(2022年9 月9日)人は外界を認識しその理解と反応を言葉に発し、行動に至る。その大元に心が控える。心は3の自我で構成される。上自我 « surmoi » と理念の自我 « l’idéal du moi » 、それ « ça » ,これはイドとも言われる。3要素は容器としての心に詰め込まれた内容物で、3者は拮抗並立している。
それ « ça »イドについてこれまで説明してない;フロイトが教えるのは何がなんだか分からないイドが潜む。それが「何やらを発動」させる―だけ。彼はそうした能動性(affect)の源泉に性愛 (Libido)を必ず設ける、性愛を達したいとの願望がçaに湧く(わかりやすく願望とした、精神分析的に言えば象徴能 « fonction symbolique » の発露 « pulsion » )。この発露も無意識の域のまま、抑圧 « refoulement » に抑え込まれるが、時に性愛が「思い余って」湧出し « idéal du moi » 理念の自我を突き上げる。
Il y a dans la psychose hallucinatoire de l’adulte une synthèse de l’imaginaire et du réel, qui est tout le problème de la psychose(120頁) 幻覚は精神疾患の成人の症例で、そこには空想と現実を統合する際の混乱が認められる、あらゆる精神障害の根源である。
上の引用はロベールの診断名を「幻覚」と提案したセミナー参加者に対するラカンの返答。ロベールはそれに当たらないのだが、ラカン説明が精神分析における構造主義を言い表している。 « L’imaginaire » 空想的は上自我 « sur moi » を漂う思い込みである。一方 現実 は « idéal du moi » 理念の自我に世界観として取り込まれる。両者のせめぎ « une synthèse » が納まらず、葛藤から混乱が生じると人の言動は社会の規範から外れる。これまで「せめぎ」と云っていた抗争のからくり事情です。
これまでの説明をかいつまむと;
個の心の中身には3の分派が蠢いている。理念の自我 « idéal du moi» にして、己はかくあるべしと社会規律の範囲内で自己を自律させている。しかるに空想思い込みを抱える上自我 « surmoi » からは抑え込まれ、下のそれ « ça » からは持って生まれた「性愛」の「象徴能の発露」を「実行せよ」と命じられる。こんな危機状況を «impératifs» (上自我の命令) « exigences » (強制、下の突き上げ)、社会制約 « contraintes » のカオスとフランス語を遣い分け、ラカンが形容する。
C’est au de ce pivot du langage, du rapport à ce mot qui est pour Robert le résumé d’une loi, que se passe le virage de la première à la seconde phase (119頁)
訳:言葉遣い(langage)の様変わり(もはやオオカミと叫ばない)は原初段階から次節段階に移動している彼を示している。この語(オオカミ)との関わりを通じてまさしくロベールは、一つの法(規則)を取得した段階に移行した事を示した。

熱弁を振るうラカン先生。このセミナーは公開されていて、毎回、向学パリ市民数十人の熱気が溢れてたと伝わる。今のフランス大学の学部教育では "traveax dirigés" 指導教室ーがセミナーに当たる。2~30の学生が討論に集まり、論文を提出して教官の添削を受ける。かなり手厳しい訂正が一般らしい。日本の「ゼミ」より人員規模が多い。大学進学人数が増えている実情に合わせざるを得ないと聞いた。ちなみに入学にも授業にも無料、留学生もその恩恵を受けられる。

