デカルトとジッドと自由。さきにカツ丼の自由はアリサの勝手でしょを投稿し、続編となります。
「自由」を紹介したのは福沢諭吉ですが、自由の元の意義(漢籍で用いられていた)と仏語の自由は隔たりがあります。そのあたりを探ってみました。
ブログ愛好の皆様には申し訳ないが、本稿は長いのでブログにては投稿しきれない。部族民通信ホームページ(www.tribesman.asia)に全文を投稿しています。
一部をここに紹介する;
明治初期。文明開化、富国興産は国家の課題であり、これら計画を促進するために欧米の文明思想の導入は活発だった。インフラを導入するにはシュープラを知らねば効率が悪いとの正しい判断である。
liberteなる概念に出くわした先達が自由と訳した。この博識が誰かには各論あるが福沢諭吉との指摘は多い。訳の意とは自己の由(よし)とする。そもそもこの語は漢籍に用いられ用法は字面通り、気まま思うまま(大字源)とある。「欲しいまま、好き勝手」(広辞苑)に通じるから、情念を沸き立つままに放し抑制しないの意味でもある。第2義に他から拘束されず自身の意志で行動するが載せられている。

Liberteを自由と訳した諭吉
1義が古来からで2義は明治以降の自由であろう。
訳を探すに諭吉はliberteなる語にまといつく、デカルトの教条を知っていただろうか。それは選択において己の利得への無関心であり、他者(カツ丼の選択であればそれは食欲となる)の強制をはねのけて、過程においても結果にも、後々の悔いを覚えてはならないとする心境(volonte)と、実行(vertu)の絡まり様の生き姿である。故に元の仏語の用法は、漢籍漢籍の自由とは正反対の意味を醸し出しているのだが、なぜかこのこの語に落ち着いた。
例えば、
昼飯を食うに欲(空腹を癒す)と得(旨さを求める)に屈してカツ丼を選ぶなどは「自由」を遂行しているとは申せない。
諭吉はデカルトの自由を、それが本邦で遣われる「自由」とは反意に当たると「知っていた」と部族民蕃神は信じる。それが明治期知識人の博聞強記なのである。1万円札を眺めるだけでたやすく判断できる筈だけれど、手元が不如意なので確かめられぬ。
証左となる一文をここにあげよう;
<福沢の西洋事情にはlibertyを日本語訳することの困難さを述べており、自主・自尊・自得・自若・自主宰・任意・寛容・従容などといった漢訳はあるが、(いずれも)原語の意義を尽くさないとする>(Wikipediaから引用)。
Liberteの訳に正反対の漢語の「自由」を当てた;日本と西欧との思想の交流で、根源において欠落があったのだ。悲しき熱帯の一節を引用する前にソシュールの意味論を少々、
言語学フェルディナン・ド・ソシュール(スイス1857~1913年)は意味論の先駆者とされる。言葉(parole)とは「意味する、意味される=signifiant, signifie」の相互関係にある。意味の伝達において主体と客体の相互関係が成立しているとすると彼は伝える。この説をレヴィストロースが受け入れる訳だが、咀嚼の過程で彼らしく構造主義の細工を仕掛けた。
以下はホームページ(www.tribesman.asia)に。
「自由」を紹介したのは福沢諭吉ですが、自由の元の意義(漢籍で用いられていた)と仏語の自由は隔たりがあります。そのあたりを探ってみました。
ブログ愛好の皆様には申し訳ないが、本稿は長いのでブログにては投稿しきれない。部族民通信ホームページ(www.tribesman.asia)に全文を投稿しています。
一部をここに紹介する;
明治初期。文明開化、富国興産は国家の課題であり、これら計画を促進するために欧米の文明思想の導入は活発だった。インフラを導入するにはシュープラを知らねば効率が悪いとの正しい判断である。
liberteなる概念に出くわした先達が自由と訳した。この博識が誰かには各論あるが福沢諭吉との指摘は多い。訳の意とは自己の由(よし)とする。そもそもこの語は漢籍に用いられ用法は字面通り、気まま思うまま(大字源)とある。「欲しいまま、好き勝手」(広辞苑)に通じるから、情念を沸き立つままに放し抑制しないの意味でもある。第2義に他から拘束されず自身の意志で行動するが載せられている。

Liberteを自由と訳した諭吉
1義が古来からで2義は明治以降の自由であろう。
訳を探すに諭吉はliberteなる語にまといつく、デカルトの教条を知っていただろうか。それは選択において己の利得への無関心であり、他者(カツ丼の選択であればそれは食欲となる)の強制をはねのけて、過程においても結果にも、後々の悔いを覚えてはならないとする心境(volonte)と、実行(vertu)の絡まり様の生き姿である。故に元の仏語の用法は、漢籍漢籍の自由とは正反対の意味を醸し出しているのだが、なぜかこのこの語に落ち着いた。
例えば、
昼飯を食うに欲(空腹を癒す)と得(旨さを求める)に屈してカツ丼を選ぶなどは「自由」を遂行しているとは申せない。
諭吉はデカルトの自由を、それが本邦で遣われる「自由」とは反意に当たると「知っていた」と部族民蕃神は信じる。それが明治期知識人の博聞強記なのである。1万円札を眺めるだけでたやすく判断できる筈だけれど、手元が不如意なので確かめられぬ。
証左となる一文をここにあげよう;
<福沢の西洋事情にはlibertyを日本語訳することの困難さを述べており、自主・自尊・自得・自若・自主宰・任意・寛容・従容などといった漢訳はあるが、(いずれも)原語の意義を尽くさないとする>(Wikipediaから引用)。
Liberteの訳に正反対の漢語の「自由」を当てた;日本と西欧との思想の交流で、根源において欠落があったのだ。悲しき熱帯の一節を引用する前にソシュールの意味論を少々、
言語学フェルディナン・ド・ソシュール(スイス1857~1913年)は意味論の先駆者とされる。言葉(parole)とは「意味する、意味される=signifiant, signifie」の相互関係にある。意味の伝達において主体と客体の相互関係が成立しているとすると彼は伝える。この説をレヴィストロースが受け入れる訳だが、咀嚼の過程で彼らしく構造主義の細工を仕掛けた。
以下はホームページ(www.tribesman.asia)に。