蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ラカンとレヴィストロースの接点4(2022年3月28日)神が裏口から下

2022年03月28日 | 小説
3月23日投稿のレヴィストロースとの接点の第3回<il craint qu’après nous avons fait sortir Dieu par une porte, nous ne le fassions entrer par l’autre>追い出した神が裏口から…で終わっている。続く文は;
<Il ne veut pas que le symbole, et même sous la forme extraordinairement épurée sous laquelle lui-même nous le présente, ne soit qu’une réapparition de Dieu sous un masque. Voilà ce qui est à l’origine de l’oscillation qu’il a manifestée quand il a mis en cause la séparation méthodique du plan du symbolique d’avec le plan naturel(48頁).
訳:象徴に対しての彼(レヴィストロース)の態度は、それが本性をすっかり剥ぎ取った無垢の姿になろうと、その格好のもとで己身を我々に見せるわけだからマスクで本来姿を隠した神の忍び入りでは無いかと畏れる。ここに(彼レヴィストロースの)自然と象徴による宇宙の分割を主張する時に、隠し通せない動揺の源があるのだ。
象徴(symbole、symboliqueとも)はラカン用語、レヴィストロースが用いる思想(idée)に対応する。レヴィストロース主唱のいわゆる「構造主義」は「思想」対「形体forme」の対峙を宇宙原理とする、その片翼を担う。ラカンは「象徴」対「自然nature」とそれを言い換えた(精神分析を語る文脈ではréelとなる)。人が思想を形成する、その行為が思考過程(entendement)で人の自発そのものであるが、それが勘違いだったら思想はマスクを被る神の差し金に変身してしまう、彼の畏れがここにある。
レヴィストロースの思想形成の過程を見ると;
ソシュールの唱える意味論、「意味するもの対意味されるもの」に着想を得て、意味するを思想に、意味されるを形体と置き換えた。そのような思索の起動が可能である理論背景にカントの先験を「近代の知識人ならば当然」として受け入れた。この流れには無神論が漂歯、彼も無神論者と自己を標榜する。人が考え、人が分析、取りまとめる。ここに神の介在は無いとして構造主義を展開してきた。ラカンは「神に騙される」経路、そのあり得る裏側を指摘した。
この下りを読んだ小筆は驚きを越した。このようなラカンの指摘を聞くのは初めてで、レヴィストロースの反応に至ってはこれまで聞いても読んでもいなかった。20世紀、フランス言論界2の思想の巨人の対話となれば、主題は深淵にして壮大。かくも宇宙スケールなのかと感服した。
ちなみにラカンは経験な耶蘇教徒。彼が構築している精神分析学はフロイトとは異なり、個の発展に「先験」を置く。Fonctions symboliques(象徴化する力)が精神の源で、外部事象(réel) と内的整理(imaginations)を対比させている。人の精神作用は「神の設計」と考えていた(はずだ)。レヴィストロースとの対話に際し社会と個人、それらの全体設計を誰が担うのか、神か人の智か、で論争があったのかと推察した。
(神の裏口侵入は了)


本書の裏表紙。Le moi dans la théorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse (1954-1955) 自我、フロイト学説と精神分析での実際。


ラカンが語る精神分析での先験
本投稿1回目(3月18日)にて驚きの感想とした第3点「心理分析にも先験(transcendantal)がある。それが「Fonction symbolique」に入る。
フロイトにおける「自我moi」の説明には哲学的考察が底流をなすとラカンは語る。ラカン著作とはフロイト学説の紹介に尽きるのだが、それをラカン思考の流れのなかで読み取るにあたり「自我、思考する力それと外界との関わり(expériences)を見極める事が、フロイト全体解釈に最重要」と思うーとラカンがまず蘊蓄を垂れる。
よって自我moiとは何か、次に引用する文を皮切りとする一節にて解釈を取り組み、ラカン脳髄の核心を探ろう。


ラカンとフロイト。フロイトは臨床医師、故に学説なるは対象の状態を分析する実学。ラカンは二重性の精神に神の意思を探った。フロイト説を形而上学の裏打ちで確立した。と部族民は理解するのだが、実証するにはフロイトを読まねばならない。それは無理なので前記は戯言と笑ってくれ。

<Je pense pouvoir montrer que pour concevoir la fonction que Freud désigne sous le nom de moi, comme pour lire toute la métapsychologie freudienne, il est indispensable de se servir de cette distinction de plans et de relations qui est exprimée par le terme symbolique, d’imaginaire et de réel >(51頁). フロイトが自我(moi)の名のもとに定義した機能(力)が何たるかを、我は語れると思うぞ。彼が用いる3の用語、それは象徴能(symbolique)空想力(imaginaire)そして現実(réel)、これらを分別しさらに関連性を明瞭にする過程こそが、フロイト超心理学(métapsychologie)著作に接する心構えなのだ。
注:フロイトから抽出した1象徴能 2空想力(imaginaire)3現実(réel)が精神分析での3の形而上métaphysique要素である、とラカンが強調。これを記憶に止めて読文に進む。
ラカンとレヴィストロースの接点4神が裏口から下の了 (2022年3月28日)
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