia VarianFryより) 
面々がすごい。シャガール、アーレント、エルンスト、マン、マーラー(未亡人未発表の交響曲9番の総譜を持ち出した)…(ブルトンは前述)。その後の活躍をうかがい知るに、もし、脱出できずナチスに彼らが拘束されたら、戦後文化の様相が変わったかもと感慨を抱く次第です。

マルセイユの目抜き通りを闊歩するVarianFry。1940年10月、アメリカとドイツは交戦していなかった。1941年12月、米国の対ドイツ最後通牒通告によりヴィシー政権に拘束され強制送還された。


レヴィストロースに限らず救済された諸氏はVarianFryセンターについて語っていない。救済する側とされる側に暗黙の契約があったのかも知れない。アメリカは亡命者を選ぶ、命を選んでいる。セントルイス号(乗客1000人のユダヤ人)のアメリカ寄港と亡命受け入れに反対していたのはユダヤ系のオピニオンリーダー達であった(書籍・ストロベリーデイズより)。この亡命拒否がトラウマになってVarianFryが動いたのか。
さらに別格待遇で救出されたアインシュタイン、ハイフェッツなど超大物にしても、己が選良だった故の待遇だとは一言も述べていない。ユダヤ救済のネットワークとは迅速に、極秘に冷酷に、かくも起動するかと思いを新たにした。

(写真は米国ホロコーストセンターHPから)

ここからは宣伝です、
追記:部族民通信はグーブログへの投稿とホームページの二本立てで運営しています。ブログは投稿を2007年に始めて10年余を経過し、来訪される方々もそれなりに増えています。皆様には感謝します。
ホームページを開いた理由はブログ投稿の己の文章とスタイルに不満が溜まっていたからです。ブログを書くぞ~が朝の9時、しかし雑用に追われ、キーボードを打ち始めるのが10時(ちなみに今現在が10時11分)。原稿用紙にして4~5枚を12時半までに終わらせる。すると;
誤変換、テニオハ狂い、そもそもの勘違い、これらがテンコもりの文章を推敲も経ず投稿してしまう。もう少しマシなやり方がないかと考えあぐね、URLをさがすとなんとtribesman=部族民=が空いていた。.asiaならばなおさら自分むけだと購入した。

5月いっぱいを基礎作りに費やし、6月から文章を投稿し始めた。「部族民通信」(あるいは蕃神義男でネット検索すれば筆頭位置に出るので、ぜひご参照を(本ブログ頁の左欄ブックマークをクリック)7月1日で頁を飾る記事は神話学生と調理、悲しき熱帯など12項を越します。よろしく御訪問を。

ホームページの真実:ほとんど訪問はない。ブログは軽く読める、時間の空き間に読むが可能。ホームページになると開くは面倒、ページ数は多いしなど躊躇するのかと勘ぐる。しかし開いて読んで、半時を字面に過ごす価値のある内容かどうか、これを検証してください。

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