写真はネットから採取
上訳文は幾分理解しにくい、これを「精神分析構造主義」の視点で読み解けば;
LeFortの治療と指導のよろしき得て、ロベールは「理念の自我」を形成できた。何にもましての進展は上自我の優位性が消え去ったこと(オオカミ叫び、走り回りが消えた)。心の葛藤の風向きが変わって、言動に顕著な変化をもたらせた。それçaイドからの突き上げ(LeFortを母と思い込む)は未だ残るが、Libidoのなせるところで、理念の自己がより確固となれば消える。
幼いながらも悲惨な体験が上自我に攻撃性を育て、法(規則)破りをもっぱらとしていたロベールに社会性、理念の自我を育成し、その理念の下に行動する優先を与えたのである。
人の言動とは言葉と態度の外的発露。これは見えるし聞かれる、それは外包としての現実行動でそこに精神はない。精神は心に宿る、心には3の規範の葛藤が生じている。
Hyppolite は「そこです、zwingen と bezwingenの関係となる。そして=中略=彼の方が狼を演じる」とまさにヘーゲル弁証法でロベール心理の転回を説明した(第4回、9月5日投稿)。
ラカンは「初歩的現象(狼と叫ぶロベールの心理)について、それを分別し取りまとめるは難しい」(同)。とHyppolite説に批判の述べた上で、精神分析の手法を駆使しロベール行動を説明した。そこにはレヴィストロース顔負けの構造主義が隠されていたのだ。(部族民の解釈)
狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 6最終の了(2022年9 月9日)
次回予告 狼少年の続として「ラカン精神分析とレヴィストロース構造主義」を執筆中です。9月中には新規連載投稿を開始する予定。
それ « ça »イドについてこれまで説明してない;フロイトが教えるのは何がなんだか分からないイドが潜む。それが「何やらを発動」させる―だけ。彼はそうした能動性(affect)の源泉に性愛 (Libido)を必ず設ける、性愛を達したいとの願望がçaに湧く(わかりやすく願望とした、精神分析的に言えば象徴能 « fonction symbolique » の発露 « pulsion » )。この発露も無意識の域のまま、抑圧 « refoulement » に抑え込まれるが、時に性愛が「思い余って」湧出し « idéal du moi » 理念の自我を突き上げる。
Il y a dans la psychose hallucinatoire de l’adulte une synthèse de l’imaginaire et du réel, qui est tout le problème de la psychose(120頁) 幻覚は精神疾患の成人の症例で、そこには空想と現実を統合する際の混乱が認められる、あらゆる精神障害の根源である。
上の引用はロベールの診断名を「幻覚」と提案したセミナー参加者に対するラカンの返答。ロベールはそれに当たらないのだが、ラカン説明が精神分析における構造主義を言い表している。 « L’imaginaire » 空想的は上自我 « sur moi » を漂う思い込みである。一方 現実 は « idéal du moi » 理念の自我に世界観として取り込まれる。両者のせめぎ « une synthèse » が納まらず、葛藤から混乱が生じると人の言動は社会の規範から外れる。これまで「せめぎ」と云っていた抗争のからくり事情です。
これまでの説明をかいつまむと;
個の心の中身には3の分派が蠢いている。理念の自我 « idéal du moi» にして、己はかくあるべしと社会規律の範囲内で自己を自律させている。しかるに空想思い込みを抱える上自我 « surmoi » からは抑え込まれ、下のそれ « ça » からは持って生まれた「性愛」の「象徴能の発露」を「実行せよ」と命じられる。こんな危機状況を «impératifs» (上自我の命令) « exigences » (強制、下の突き上げ)、社会制約 « contraintes » のカオスとフランス語を遣い分け、ラカンが形容する。
C’est au de ce pivot du langage, du rapport à ce mot qui est pour Robert le résumé d’une loi, que se passe le virage de la première à la seconde phase (119頁)
訳:言葉遣い(langage)の様変わり(もはやオオカミと叫ばない)は原初段階から次節段階に移動している彼を示している。この語(オオカミ)との関わりを通じてまさしくロベールは、一つの法(規則)を取得した段階に移行した事を示した。

熱弁を振るうラカン先生。このセミナーは公開されていて、毎回、向学パリ市民数十人の熱気が溢れてたと伝わる。今のフランス大学の学部教育では "traveax dirigés" 指導教室ーがセミナーに当たる。2~30の学生が討論に集まり、論文を提出して教官の添削を受ける。かなり手厳しい訂正が一般らしい。日本の「ゼミ」より人員規模が多い。大学進学人数が増えている実情に合わせざるを得ないと聞いた。ちなみに入学にも授業にも無料、留学生もその恩恵を受けられる。

写真はネットから採取
上訳文は幾分理解しにくい、これを「精神分析構造主義」の視点で読み解けば;
LeFortの治療と指導のよろしき得て、ロベールは「理念の自我」を形成できた。何にもましての進展は上自我の優位性が消え去ったこと(オオカミ叫び、走り回りが消えた)。心の葛藤の風向きが変わって、言動に顕著な変化をもたらせた。それçaイドからの突き上げ(LeFortを母と思い込む)は未だ残るが、Libidoのなせるところで、理念の自己がより確固となれば消える。
幼いながらも悲惨な体験が上自我に攻撃性を育て、法(規則)破りをもっぱらとしていたロベールに社会性、理念の自我を育成し、その理念の下に行動する優先を与えたのである。
人の言動とは言葉と態度の外的発露。これは見えるし聞かれる、それは外包としての現実行動でそこに精神はない。精神は心に宿る、心には3の規範の葛藤が生じている。
Hyppolite は「そこです、zwingen と bezwingenの関係となる。そして=中略=彼の方が狼を演じる」とまさにヘーゲル弁証法でロベール心理の転回を説明した(第4回、9月5日投稿)。
ラカンは「初歩的現象(狼と叫ぶロベールの心理)について、それを分別し取りまとめるは難しい」(同)。とHyppolite説に批判の述べた上で、精神分析の手法を駆使しロベール行動を説明した。そこにはレヴィストロース顔負けの構造主義が隠されていたのだ。(部族民の解釈)
狼少年ロベール Le loup ! Le cas de Robert 6最終の了(2022年9 月9日)
次回予告 狼少年の続として「ラカン精神分析とレヴィストロース構造主義」を執筆中です。9月中には新規連載投稿を開始する予定。